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温故知新、秩父事件
関連地再訪


青山貞一 池田こみち
掲載月日:2013年12月13日
 独立系メディア E−wave Tokyo

1  温故知新、秩父事件 関連地再訪
2  秩父事件激戦地、「半納の横道」再訪
3  城峯山と城峯神社参道
4  城峯神社と将門伝説

 毎年、師走のこの時期に、私たちは秩父事件の発祥地、埼玉県秩父の吉田、下吉田、皆野さらに長野県小海の馬流などに、骨休みを兼ねて出かけている。

 今年も12月11日、大学の授業終了後、関越自動車道を花園インターで降り、一般道で秩父に向かった。

 忙中暇あり、ででかけた今年も、すばらしい好天に恵まれ、秩父、吉田、皆野などは下の写真にあるように穏やかな暮れの日々となった。


撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S50


撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S50

 私たちが秩父に行く目的はいろいろある。

 たとえば、福島県は幕末の明治維新の戊辰戦争で歴史上に大きな足跡を残した。しかし、埼玉県というと、「ダサい」という言葉があるように、どうみてもパッとせず、歴史上さしたる出来事がないと思われがちである。 しかし、その埼玉県にも、福島県に会津若松があり戊辰戦争があったように、秩父があり秩父事件があったのである。

 戊辰戦争はいわば、江戸幕府の会津と明治政府との徹底的な戦いである。 他方、秩父事件は、秩父地方の養蚕農家が一大決起し、明治政府の東京鎮台と戦った事件である。この蜂起は秩父を発端としているが、秩父から長野、群馬、栃木、福島など養蚕をしていた農家に外延的に拡大している。これも戊辰戦争同様だ。

 しかも、戊辰戦争はいわば江戸幕府の武士と明治政府の軍との戦いであるが、秩父事件はいわば農民と明治政府(東京鎮台)の戦いである。農民、民衆がときの権力に異議申し立てし、決起、蜂起したことの意味はきわめて大きいといえるのである。歴史的に権力者に抑圧され虐げられても甘受してきたこの地の農民、民衆が、こともあろうか当時できたての明治政府、それも東京鎮台に対し蜂起したのである。

 要約的に言えば、戊辰戦争は新政府軍と幕府軍の戦いであったのに対し、秩父事件は、新政府軍と農民、民衆の闘いであったところに、近代日本史における本質的な意味があったと思える。


出典:映画「草の乱」より

◆青山貞一:温故知新・秩父事件〜自由民権運動と農民蜂起
◆青山貞一:温故知新・秩父事件〜事件の概要と背景・原因 
◆独立系メディア E-wave Tokyo:秩父

 1884(明治17)年、埼玉県秩父郡で起きた農民らの武装蜂起は、時の政府を震撼させた。山間を揺るがした民の怒りは圧政への怒りであり、谷を吹きぬけた熱情は、自由と民権への熱情であった。政府は軍隊を派遣し徹底鎮圧。事件を「暴動」の名のもとに歴史の深部に封印した。蜂起で発揮された民衆の楽天性や高揚したエネルギー、そしてより良い社会と未来をめざした、これが秩父事件である。今から129年も前のことである。

◆東京鎮台(ちんだい)

 1871年(明治4年)から1888年(明治21年)まで置かれた日本陸軍の編成単位である。常設されるものとしては最大の部隊単位であった。兵制としては御親兵の後を継ぐもので、鎮台の設置とその後の徴兵制実施をもって日本の近代陸軍の始まりとする。師団への改組で廃止された。なかでも東京鎮台は、最強の陸軍舞台であった(以下参照)。

管区・鎮台 営所 歩兵連隊
第一軍管区・東京鎮台 東京 歩兵第1連隊
佐倉 歩兵第2連隊
新潟 歩兵第3連隊
第二軍管区・仙台鎮台 仙台 歩兵第4連隊
青森 歩兵第5連隊
第三軍管区・名古屋鎮台 名古屋 歩兵第6連隊
金沢 歩兵第7連隊
第四軍管区・大阪鎮台 大阪 歩兵第8連隊
大津 歩兵第9連隊
姫路 歩兵第10連隊
第五軍管区・広島鎮台 広島 歩兵第11連隊
丸亀 歩兵第12連隊
第六軍管区・熊本鎮台 熊本 歩兵第13連隊
小倉 歩兵第14連隊

出典:Wikipediaなど


出典:映画「草の乱」荒川渡渉の図より

 ※上の写真で先陣を切っているのは、秩父事件で副総理を務めた
   加藤織平だ。この重要な加藤の役を杉本哲太がつとめている。
   杉本はNHKの朝ドラ、あまちゃんで北リアス鉄道駅の駅長の役を
   していたが、やはり彼にはシリアスな場面での加藤織平役がぴっ
   たりである!


 私たちが秩父に毎年年末に行く大きな理由は、その「秩父事件」の現場をひとつひとつ自分の足で訪れることにある。その起点は、秩父の下吉田にある龍勢会館である。ここには、秩父事件の主人公、井上伝蔵にまつわる文物が収録されている資料館がある。


復元された井上伝蔵の丸井商店  下吉田の龍勢会館にて
撮影:青山貞一 Nikon Digital Camera Cool Pix S8


復元された井上伝蔵の丸井商店の内部  下吉田の龍勢会館にて
撮影:青山貞一 Nikon Digital Camera Cool Pix S8


映画「草の乱」のワンシーン
下吉田の龍勢会館のDVDでも見られる


下吉田にある龍勢会館
撮影:青山貞一 Nikon Digital Camera Cool Pix S50

 秩父事件を離れても、この地、すなわち下吉田一帯は、東京の喧騒から離れ背後の里山の前に位置したいわば「ひだまり」にある。どの季節に来ても心が和む。

 龍星会館には、道の駅があり、地域の様々な食材、加工食品などが所狭しと並べられており、これを買うのもひとつの楽しみとなっている。ブルーベリー、 ハックルベリー、こんにゃく、お切込み、ゆずこしょうなどなど。

 ここには、いつも秩父を愛し、秩父事件を学ぶ人々がおり、皆であれこれ、秩父や秩父事件の歴史について議論することになる。今年も下の写真にあるように地元の方々、それに東京から来ている人たちと議論した。


秩父下吉田の道の駅にて
撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S50

 議論の中で、椋神社(むく神社)前に民家を借り、しょっちゅう東京から来ているという佐藤秀光さん(上の写真前列右側)から、「もし、今までまだ行っていないなら、ぜひ、城峯山に行ってみたらどうですか」と提案された。

 城峯山は、下の地形図にあるように秩父、皆野、神川の3つの市にまたがる1037mほどの山である。


城峯山 出典:グーグルマップ
 
 この城峯山の途中には、秩父事件のとき、吉田地域の農民が結集した下の地図にある「半納の横道」という見晴らしの良い場所があり、私たちも標高800mの地点にある、その「半納の横道」を現地視察したことがある。


通称、半納の横道へは県道363号線を使う

◆青山貞一:温故知新・秩父事件〜事件の現場を歩くB 半納の横道 

 またその手前にある、秩父事件の写真や資料を展示している石間交流資料館に行ったことがある。

◆青山貞一:秩父再訪を敢行して @石間交流学習館訪問
◆青山貞一:秩父再訪を敢行して A石間交流学習館の展示
◆池田こみち:秩父を再び訪ねて感じたこと
◆鷹取敦:秩父を訪れて学んだこと

 しかし、そこからさらに2kmほど先にある城峯山には行ったことがなかった。

 そこで、今回はじめて城峯山に登ることとした。とはいっても、頂上近くまで車で行ける。ちなみに歩くと3時間以上かかる。

つづく