日航機事故再解明の課題 1 青山貞一 Teiichi Aoyama *1,*2 池田こみち Komichi Ikeda *2 鷹取 敦 Atsushi Takatori *2 *1 東京都市大学名誉教授 *2 環境総合研究所(東京都目黒区) August 12, 2015 August 19, 2015 拡充 独立系メディア E-wave Tokyo 無断転載禁 |
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課題 1 課題 2 課題 3 課題 4 課題 5 2015年8月12日で、乗客乗員520名が亡くなった日航機事故から30年となる。事故で亡くなられた方々のご冥福を改めてお祈りしたい。と同時に、犠牲者520名のご遺族の皆様の胸中を思うと、今なお察するに余り有るものがある。 私達は永年、JAL123便事故が世界の最悪事故かと思っていたが、KLMオランダ航空とパンナム(当時)のボーイング747が滑走路場で衝突し、合計で582名が亡くなった事故がワーストワンであることが分かった。しかし、飛行機単独の事故として520名が亡くなった日航機事故は依然として世界ワーストワンである。その意味で、決して日航機事故は、遺族同様、私達のような第三者にとってもけっして風化させてはいけないと考える。 過去30年間、日航機事故の原因及び事故後の救助などに関連し、当初の国の報告に加え、生存者の証言や徹底調査にもとづくドキュメント小説などが多数発表されてきた。奇跡的に助かった日航スチュワーデスの落合さんの証言、また山崎豊子さんは「沈まぬ太陽」を著された遺族だけでなく多くの国民に日航機事故が起きた背景について問題提起をされた。「沈まぬ太陽」は映画化された。以下は書籍、著作のの主なものである。 報告書 ★日本航空 123 便の御巣鷹山墜落事故に係る航空事故調査報告書についての解説 (62-2 日本航空株式会社所属ボーイング式 747SR-100 型 JA8119、 群馬県多野郡上野村山中、昭和 60 年 8 月 12 日) 著作 ★朝日新聞社会部、 『日航ジャンボ機墜落事故』 、朝日新聞社、1985年 ★新藤健一、『映像のトリック』講談社現代新書、1986年 ★吉岡忍『墜落の夏―日航123便事故全記録』 、新潮社、1986年 ★日本赤十字社『救護体験記 : 85・8・12日航機墜落事故現場から』 日本赤十字社、1986年 ★鶴岡憲一・北村行孝、『悲劇の真相:日航ジャンボ機事故調査の677日』 読売新聞社、1991年 ★角田四郎『疑惑―JAL123便墜落事故』 早稲田出版、1993年 ★飯塚訓、群馬県警察高崎警察署身元確認班長、『墜落遺体 御巣鷹山の日航機 123便』 講談社、1998年 ★池田 昌昭、御巣鷹山ファイル JAL123便墜落「事故」真相解明、文芸社、1998年 ★山崎豊子:「沈まぬ太陽」、新潮社、1999年 ★『墜落現場 遺された人たち―御巣鷹山、日航機123便の真実』、講談社、2001年 ★河村一男 『日航機墜落―123便、捜査の真相』 イーストプレス、2004年 ★米田憲司 『御巣鷹の謎を追う-日航123便事故20年』 宝島社、2005年 ★青山透子『日航123便 あの日の記憶 天空の星たちへ 』マガジンランド、2010年 ★美谷島邦子:『御巣鷹山と生きる―日航機墜落事故遺族の25年』 新潮社、2010年 証言 ★落合由美:日航機墜落事故 生存者が語る墜落までの生々しい証言 ★生存者の証言〜川上慶子さんの証言〜 さらにテレビ各局も独自取材をもとに調査報道を行ってきた。とりわけ事故後30年目に当たる2015年には、その後の調査をもとにした報道番組が放映されている。以下は、これまでに報道された主な番組である。 テレビ報道・ドキュメント ★NHK特集「墜落」−日航機墜落事故調査報告、1985年12月15日放送 ★フジテレビ:ザ・ノンフィクション『15年目の検証』、2000年11月19日 ★NNNドキュメント『ドキュメント05.「あの夏…御巣鷹山・日航機墜落それぞれの20年」』 2005年8月14日(深夜)放送。 ★TBS『ボイスレコーダー-残された声の記録〜ジャンボ機墜落20年目の真実』、 2005年8月12日 ★フジテレビ:『8.12日航機墜落30回目の夏 生存者が明かす"32分間の闘い" ボイスレコーダーの"新たな声"』、2014年8月12日 ★NNNドキュメント『ドキュメント.「夏空の墓標 あの日、御巣鷹の尾根で」』 2014年9月1日放送[40]。2014年の夏、航空業界を目指す大学生たちが 御巣鷹への登山を試みた。一方で高齢で慰霊登山を断念する遺族もいる。 彼らの姿を通して事故を振り返る。 ★フジテレビ日航機墜落 ボイスレコーダー Mr サンデー 2014年 ★NHKスペシャル日航ジャンボ機事故:空白の16時間〜"墜落の夜"30年目の真実〜 2015年7月30日 ご多分に漏れず、日航機事故についても、我が国特有の秘密主義のもと、防衛省をはじめとする 捜査当局からの情報開示が限られるなか、インターネット上では、さまざまな第三者的立場からの 事故原因についての本格的な解明や仮説に基づく推論などが多数提起されてきた。 ★日航機墜落事故、飛行経路に対応したボイスレコーダ音声検証 ★日本航空123便墜落事故を検証する ★JAL123便 日航機墜落事故の真相 下の2枚の写真は昨年(2014年)、御巣鷹の尾根への登山口の3.4km手前で撮影したものである。 撮影:池田こみち Nikon Coolpix S6400 2014-7-16 撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8 2014-7-16 本調査の目的は、青山貞一、池田こみち、鷹取敦の3名がこの間、日航機事故に関する各種の文献、資料、書籍、論考、データ、写真、テレビ映像、動画、などについて文献調査を行い、また幾度となく日航機墜落現場及びその周辺に現地調査を行うなかで、改めて前代未聞の航空機事故である日航機事故の原因究明及びその捜査・救助活動のあり方について解明についてその課題を示すものある。 現地調査は、私達の環境総合研究所(東京都目黒区)の保養所が群馬県西部(北軽井沢地区)にあることもあり、群馬県上野村の御巣鷹の尾根、群馬県ぶどう峠、十国峠、群馬県南牧村、長野県の北相木村、南相木村、長野県佐久市、長野県佐久穂町などに行くことが可能なことから、2003年から現在までことある度に行ってきた。 なお、青山、池田、鷹取の3名は、本件、日航機事故及びその関係組織、すなわち国、自治体などの行政、関連する政治家、米軍関係機関、日本航空なについてはまったくの第三者であることを最初に申し添えておく。 ◆日航機事故の再解明に際してのポイント 第一章 1985年8月12日18時24分 相模湾沖上空で日航機に事故が発生した原因について 仮説1 金属疲労による圧力隔壁の破損→垂直尾翼の破損、油圧制御装置 の破損、補助エンジン(APU)の破損 仮説2 航空機のフラッターによる垂直尾翼の破損、油圧制御装置の破損、 補助エンジン(APU)の破損 仮説3 当日、相模湾沖で行われていた海上自衛隊護衛艦「まつゆき」などの 巡航ミサイルの演習による日航機の誤射→垂直尾翼の破損、油圧制御 装置の破損、補助エンジン(APU)の破損 仮説1 金属疲労による圧力隔壁の破損 @日航機事故の事故調査委員会は、事故原因を金属疲労による圧力隔壁の破壊とされてきたが、それは本当か? 確たる証拠があるのか? これについては、以下に詳しいが、確たる証拠があるとは言いがたく、報告書が出てこの方、多くの指摘、批判がある。また以下の報告内容は、数少ない生還者である落合由美氏の生の証言との間でも数々の齟齬、疑義が指摘される。
圧力隔壁の一部が損傷した程度で、2秒の間に巨大な垂直尾翼が破損し、APUも破損するものなのか、大いに疑義を感ずるところだが、本来、数分の一の模型により実験をしてみるべきではないのか? 本来、事故調は、材質、素材の密度などもそれに対応させ、当然かかる圧力も数分の一に対応した模型で実験すべきである。垂直尾翼は、もともと時速900km超の速度で飛行する航空機の尾翼であり、それがいとも簡単に破損していることは驚嘆である。 誰かが言っていたが、圧力隔壁の破壊は、同重大事件(=大惨事)の結果であって、決して、その”原因”ではない。この真実を、われわれは、直視すべきではないのか? Aもとより日航機が操縦不能となった最大の原因、理由は、垂直尾翼の破損ではなく油圧系統の破損にあるのであり、圧力隔壁が金属疲労などにより破壊となったという原因以外にも油圧系統の破壊原因はあるのではないか? B当時のボーイング747型機の場合、4つの油圧系統を制御する油圧制御装置のすべてが航空機の後部にあったことが分かっている。また一部が回収されている補助エンジン(APU)も油圧制御装置の後部に存在していたことが分かっている。
Bその意味で外形的な事故の証拠である垂直尾翼の破壊、油圧制御装置の破損、補助エンジン(APU)の破損など、必ずしも圧力隔壁の破壊だけでなく、他にも原因があってもおかしくはないのではないか? Cたとえば、一部の技術者、研究者からフラッター現象が指摘されている。これはフラッターにより振幅が加速的に増大して翼が破壊され大事故の原因となる可能性であり、これを否定する明白な理由はないはずである。フラッターは高速飛行中の飛行機の翼や胴体などが、風や気流のエネルギーを受けて起こす破壊的な振動をさしている。 D上記の原因について、回収されたフライトレコーダーの内容及び生存者、落合由美さん(JALの非番フライトアテンダント)の各種証言との整合性、さらに垂直尾翼、圧力隔壁、油圧制御装置、補助エンジン(APU)などがどう回収されており、証拠たり得るかが問われる? なお、仮説2の油圧系統問題との関連では、しんぶん赤旗の以下の記事がある。
仮説3 海上自衛隊艦船からのミサイル誤爆 以下は自衛隊ミサイル誤爆という仮説である。 E上記とは別に、仮説として1985年8月12日、神奈川県の相模湾沖にいたとされる「まつゆき」からの誘導ミサイル実験誤射によるミサイルの日航機機体への衝突による垂直尾翼の破損に伴う油圧系統の損傷が指摘されている。 Fただし、「まつゆき」からのEC-1誘導ミサイルの発射には訓練支援艦「あづま」が不可欠である。1985年8月12日、「あづま」は広島県の呉にいたとされていたことから、この仮説の真実性は乏しいと推察される。また「まつゆき」は1986年3月19日就役とされているため、日航機事故時は自衛隊に引き渡される前の公試中であるため、ミサイルを装備していたとは考えにくいという指摘もある。 G一方、1985年当時鋭意開発が進められていた沿岸防衛用国産巡航ミサイル「SSM−1」のプロトタイプ、すなわち爆薬を搭載していない演習用ミサイルではないかという仮説もある。 SSM−1は性能が高く、かなり長い射程でミサイルを発射し、管制できる巡航ミサイルとされている。 H当該国産巡航ミサイルの飛行実験が何らかのアクシデントで、演習用ミサイルをコントロールすることができなくなり、民間航空機の空域に入り込んでしまい日航機の尾翼に衝突したのではないか?という仮説である。 Iこの仮説を荒唐無稽とかたずけることは簡単である。しかし、そのためには当日の海上自衛隊の詳細な行動記録、また実地訓練の詳細が必要となるが、海上自衛隊、防衛省は1985年8月12日の各種記録を公開する用意があるか? Jなお、この巡航ミサイル仮説について、山崎豊子著、『沈まぬ太陽(三)/御巣鷹山篇』では、次のように指摘している。 「藤波調査官ですね」 再び、声をかけられた。今度は三十そこそこの男性だった。 「そうですが―――」 「週刊日本の記者です、ちょっと話を伺いたいのですが」 行く手を阻むように言い、名刺を差し出した。 (一部略) 「どのような話ですか」 「実は、事故機の墜落原因について、聞き捨てならない重大な話を仕込みましてね、 墜落の真相は、自衛隊がミサイル発射訓練に使う標的機が、たまたま飛行中の 国民航空123便の尾翼に衝突したらしいのです、ご意見を聞かせて下さいませんか。 (駅の)ホームで、記者は強引にコメントを求めた。 「いきなりそんな突飛なことを言われても、答えようがないですな」 「おや、おとぼけですか、それとも政府、防衛庁は、事故調査官を棚上げして、 真相を隠蔽するつもりなのですかね」 嫌味な言い方をした。 「確たる証拠でもあるのですか」 「事故機が、最初に緊急事態を発信したあの時刻に、海上自衛隊の護衛艦『たか つき』が、相模湾でちょうど演習中だったのですよ。現に事故の翌日、相模湾内に 尾翼の重要部分である垂直安定版が浮いていて、回収されたではありませんか」 山崎豊子著、『沈まぬ太陽(三)/御巣鷹山篇』より K上記の自衛隊ミサイル誤爆については、「陰謀説」として切り捨てられることが多いが、これを完全に否定するためには、いうまでもなく当日の海上自衛隊の活動詳細についての情報開示が不可欠である。しかし、こと防衛、外交分野における情報公開法の手続きに基づく情報開示請求は、請求内容が防衛あるいは外交に関わると言うだけで事実上却下されている。まして特定秘密保護法制定、施行後はこの種の情報は開示請求すら事実上出来なくなる可能性が高いと言える。 Lところで、上記の仮説3はネット上で妄想や妄言あるいは陰謀論などと呼ばれているようだ。しかし、最近の具体例としてマレーシア空港のMH17事故を思い起こせば、けっして説3はネット上で妄想や妄言あるいは陰謀論で却下すべきことではないと思える。 青山はこの間、ずっとMH17墜落事故について情報を収集し解読してきたが、それによれば、ウクライナ側、親ロシア派側かはとわず、MH17の墜落原因を地対空ミサイルあるいは空対空ミサイルであるとしているのである。ただし、MH17の場合は、ミサイル攻撃が直接、ボーインググ777-200ER墜落の直接的原因となっており、日航機事故のように、垂直尾翼や油圧系統が破壊されることで、間接的に墜落したものではない。 ちなみにウクライナ政府はウクライナ東部ドネツクにいる親ロシア派がロシアのブークという地対空ミサイルを使って打ち落としたとしているのに対し、親ロシア派あるいはロシア政府は、ウクライナ軍が同時刻プーチン大統領を乗せた航空機がウクライナ上空を通過するのにあわせ地対空ミサイルあるいはスホイ戦闘機に搭載した空対空ミサイルによりMH17を誤爆したと推察している。もちろん、日航機事故とマレーシアMH17墜落事故とはあらゆる状況は異なるものの、この種の事故解明では、タブーをもったり常識で判断することは、解明のオプションを減らすことになることを肝に銘じなければならない。 MH17マレーシア機の残骸 出典:スプートニク MH17マレーシア機の残骸写真の数々 出典:スプートニク 事実 1 放射性物質の存在 多量の医療用ラジオアイソトープ(放射性同位体)が 貨物として日航機JAL123便に積載されていた 以下の出典 Wikipedia 事故機には多量の医療用ラジオアイソトープ(放射性同位体)が貨物として積載されていた。また、機体には振動を防ぐ重りとして、一部に劣化ウラン部品も使用されていた。これらの放射性物質が墜落によって現場周辺に飛散し、放射能汚染を引き起こしている可能性があった[13]。このため、捜索に向かっていた陸上自衛隊の部隊は、すぐに現場には入らず別命あるまで待機するよう命令されたという[16]。 [13] 朝日新聞社『日航ジャンボ機墜落 朝日新聞の24時』 [16] 『週刊新潮』1988年8月11日・18日「日航機墜落の御巣鷹山 アイソトープ騒動」 青山コメント: もし、日航機事故が2011年3月11日(通称、3.11)以降に発生したとしたら国民の関心事、政府の対応などがまったく違ったものとなったと思われる。また翌日(1985年8月13日)に救助で現地に入った自衛隊、警察、消防団、マスコミらは、最低限、空間放射線量を計測可能な携帯測定器を持参していたはずである。 文献*(なんでも研究室:1985年のジャンボ機事故と放射性物質、後述)によれば、「放射性物質輸送事故対策会議が開かれたのは日付の変わった13日になってからで、専門家の派遣はその翌日の14日だった。」とされている。 仮説4 放射能汚染問題 さらに文献*(なんでも研究室:1985年のジャンボ機事故と放射性物質、後述)では、以下のような二つの仮説を提起している。 すなわち、「以上から二つの仮説が考えられる。一つは、救助の遅れの原因は、事故機に搭載の放射性物の放射能が弱まるのを待っていたからだということで、早くから現場に飛来し救助のため地上に降りようとしていた米軍が突然撤退した原因 も、日米のテリトリーや面子が理由のように扱われているが、実はこの放射性物の存在が理由ではないだろうか。 いずれにせよタカンや、レーダー、航空機による現場位置は正確に事故現場を示しているのに、いざそれを地図上に落とす段になりいずれも大きくずれてしま うのは考えにくく、何らかの意図が隠されていたのかもしれない。二度の長野情報の原因が解明されれば、また、事故対策会議の内容が明らかになればすべてがはっきりする。 仮説5 垂直尾翼に取り付けられていたウラン重りの脱落による尾翼の破壊 以下も、文献*(なんでも研究室:1985年のジャンボ機事故と放射性物質、後述)から引用している。 もう一つの仮説は、事故原因が圧力隔壁ではなく、垂直尾翼に取り付けられていたウラン重りの脱落による尾翼の破壊ではないかということだ。 この点に付い ては今回多くの調査ができなかったが、本件事故で急減圧は無かったといわれている点などから、垂直尾翼破壊が先にありその後油圧系統の破壊に繋がったいう考え方も成り立つ。 ただウラン重りの脱落、フラッターの発生、垂直尾翼上部の破壊というシナリオは仮説としても根拠がまだ希薄といえる。しかし、国内航空 各社のウラン重りはタングステン製に取りかえられている点や最新のジャンボ機は垂直尾翼が改造されているようなので、安全サイドに改善が加えられたといえる。 いずれにせよ上記2点は、あくまでも仮説なので、これを補強したり否定するような情報があれば是非下記アドレスまでお寄せください。特に関係者からの情報を待っています。 文献 * なんでも研究室 1985年のジャンボ機事故と放射性物質 http://www.geocities.jp/at_mocha/ja123/ja123.htm 仮説6 多量の医療用ラジオアイソトープ(放射性同位体)の落下と 事故後早期に御巣鷹の尾根に到着した地元住民の証言 以下は、日航機墜落後、長野県北相木村の住民(M氏、当時大学を卒業してまもないとあるので、おそらく22歳〜23歳、30年経った現在、52歳〜53歳)が8月12日の夕方から7〜8時間かけ、マウンテンバイクと徒歩で御巣鷹の尾根に到着した際に現地で見た光景についての証言(以下)である。 このM氏の証言は、証言者の氏名、住所などがないこと、また自衛隊の救助部隊ではなく、特殊部隊が午前4時頃に現地におり、地面から拾った物を黙々と入れ続けていたという証言に信憑性がないなどとされている(されてきた)。 しかし、日航機が多量の医療用ラジオアイソトープ(放射性同位体)を貨物として積載していたとし、落下後、自衛隊の特殊部隊がそれらの破片などを探し、拾っていたとすれば、多量の医療用ラジオアイソトープ(放射性同位体)の落下、自衛隊特殊部隊の現地早期到着、落下物の探索と取得はつじつまがあうことになる。 もちろん、多量の医療用ラジオアイソトープ(放射性同位体)が貨物として積載が事実であっても、北相木村住民M氏の証言の信憑性や裏付けに確証がなければならない。 私達は過去、何度も長野県北相木村、南相木村に現地調査ででかけている。今年で日航機事故から30年経っているが、30年経った現在、52歳〜53歳である。今後、何としてもMさんの消息を探り出してみたいと考えている。
つづく |