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メアリー・ステュアートの足跡を追って
スコットランド
2200km走破


グラスゴー大聖堂


青山貞一 Teiichi Aoyama  池田こみち Komichi Ikeda
2018年10月30日公開予定
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グラスゴー大聖堂

 以下はグラスゴー大聖堂の位置です。大聖堂は聖ムンゴ宗教生活アート博物館のひがしどなりにあります。


出典:グーグルマップ


出典:Wikipedia


グラスゴー大聖堂の正面
Source: Wikimedia Commons

 グラスゴー大聖堂(Glasgow Cathedral)、またはグラスゴー高教会(High Kirk of Glasgow)、聖ケンティガーン大聖堂(St Kentigern's Cathedral)、聖ムンゴ大聖堂(St Mungo's Cathedral)はグラスゴーにあるスコットランド国教会の聖堂です。

 スコットランド宗教改革以前に建てられ、ローマ・カトリック教会のグラスゴー司教、大司教、続いてスコットランド国教会のグラスゴー大主教の所在地であり、現代ではスコットランド国教会のグラスゴー長老会の所在地になっています。ハイ・ストリートの北、カテドラル・ストリートの東で、グラスゴー王立診療所の隣にあります


グラスゴー大聖堂
Source: Wikimedia Commons


グラスゴー大聖堂
Source: Wikimedia Commons

歴史

 グラスゴー大聖堂はスコットランド宗教改革以前の12世紀末に建てられ、歴代のグラスゴー司教、大司教、大主教の所在地になっています。スコットランド式ゴシック建築の一例であり、スコットランド宗教改革を生き延びた数少ない中世スコットランド聖堂の1つです(スコットランド本土では唯一)。

 1502年12月10日、スコットランド王ジェームズ4世は大聖堂の祭壇で永遠平和条約を批准しました。また1544年と1560年におこったグラスゴーの戦いにも影響しています。

 宗教改革から20年後の1581年4月22日、ジェームズ6世は土地の一部からの収入を聖堂の維持費としてグラスゴー市に支払いました。ジェームズ6世はこれらの土地の所有権をグラスゴー大司教ギャヴィン・ダンバーが聖堂を修復したときの残金までたどりました。

 グラスゴー市議会は1583年2月27日に聖堂を修復する責任を認めることを決議しましたが、義務ではないとも記録しました。この決議により聖堂は宗教改革を生き残り、聖堂内にある内陣仕切りはスコットランドの聖堂において現代まで残った数少ないものの1つとなっています。



1893年の絵葉書に見られる聖堂の外観
Source: Wikimedia Commons


グラスゴー大聖堂の版画  ジョン・スレーザー(英語版)作、1693年
Source: Wikimedia Commons


19世紀のグラスゴー大聖堂の内装
Source: Wikimedia Commons


グラスゴー大聖堂のロバート・ロイ。(より正確には、グラスゴー大聖堂の下段教会)、ウォルター・スコット卿の小説、ロブ・ロイの後に版画家ダルジエル兄弟が描いたもの。
Source: Wikimedia Commons


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