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参道を抜けると城峯神社がある。 城峯神社は日本武尊が東征の折、山頂に大山祇命を祀ったのが始まりと伝えられている。明治維新まで、柚木氏邸内に社殿が設けられていたが、明治5年入間県のとき、現在の位置に遷宮され郷社に列せられた、そうだ。 もし、この地域に城峯神社参道のブログに書いたチンケなキャンプ場がなければ、本当に霊験あらたかな深い山中に鎮座する1000年前、平安時代の神社といえる神社である。 ところで社伝によれば、平安時代に反乱を起こした平将門(まさかど)とそ一党は、藤原の官軍に追われ、下総の国、今の千葉県に落ちのびたあと、秩父の山奥にある城峯山に城を築き、そこに立てこもったとされる。 その後、官軍、藤原秀郷(ひでさと)が城峯山にあった城を包囲、激戦の末、将門とその一族はこの地で討ち死にしたという。 そこで滅びた平将門と一族を鎮めるために、城峯神社がつくられたと言い伝えられている。 もっぱら、史書によれば平将門は下総の国(現在の千葉県)で討ち死にしたとされており、将門自身が秩父のこの地まで来たかどうかは不明だ。しかし、平将門の一族や縁者が秩父の地まで落ちのび、追って来た藤原官軍に滅ぼされたという記録があるというから、あながち神社の創建にまつわる話はいい加減なものではないようだ。 さらに以下のような伝説、秘話もある。 撮影:青山貞一 Nikon Digital Camera Cool Pix S50 関八州を平定し、その後下総の野に敗れ、この山に城を築き、名を幡武山石間城と名付け、それまで石間ケ岳といっていたこの山に城ができると、里人も城峯山と呼ぶようになりました。 そこで下野田(栃木県)の豪族、藤原秀郷が兵を引き連れ、今の吉田小学校の高台に陣を張り、にらみ合いになる。 このころ、将門の愛妻、桔梗はときどき城を抜けて、いずれかに姿を消すのを知り、将門は桔梗が秀郷に内通したものと思い違い怒って桔梗を斬りすてました。 無実の罪で斬られた桔梗の亡霊は落城後も消えず、秋の草花はかずかず咲くが、桔梗の花だけは今も見ることができません。 「秋の七草うすむらさきの花の桔梗がなぜたりぬ城峯昔の物語」(秩父小唄) 城峯神社 撮影:青山貞一 Nikon Digital Camera Cool Pix S50 城峯神社 撮影:青山貞一 Nikon Digital Camera Cool Pix S50 城峯神社 撮影:池田こみち Nikon Digital Camera Cool Pix S6400 城峯神社の社の前には、2匹(頭)の狛犬がいる。しかし、どう見ても、ワン、犬ではない。池田は当初、コン、狐ではないかと言ったが、後で調べて見たら狛犬は、日本武尊にちなむ 山犬型の狛犬ならぬ狛狼(オオカミ)だそうである。ひょっとしたら、大神との語呂合わせでオオカミとなったのでは? などと思いを巡らす。 確かによく見ると、犬と言うより狼である! 狛狼はおそらく全国規模でもそれほど多くなく希有なものではないかと思う。 城峯神社の狛狼 撮影:池田こみち Nikon Digital Camera Cool Pix S6400 どうも椋神社の狛犬が城峯神社のオオカミと似ているので調べて見ると、椋神社の狛犬もオオカミだった。以下のブログ参照。 ※ブログ:秩父オオカミ巡り http://komainu.net/chichibu1.htm 秩父にはオオカミを狛犬としているところがたくさんあるようなので、次回は秩父のオオカミ巡りをしてみたい(笑い)。 椋神社境内 撮影:青山貞一 Nikon Digital Camera Cool Pix S8 城峯神社の狛狼 撮影:池田こみち Nikon Digital Camera Cool Pix S6400 一方、オオカミの石像の後ろに、下の写真にある猫の石像がひっそりと置かれていた。何と、誰がかけたのか、可愛らしいあぶちゃん(前掛け)をしているではないか。残念ながら、長い尻尾は途中で折れている。 城峯神社のおネコさま 撮影:青山貞一 Nikon Digital Camera Cool Pix S50 それにしても、オオカミはまだしも、ネコにとって秩父の山奥の山頂近くは、寒すぎて可哀想ではないか(笑い)。下は台座を含めた写真である。 城峯神社のおネコさま 撮影:池田こみち Nikon Digital Camera Cool Pix S6400 このネコについて池田が調べたところ以下のブログに行き着いた。
下は神楽殿。相当の時代物である。ぜひ、一度、池田の盟友でもある鵜澤久さんにこの舞台で能かお神楽をやってもらたいものだ。グーグルで検索していたら、この舞台で能が行われているところの写真もあった。 城峯神社のお神楽 撮影:青山貞一 Nikon Digital Camera Cool Pix S50 左、池田こみち、右、観世流シテ方能楽師 鵜澤久氏 能楽堂の楽屋にて 撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8 2013-1-26 ところで、時代考証すれば、城峯神社に関わる藤原秀郷や平将門は、以下の紹介にあるように、平安時代中期に活躍した歴史的人物である。 となれば、城峯神社やそれにまつわる伝説は1000年以上の歴史があり、建築物の規模や華麗さは別として、宇治の平等院や平泉の中尊寺などとともに、関東における歴史上きわめて希有な存在であるものと思える。 とりわけ埼玉県内にあって、重要な存在といえるものであろう。 その意味でも、安易に境内の隣にキャンプ場を設置したことは痛恨の極みと言わざるを得ない。
今回は行かなかったが、城峯神社近くには、将門の隠れ岩がある。まさに、平将門が追ってから逃れた場所なのだが、これが何と垂直に切り立った岩山の上にあり、下の看板にあるように、この隠れ岩への登頂は自己責任で! とある。 実際、切り立った岩山を18mほどロッククライミングで登ったところに隠れ岩があるのだが、首の骨を折った青山としては、自重するしかない(笑い)。 将門については、将門の首塚も有名だ。 東京都千代田区にある平将門の首塚 出典:Wikipedia
城峯神社からの風景 撮影:池田こみち Nikon Digital Camera Cool Pix S6400 撮影:青山貞一 Nikon Digital Camera Cool Pix S50 城峯神社を後に、私たちは皆野にある宿泊施設に向かった。 |