グアムの基礎知識 グアムの概要1 青山貞一 Teiichi Aoyama 池田こみち Komichi Ikeda 2019年1月24日公開 独立系メディア E-Wave Tokyo 無断転載禁 |
グアム島全体目次 はじめに グアム概要1 グアム概要2 グアム概要3 グアム概要4 グアムの都市と村 グアムの概要 グアム(Guam, チャモロ語: Guahan)は、太平洋にあるマリアナ諸島南端の島です。1898年の米西戦争からアメリカ合衆国の海外領土。第二次世界大戦下で1941年から1944年にかけて日本軍が占領統治し、「大宮島(おおみやじま)」と呼ばれていました。 地理 Source:Wikimedeia Commons マリアナ諸島最大の島で、その南西端に位置する。海底火山によって造られました。北部は珊瑚礁に囲まれた石灰質の平坦な台地で、南部は火山の丘陵地帯です。最高所はラムラム山で標高406mとなっています。 気候 海洋性熱帯気候に属しており、年間を通して高温多湿。「常夏」といわれ、ほぼ1年中海水浴が楽しめます。6 - 12月が雨季、1 - 5月が乾季。雨季にはスコールが降ります。年間平均気温は約26℃です。 Source:Wikimedeia Commons 歴史 古代 グアム島に人類が住み着いたのは紀元前3000年〜2000年頃で、東南アジア系民族チャモロ人がマレーシアやインドネシア、フィリピンから航海カヌーに乗って移住してきたことに始まると考えられています。そのことはラッテストーンと呼ばれる古代チャモロ遺跡が残存していることでわかります。 スペイン植民地化 ・1521年にポルトガルの探検家マゼランがヨーロッパ人として初めてグアム島に到達します。 マゼラン上陸記念碑 グアム最南部のウマタック地区にあります。 撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S9900 2018-4 ・1565年にレガスピが来島してスペインの領有を宣言し植民地となり、フィリピンのマニラとメキシコのアカプルコを結ぶ航路が1568年に開かれ、スペインの大型船ガレオン船が太平洋を行き来するようになり、1年に1度6月ごろロタやグアム周辺に現れ、チャモロと物々交換を行っていました。 ・ 1668年にスペインのカトリック教会使節サン・ビトレスを中心としたイエズス会が布教活動のため訪れるようになりました。先住民はチャモロですが、サイパンを含む北マリアナ諸島から移住させられたチャモロが多数いました。 しかし、宣教師が祖霊崇拝を始めとするチャモロ人の伝統的な習慣や文化を厳しく禁止したため、不満を持つチャモロ人も多く、その不満は1669年のスペイン・チャモロ戦争として現れました。 キリスト教に反抗的な村は全て焼き払われ、10万人いたとされるチャモロ人が5000人以下に激減しました。そして、以降は目立った反抗はなくキリスト教文化が定着するようになったといわれています。 アメリカ支配 1898年にアメリカとスペインの間で勃発した米西戦争にアメリカが勝利し、同年のパリ条約によりグアム島はフィリピン、プエルトリコとともにアメリカ合衆国に割譲され、植民地支配下におかれました。 アメリカはスペイン同様に現地の文化や風習を無視してグアムのアメリカ化を進めるなど、植民地支配を推し進めました。 日本による占領 ・1941年12月8日、太平洋戦争(大東亜戦争)が勃発。大日本帝国海軍は真珠湾攻撃の5時間後(日本時間午前8時30分)に、グアムへの航空攻撃を開始し、2日後に日本軍がアメリカ軍を放逐し、島名を「大宮島」と改名して大日本帝国領土とし、その後、2年7か月にわたり占領しました。 グアムを占領する日本海軍将兵 Source:Wikimedeia Commons ・1944年7月、グアムの戦いでアメリカ軍が奪還し、以後アメリカ軍は日本軍が使用していた基地を拡張し、戦争終結までの間日本列島への爆撃拠点として使用しました。 再びアメリカに ・1950年にアメリカ合衆国議会により「グアム自治基本法」(Organic Act of Guam)によって主権に制限を受け、「アメリカ合衆国自治的・未編入領域 (organized unincorporated territory)」という政治的地位となり、カールトン・スキナー(Carlton S. Skinner)が初の民間人知事となりました。 第二次世界大戦の終戦後も、現在に至るまでアメリカ軍の太平洋戦略上重要な基地のひとつとしてグアム島は活用され、ベトナム戦争の際も北爆に向かう爆撃機の拠点として使用され、アメリカ軍が経済に与える影響も大きいといえます。 ・1960年代後半以降は、日本からの観光客を中心とした観光地およびリゾート地として発展を遂げ、ホテルやレストラン、免税店などが立ち並んでいます。1990年代以降日本からの観光客は減りましたが、2000年代以降は大韓民国や中華民国からの観光客が増加し、現在は経済面では日本などの海外からの外国人観光客による収入が重要な位置を占めています。 政治 アメリカ準州 アメリカ合衆国の準州であり、国家元首はアメリカ合衆国大統領です。なお住民は大統領選挙の投票権を有していません。ストローポール(擬似投票)が行われるが、選挙結果には反映されません。 1968年以降は公選によって選ばれた知事が内政執行にあたっています。グアム議会が形成されており、議会は立法院のみの一院制です。 1972年以降、合衆国議会下院に、本会議での議決権のない代表を1名選出しています。自主憲法草案が上程されましたが、1979年の住民投票で否決されました。現在でも国際連合非自治地域リストに掲載されています。 コモンウェルスへの昇格運動 隣接する北マリアナ諸島が信託統治を経て1978年に実質的なコモンウェルス(準州)となったことを受けて、グアムでは1980年代から1990年代前半にかけて、プエルト・リコや北マリアナ諸島と同様の自治のレベルを付与したコモンウェルスに向けた重要な推進運動があり、1982年には住民投票を実施してこの方針を決定しました。 しかしながら、連邦政府はグアム準州政府の提案したコモンウェルスへの変更を拒否し、理由として改正案の条項が合衆国憲法の領域条項(Territorial Clause ,Art. IV, Sec. 3, cl. 2)と両立する内容ではないことを挙げました。 加えて連邦政府との折衝に6年もの時をかけ、(The Draft Commonwelth Act of 1988)を提出し本格的な交渉を開始したのは1988年であった。 これに対して運動は徐々にアメリカ本国からの政治的独立、国家としての独立、唯一の独自領土として北マリアナ諸島との連合、或いは現在合衆国の一州となっているハワイとの連合に軸足を置きつつあります。 2003年より2011年1月まで2期に渡りフェリクス・カマチョが知事を務めたが、カマチョは北マリアナとの連合を目指していました。 グアム概要2につづく グアム島全体目次 |