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日航機事故再解明の課題 1

青山貞一 Teiichi Aoyama *1,*2
池田こみち Komichi Ikeda *2
鷹取 敦 Atsushi Takatori *2
*1 東京都市大学名誉教授
*2
環境総合研究所(東京都目黒区)

August 12, 2015
August 19, 2015 拡充

独立系メディア
E-wave Tokyo
無断転載禁
課題 1  課題 2  課題 3  課題 4  課題 5

 2015年8月12日で、乗客乗員520名が亡くなった日航機事故から30年となる。事故で亡くなられた方々のご冥福を改めてお祈りしたい。と同時に、犠牲者520名のご遺族の皆様の胸中を思うと、今なお察するに余り有るものがある。

 私達は永年、JAL123便事故が世界の最悪事故かと思っていたが、KLMオランダ航空とパンナム(当時)のボーイング747が滑走路場で衝突し、合計で582名が亡くなった事故がワーストワンであることが分かった。しかし、飛行機単独の事故として520名が亡くなった日航機事故は依然として世界ワーストワンである。その意味で、決して日航機事故は、遺族同様、私達のような第三者にとってもけっして風化させてはいけないと考える。

 過去30年間、日航機事故の原因及び事故後の救助などに関連し、当初の国の報告に加え、生存者の証言や徹底調査にもとづくドキュメント小説などが多数発表されてきた。奇跡的に助かった日航スチュワーデスの落合さんの証言、また山崎豊子さんは「沈まぬ太陽」を著された遺族だけでなく多くの国民に日航機事故が起きた背景について問題提起をされた。「沈まぬ太陽」は映画化された。以下は書籍、著作のの主なものである。

報告書
 ★日本航空 123 便の御巣鷹山墜落事故に係る航空事故調査報告書についての解説
   (62-2 日本航空株式会社所属ボーイング式 747SR-100 型 JA8119、
  群馬県多野郡上野村山中、昭和 60 年 8 月 12 日)

著作
 ★朝日新聞社会部、 『日航ジャンボ機墜落事故』 、朝日新聞社、1985年
 ★新藤健一、『映像のトリック』講談社現代新書、1986年
 ★吉岡忍『墜落の夏―日航123便事故全記録』 、新潮社、1986年 
 ★日本赤十字社『救護体験記 : 85・8・12日航機墜落事故現場から』
   日本赤十字社、1986年
 ★鶴岡憲一・北村行孝、『悲劇の真相:日航ジャンボ機事故調査の677日』
   読売新聞社、1991年
 ★角田四郎『疑惑―JAL123便墜落事故』 早稲田出版、1993年
 ★飯塚訓、群馬県警察高崎警察署身元確認班長、『墜落遺体 御巣鷹山の日航機
   123便』 講談社、1998年
 ★池田 昌昭、御巣鷹山ファイル JAL123便墜落「事故」真相解明、文芸社、1998年
 ★山崎豊子:「沈まぬ太陽」、新潮社、1999年
 ★『墜落現場 遺された人たち―御巣鷹山、日航機123便の真実』、講談社、2001年
 ★河村一男 『日航機墜落―123便、捜査の真相』 イーストプレス、2004年
 ★米田憲司 『御巣鷹の謎を追う-日航123便事故20年』 宝島社、2005年
 ★青山透子『日航123便 あの日の記憶 天空の星たちへ 』マガジンランド、2010年 
 ★美谷島邦子:『御巣鷹山と生きる―日航機墜落事故遺族の25年』 新潮社、2010年

証言
 ★落合由美:日航機墜落事故 生存者が語る墜落までの生々しい証言
 ★生存者の証言〜川上慶子さんの証言〜

 さらにテレビ各局も独自取材をもとに調査報道を行ってきた。とりわけ事故後30年目に当たる2015年には、その後の調査をもとにした報道番組が放映されている。以下は、これまでに報道された主な番組である。

テレビ報道・ドキュメント
 ★NHK特集「墜落」−日航機墜落事故調査報告、1985年12月15日放送
 ★フジテレビ:ザ・ノンフィクション『15年目の検証』、2000年11月19日
 ★NNNドキュメント『ドキュメント05.「あの夏…御巣鷹山・日航機墜落それぞれの20年」』
     2005年8月14日(深夜)放送。
 ★TBS『ボイスレコーダー-残された声の記録〜ジャンボ機墜落20年目の真実』、
    2005年8月12日
 ★フジテレビ:『8.12日航機墜落30回目の夏 生存者が明かす"32分間の闘い"
   ボイスレコーダーの"新たな声"』、2014年8月12日
 ★NNNドキュメント『ドキュメント.「夏空の墓標 あの日、御巣鷹の尾根で」』
     2014年9月1日放送[40]。2014年の夏、航空業界を目指す大学生たちが
     御巣鷹への登山を試みた。一方で高齢で慰霊登山を断念する遺族もいる。
     彼らの姿を通して事故を振り返る。
 ★フジテレビ日航機墜落 ボイスレコーダー Mr サンデー 2014年
 ★NHKスペシャル日航ジャンボ機事故:空白の16時間〜"墜落の夜"30年目の真実〜
   2015年7月30日

 ご多分に漏れず、日航機事故についても、我が国特有の秘密主義のもと、防衛省をはじめとする
捜査当局からの情報開示が限られるなか、インターネット上では、さまざまな第三者的立場からの
事故原因についての本格的な解明や仮説に基づく推論などが多数提起されてきた。

 ★日航機墜落事故、飛行経路に対応したボイスレコーダ音声検証
 ★日本航空123便墜落事故を検証する
 ★JAL123便 日航機墜落事故の真相
 
 下の2枚の写真は昨年(2014年)、御巣鷹の尾根への登山口の3.4km手前で撮影したものである。


撮影:池田こみち Nikon Coolpix S6400 2014-7-16


撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8 2014-7-16


 本調査の目的は、青山貞一、池田こみち、鷹取敦の3名がこの間、日航機事故に関する各種の文献、資料、書籍、論考、データ、写真、テレビ映像、動画、などについて文献調査を行い、また幾度となく日航機墜落現場及びその周辺に現地調査を行うなかで、改めて前代未聞の航空機事故である日航機事故の原因究明及びその捜査・救助活動のあり方について解明についてその課題を示すものある。

 現地調査は、私達の環境総合研究所(東京都目黒区)の保養所が群馬県西部(北軽井沢地区)にあることもあり、群馬県上野村の御巣鷹の尾根、群馬県ぶどう峠、十国峠、群馬県南牧村、長野県の北相木村、南相木村、長野県佐久市、長野県佐久穂町などに行くことが可能なことから、2003年から現在までことある度に行ってきた。
 
 なお、青山、池田、鷹取の3名は、本件、日航機事故及びその関係組織、すなわち国、自治体などの行政、関連する政治家、米軍関係機関、日本航空なについてはまったくの第三者であることを最初に申し添えておく。


◆日航機事故の再解明に際してのポイント

第一章 1985年8月12日18時24分
     相模湾沖上空で日航機に事故が発生した原因について


  仮説1 金属疲労による圧力隔壁の破損→垂直尾翼の破損、油圧制御装置
       の破損、補助エンジン(APU)の破損
  仮説2 航空機のフラッターによる垂直尾翼の破損、油圧制御装置の破損、
       補助エンジン(APU)の破損
  仮説3 当日、相模湾沖で行われていた海上自衛隊護衛艦「まつゆき」などの
       巡航ミサイルの演習による日航機の誤射→垂直尾翼の破損、油圧制御
       装置の破損、補助エンジン(APU)の破損

仮説1 金属疲労による圧力隔壁の破損

@日航機事故の事故調査委員会は、事故原因を金属疲労による圧力隔壁の破壊とされてきたが、それは本当か? 確たる証拠があるのか?

 これについては、以下に詳しいが、確たる証拠があるとは言いがたく、報告書が出てこの方、多くの指摘、批判がある。また以下の報告内容は、数少ない生還者である落合由美氏の生の証言との間でも数々の齟齬、疑義が指摘される。

日本航空 123 便の御巣鷹山墜落事故に係る航空事故調査報告書について
 の 解説(62-2 日本航空株式会社所属ボーイング式 747SR-100 型 JA8119

     群馬県多野郡上野村山中、昭和 60 年 8 月 12 日)
   
 上記報告は、1987年6月19日、事故調査委員会は事故調査報告書を公表し、本事故の推定原因を発表した。その要旨は以下のとおりである[i 1]。

 事故機の後部圧力隔壁が損壊し、その損壊部分から客室内の空気が機体後部に流出したことによって、機体尾部と垂直尾翼の破壊が起こった。さらに、4系統ある油圧パイプがすべて破壊されたことで作動油が流出し、操縦機能の喪失が起こった。

 圧力隔壁の損壊は、隔壁の接続部の金属疲労によって発生した亀裂により、隔壁の強度が低下し、飛行中の与圧に耐えられなくなったために生じたと推定される。



ボーイング747型機の後部圧力隔壁(機内側より)
出典:Wikipedia/ボーイング社

 以下は日本航空安全啓発センターに展示されている圧力隔壁の再現物です。ビデオでは、事故の原因となった圧力隔壁と述べているが、下の再現物だけを見てはたして圧力隔壁が壊れた結果、垂直尾翼、油圧制御装置、補助エンジン(APU)が壊れたのか、それとも何らかの理由で垂直尾翼が吹き飛んだ結果、圧力隔壁、油圧制御装置、補助エンジン(APU)が壊れたのかはわからないはずである。

 参考:日航ジャンボ機墜落の残骸 (安全啓発センター) ビデオ


出典:日本航空安全啓発センター ビデオ


出典:日本航空安全啓発センター ビデオ



出典:日本航空安全啓発センター ビデオ


出典:日本航空安全啓発センター ビデオ


出典:日本航空安全啓発センター  ビデオ

 この亀裂の発生は、1978年に起きた同機の「しりもち事故」の際に、米国ボーイング社による修理が不適切なもの(修理交換した隔壁の下半分と上半分との繋ぎ目に挟む部材が途中で2枚にカットされていたため、本来2列必要なリベットが1列分しか利かず、接続強度が不足した状態)であったことに起因する。また、点検でこれらの異常を発見できなかったことも事故原因に関与したと思われる。

 また、報告書では調査結果に基づき、大規模な機体の修理を行う場合は、その修理部分を特別に点検項目に加えて継続監視することや、与圧構造が損壊した場合のフェイルセーフ性を耐空基準に追加することなどを勧告した[k 1]。


◆圧力泊壁→垂直尾翼→APU破壊の過程

 以下はフジテレビ日航機墜落 ボイスレコーダー Mr サンデーにおける圧力隔壁の破損から垂直尾翼が破損され、さらにAPU(補助エンジン)が破損される過程を示したアニメーションの切り出し静止画である。


出典:フジテレビ 日航機墜落 ボイスレコーダー Mr サンデー


出典:フジテレビ 日航機墜落 ボイスレコーダー Mr サンデー


出典:フジテレビ 日航機墜落 ボイスレコーダー Mr サンデー

 以下は回収されたボイスレコーダーの騒音レベルから見たもので、@が圧力隔壁の破損時、Aが垂直尾翼の破損時、BがAPU(補助エンジン)破損時の騒音であると断定している。時間的にはわずか2秒以内である。


出典:フジテレビ 日航機墜落 ボイスレコーダー Mr サンデー

 圧力隔壁の一部が損傷した程度で、2秒の間に巨大な垂直尾翼が破損し、APUも破損するものなのか、大いに疑義を感ずるところだが、本来、数分の一の模型により実験をしてみるべきではないのか? 本来、事故調は、材質、素材の密度などもそれに対応させ、当然かかる圧力も数分の一に対応した模型で実験すべきである。垂直尾翼は、もともと時速900km超の速度で飛行する航空機の尾翼であり、それがいとも簡単に破損していることは驚嘆である。

 誰かが言っていたが、圧力隔壁の破壊は、同重大事件(=大惨事)の結果であって、決して、その”原因”ではない。この真実を、われわれは、直視すべきではないのか?

Aもとより日航機が操縦不能となった最大の原因、理由は、垂直尾翼の破損ではなく油圧系統の破損にあるのであり、圧力隔壁が金属疲労などにより破壊となったという原因以外にも油圧系統の破壊原因はあるのではないか? 

B当時のボーイング747型機の場合、4つの油圧系統を制御する油圧制御装置のすべてが航空機の後部にあったことが分かっている。また一部が回収されている補助エンジン(APU)も油圧制御装置の後部に存在していたことが分かっている。

◆ボーイング747型機の後部断面
 後部には垂直尾翼、方向蛇の他、後部圧力隔壁、油圧制御装置、補助エンジン(APU)などがある。

http://jal123.blog99.fc2.com/blog-category-21.html


ボーイング747の脱落した垂直尾翼の部位と位置


http://matome.naver.jp/odai/2137658341727256101

◆垂直尾翼の破壊
 国の事故調査報告書では、事故機の垂直尾翼の破壊過程については、尾翼の回収が部分的であるため、その詳細は特定できなかったとしている[h 1]。損壊した垂直尾翼については、事故から2か月以上が過ぎた1985年11月に、海上保安庁の協力を得て相模湾周辺の海底探査が行われたが、何も発見できずに打ち切られており、垂直尾翼の大半は回収されなかった。
 1986年4月25日に行われた事故調査報告書の案を検討する聴聞会では、公述人として参加した技術関係者や学識経験者から、事故原因の究明に重要な要素である垂直尾翼の破壊過程が十分に解明されていないという意見が出た。また、尾翼の捜索も不十分であるという指摘もあった[8][10]。

 米国の最新鋭ステルス戦闘機B-2は下の写真のように垂直尾翼はまったくない。


米国の最新鋭ステルス戦闘機B-2

◆垂直尾翼破壊と航空機操縦
 123便の事故では、垂直尾翼を失ったことが非常に目立つため、それが墜落の原因みたいに誤解されています。123便の墜落は、4系統ある油圧が全て失われ、操縦不能になったことが原因です。さて、垂直尾翼を失ったら・・・。安定は悪くなりますが、十分操縦可能でしょう。ただ、通常の機とは違いますから、操作がうまくできずに墜落してしまうことはありえると思いますが、着陸は可能でしょう。実際、大型の爆撃機で垂直尾翼をほとんど失って生還した機もありました。
出典:http://okwave.jp/qa/q3637855/a11053134.html

◆垂直尾翼破壊と航空機操縦
 垂直尾翼は横方向の安定が主たる機能です。垂直尾翼を失うと横風で方向がふらついたり、横滑りをしたりするなど、横方向安定性が悪くなりますが、直ちに墜落するわけではありません。日航機事故のときも垂直尾翼を失ってから20分ちかく飛行を続けましたし、過去には垂直尾翼がなくなっても生還できた例があります。ただ、垂直尾翼を失うような事態では、その他の機能にも重大なダメージを受ける可能性が高くなります。日航機事故のときは補助翼などを操作する油圧が垂直尾翼付近で4系統全てが集中していたために、全てに損傷が及んでしまい、ほとんど操縦不能に陥ってしまいました。 もしはじめから油圧系統が分散配置するような設計がされ、1系統でも油圧が残れば違う結果になったかも知れません。
http://okwave.jp/qa/q3637855/a11054122.html

◆油圧制御装置と航空機の操縦
Q:日本航空墜落事件ではハイドロプレッシャー(油圧操縦)システムの4系統全てに損傷が及んだ結果、油圧を使用したエレベーター(昇降舵)やエルロン(補助翼)の操舵が不可能になってしまったので現在の航空機でも垂直尾翼がなくなったら墜落しますか?

A:ハイドロプレッシャー(油圧操縦)に損傷が無いとすればエレベーター(昇降舵)やエルロン(補助翼)が正常に動くならば、時間は掛かるが・・旋回することは可能です上にも下にも旋回もできますしたがって、十分に着陸することは可能です。
http://okwave.jp/qa/q3637855/a11052801.html

◆ボーイング747型機の油圧操縦対象の名称

http://hamakazuchan.la.coocan.jp/aircraft/B747-400%20FLCS.jpg

ボーイング747の油圧系統の位置

http://www.airdisaster.com/eyewitness/ual232fig2.jpg

◆ボーイング747の油圧・電気系統
 油圧や電気の系統は2重から4重の冗長性を持たせた。しかしながら、日本航空123便墜落事故では油圧配管が上部に集中している機体尾部が破壊されたため、全ての油圧が失われて墜落につながったとされた。この点は設計ミスとして改修を余儀無くされている
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9C%E3%83%BC%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%82%B0747
<事故発生>
18時24分(離陸から12分後)123便の垂直尾翼は後部圧力隔壁の破壊により垂直安定板の下半分のみを残して破壊され、油圧系統全てが制御不能となってしまう。そのため両主翼にあるエンジンの推力調整のみでの飛行を余儀なくされる



仮説2 航空機のフラッターによる垂直尾翼の破損、油圧制御装置の破損、
       補助エンジン(APU)の破損


◆フラッター現象(英語:flutter)
 フラッター現象とは、はためきや回転むら等という意味で、橋やその他の構造物、特に高速飛行中の飛行機の翼や胴体などが、風や気流のエネルギーを受けて起こす破壊的な振動をさすことが多い。

 飛行機の機体は一種の弾性体であり、飛行中に翼などに起こる弾性振動は低速時には空気の力で減衰されるが、ある限界以上の高速になると空気の力で逆に翼の振動を助長し、振幅が加速的に増大して翼が破壊され大事故の原因となる。解決方法としては翼の剛性を高め、空気力学的形状を改良することなどで解決する。一般的には翼に働く空力中心と重心とを近づけ、揚力で翼が捩れないようにする。出典:Wikipedia

脱落したAPU防火壁以降の尾部胴体
 日航機では衝撃音とほぼ同時にAPU防火壁以降の機体最後部に位置する胴体が破壊・脱落した。脱落した尾部胴体(APU本体・防火壁を含む)のほとんどは発見されなかったが、唯一APU空気取り入れダクトが相模湾上で回収された為、その他の尾部胴体構造も相模湾に落下したものと考えられている。

http://jal123.blog99.fc2.com/blog-category-21.html

 ちなみに以下の図は、A380型機の油圧系統を示している。見て分かるように、主翼と尾翼、垂直尾翼部分に油圧制御部分が集中していることが分かる。

A380の油圧系統

http://www.airliners.net/aviation-forums/tech_ops/read.main/187531/

Bその意味で外形的な事故の証拠である垂直尾翼の破壊、油圧制御装置の破損、補助エンジン(APU)の破損など、必ずしも圧力隔壁の破壊だけでなく、他にも原因があってもおかしくはないのではないか? 

Cたとえば、一部の技術者、研究者からフラッター現象が指摘されている。これはフラッターにより振幅が加速的に増大して翼が破壊され大事故の原因となる可能性であり、これを否定する明白な理由はないはずである。フラッターは高速飛行中の飛行機の翼や胴体などが、風や気流のエネルギーを受けて起こす破壊的な振動をさしている。

D上記の原因について、回収されたフライトレコーダーの内容及び生存者、落合由美さん(JALの非番フライトアテンダント)の各種証言との整合性、さらに垂直尾翼、圧力隔壁、油圧制御装置、補助エンジン(APU)などがどう回収されており、証拠たり得るかが問われる? 

 なお、仮説2の油圧系統問題との関連では、しんぶん赤旗の以下の記事がある。

◆日航ジャンボ機 御巣鷹墜落事故
 機長らは車輪に注目 事故調「圧力隔壁説」と食い違い
 本紙入手ボイスレコーダ記録で判明

 2000年 8月 5日 (土)「しんぶん赤旗」

 十五年前の一九八五年八月十二日、群馬県・御巣鷹の尾根に墜落し、単独機としては史上最大の犠牲者五百二十人を出した日本航空123便(乗客・乗員五百二十四人)のボイスレコーダー(操縦室音声記録=CVR)の記録を四日までに本紙が入手しました。航空関係者らの協力で分析した結果、会話の内容は、運輸省航空事故調査委員会が作成した事故調査報告書と、事故原因の究明にかかわる重要部分で食い違いが判明。聞き違いと思われる個所とともに、まったく違う時間帯の会話を入れ替え、作為的としか考えられない部分があるなどの問題点が明らかになりました。

 123便のボイスレコーダーは、十二日午後六時二十四分十二秒から始まり、同三十五秒ころ、「ド、ドーン、ドーン」という爆発音か破壊音があり、直後に機長が「なんか爆発したぞ」「ギア(車輪)見て、ギア」と続いています。このあと報告書では、不可解な解読として「エンジン?」や「オールエンジン」という機長や航空機関士の言葉が記録されています。

 しかし、この不可解な言葉を本紙が入手したテープで、複数のパイロットらが聞くと、いずれも「ボディギア(胴体側の車輪)」と聞こえました。事故機のボーイング747型機には四本の主車輪があり、左右の主翼にウイングギア、胴体部分に二本のボディギアがついていて油圧だけで収納されます。機長らのやりとりがボディギアであれば、異常事態に伴って油圧系統が機能しなくなった事実からボディギアの収納位置がずれた可能性があります。

 航空事故調査委員会が八七年六月に発表した事故調査報告書は、過去、大阪で「しりもち事故」を起こしていた123便の後部圧力隔壁が修理ミスによる金属疲労で破壊され、加圧された客室の空気が噴出したため、胴体尾部、垂直尾翼、操縦系統の損壊につながって操縦不能に陥ったと推定しています。しかし、操縦室では事故調が推定している隔壁破壊による急減圧ではなく、車輪の異常に注意が向けられた会話になっており、事故原因に疑問を投げかけるものになっています。

 また、ボイスレコーダーでは、酸素マスク着用の会話が異常発生から九分十秒以上経過した時点であったにもかかわらず、事故調の発表では異常発生から一分五十五秒後に変えられていたことが明らかになりました。

隔壁破壊はなかった

真相追及する元日航パイロット藤田日出男さん

 もし、事故調が指摘するように急減圧によって隔壁が破壊されているなら、機長はまず「マスクオン」(酸素マスクをつけて)と指示しているはずだ。ボイスレコーダーを聞くと、聞き違い、誤認というよりも「隔壁破壊先にありき」で、つじつまあわせの報告書づくりといわれても仕方がない。

 私は垂直尾翼が先に破壊され、油圧系統に異常が発生したとみているが、事故原因に関する新たな事実が出てきた以上、調査の再開を求めていきたい。

ボイスレコーダー

 航空機の事故原因を解明するために、操縦室内の会話を三十分にわたってエンドレスで記録します。フライト・レコーダー(飛行記録装置)とともに、搭載が義務づけられています。

日航機御巣鷹墜落

ボイスレコーダー入手で明らかになったもの真の原因究明へ手がかり

 一九八五年八月十二日に起きた日航123便事故は、事故直後から事故原因の真相をはじめ、墜落地点の確認や救難活動の遅れなど、さまざまな疑問がある点で、極めて特異な事故として位置づけられてきました。

 今回ボイスレコーダーの入手で明らかになったのは、運輸省事故調査委員会が作成した事故調査報告書でしか分からなかった操縦室での機長、副操縦士、航空機関士の緊急時のやりとりです。

 事故調は、ボーイング社が自認した後部圧力隔壁の修理ミスによる破壊によって客室内の空気が一挙に噴き出て、垂直尾翼や油圧系統を壊したと推定しています。そうなると、操縦室や客室は急減圧で酸素不足になり、酸素マスクが必要になってきます。

 事故報告書では「パイロットらのマスクの着用については、ボイスレコーダーに18時26分30秒以降数回にわたり酸素マスク着用についての声が記録されているが、(中略)酸素マスクを着用しなかったものと推定される」と分析しています。しかし、本紙が入手したボイスレコーダーでは、26分台の時間帯にはそのような会話はありません。

 123便の事故の真相を究明してきた航空関係者らは、事故報告書が公表された時から報告書に疑問を呈してきました。

 例えば報告書にあるような事態であったとするなら操縦席のドアは吹っ飛び、客室内の物や人が穴のあいた後方に向かってすごい勢いで飛んでいきます。

 しかし、入手したボイスレコーダーでは、「ド、ドーン」という破壊音のあとには何も聞こえていません。急減圧が起こると、乗客・乗員の耳が痛くなり、室温もマイナス四〇度ぐらいになってしまいます。ところが、四人の生存者のだれ一人として、空気の激しい流れや「寒かった」と証言していません。

 ということは、報告書に記載されているような急減圧はなく、隔壁破壊はなかったことになり、事故原因の根本が崩れてしまいます。

 事故調が、隔壁破壊、急減圧にこだわった背景には、墜落事故直後から米政府やボーイング社が隔壁破壊を原因とする説を意識的に流したことがあるという指摘もありました。123便に限定された事故となれば売りこみに支障をきたさないからです。

 事故調査の基本は、事故の再発防止にあります。IC AO(国際民間航空機関)の第十三付属書の五の十三では、「調査の再開」として、新しく重大な証拠を入手した場合には、調査団はただちに調査を再開しなければならない、としています。運輸省は「事故原因の調査は公式に終了した」との姿勢をとってきましたが、多数の犠牲者の死を無駄にしないためにも調査の再開を検討すべきです。

(米田憲司記者)


仮説3 海上自衛隊艦船からのミサイル誤爆

 以下は自衛隊ミサイル誤爆という仮説である。

E上記とは別に、仮説として1985年8月12日、神奈川県の相模湾沖にいたとされる「まつゆき」からの誘導ミサイル実験誤射によるミサイルの日航機機体への衝突による垂直尾翼の破損に伴う油圧系統の損傷が指摘されている。

Fただし、「まつゆき」からのEC-1誘導ミサイルの発射には訓練支援艦「あづま」が不可欠である。1985年8月12日、「あづま」は広島県の呉にいたとされていたことから、この仮説の真実性は乏しいと推察される。また「まつゆき」は1986年3月19日就役とされているため、日航機事故時は自衛隊に引き渡される前の公試中であるため、ミサイルを装備していたとは考えにくいという指摘もある。

G一方、1985年当時鋭意開発が進められていた沿岸防衛用国産巡航ミサイル「SSM−1」のプロトタイプ、すなわち爆薬を搭載していない演習用ミサイルではないかという仮説もある。 SSM−1は性能が高く、かなり長い射程でミサイルを発射し、管制できる巡航ミサイルとされている。

H当該国産巡航ミサイルの飛行実験が何らかのアクシデントで、演習用ミサイルをコントロールすることができなくなり、民間航空機の空域に入り込んでしまい日航機の尾翼に衝突したのではないか?という仮説である。

Iこの仮説を荒唐無稽とかたずけることは簡単である。しかし、そのためには当日の海上自衛隊の詳細な行動記録、また実地訓練の詳細が必要となるが、海上自衛隊、防衛省は1985年8月12日の各種記録を公開する用意があるか?

Jなお、この巡航ミサイル仮説について、山崎豊子著、『沈まぬ太陽(三)/御巣鷹山篇』では、次のように指摘している。

   「藤波調査官ですね」
   再び、声をかけられた。今度は三十そこそこの男性だった。
   「そうですが―――」
   「週刊日本の記者です、ちょっと話を伺いたいのですが」
    行く手を阻むように言い、名刺を差し出した。
   (一部略)
   「どのような話ですか」
   「実は、事故機の墜落原因について、聞き捨てならない重大な話を仕込みましてね、
    墜落の真相は、自衛隊がミサイル発射訓練に使う標的機が、たまたま飛行中の
    国民航空123便の尾翼に衝突したらしいのです、ご意見を聞かせて下さいませんか。
    (駅の)ホームで、記者は強引にコメントを求めた。
   「いきなりそんな突飛なことを言われても、答えようがないですな」
   「おや、おとぼけですか、それとも政府、防衛庁は、事故調査官を棚上げして、
    真相を隠蔽するつもりなのですかね」
    嫌味な言い方をした。
   「確たる証拠でもあるのですか」
   「事故機が、最初に緊急事態を発信したあの時刻に、海上自衛隊の護衛艦『たか
    つき』が、相模湾でちょうど演習中だったのですよ。現に事故の翌日、相模湾内に
    尾翼の重要部分である垂直安定版が浮いていて、回収されたではありませんか」
    山崎豊子著、『沈まぬ太陽(三)/御巣鷹山篇』より

K上記の自衛隊ミサイル誤爆については、「陰謀説」として切り捨てられることが多いが、これを完全に否定するためには、いうまでもなく当日の海上自衛隊の活動詳細についての情報開示が不可欠である。しかし、こと防衛、外交分野における情報公開法の手続きに基づく情報開示請求は、請求内容が防衛あるいは外交に関わると言うだけで事実上却下されている。まして特定秘密保護法制定、施行後はこの種の情報は開示請求すら事実上出来なくなる可能性が高いと言える。

Lところで、上記の仮説3はネット上で妄想や妄言あるいは陰謀論などと呼ばれているようだ。しかし、最近の具体例としてマレーシア空港のMH17事故を思い起こせば、けっして説3はネット上で妄想や妄言あるいは陰謀論で却下すべきことではないと思える。

 青山はこの間、ずっとMH17墜落事故について情報を収集し解読してきたが、それによれば、ウクライナ側、親ロシア派側かはとわず、MH17の墜落原因を地対空ミサイルあるいは空対空ミサイルであるとしているのである。ただし、MH17の場合は、ミサイル攻撃が直接、ボーインググ777-200ER墜落の直接的原因となっており、日航機事故のように、垂直尾翼や油圧系統が破壊されることで、間接的に墜落したものではない。

 ちなみにウクライナ政府はウクライナ東部ドネツクにいる親ロシア派がロシアのブークという地対空ミサイルを使って打ち落としたとしているのに対し、親ロシア派あるいはロシア政府は、ウクライナ軍が同時刻プーチン大統領を乗せた航空機がウクライナ上空を通過するのにあわせ地対空ミサイルあるいはスホイ戦闘機に搭載した空対空ミサイルによりMH17を誤爆したと推察している。もちろん、日航機事故とマレーシアMH17墜落事故とはあらゆる状況は異なるものの、この種の事故解明では、タブーをもったり常識で判断することは、解明のオプションを減らすことになることを肝に銘じなければならない。


MH17マレーシア機の残骸 出典:スプートニク


MH17マレーシア機の残骸写真の数々 出典:スプートニク


 事実 1
 放射性物質の存在
       多量の医療用ラジオアイソトープ(放射性同位体)が
       貨物として日航機JAL123便に積載されていた

 以下の出典 Wikipedia

 事故機には多量の医療用ラジオアイソトープ(放射性同位体)が貨物として積載されていた。また、機体には振動を防ぐ重りとして、一部に劣化ウラン部品も使用されていた。これらの放射性物質が墜落によって現場周辺に飛散し、放射能汚染を引き起こしている可能性があった[13]。このため、捜索に向かっていた陸上自衛隊の部隊は、すぐに現場には入らず別命あるまで待機するよう命令されたという[16]。

[13] 朝日新聞社『日航ジャンボ機墜落 朝日新聞の24時』
[16] 『週刊新潮』1988年8月11日・18日「日航機墜落の御巣鷹山 アイソトープ騒動」

 青山コメント:

 もし、日航機事故が2011年3月11日(通称、3.11)以降に発生したとしたら国民の関心事、政府の対応などがまったく違ったものとなったと思われる。また翌日(1985年8月13日)に救助で現地に入った自衛隊、警察、消防団、マスコミらは、最低限、空間放射線量を計測可能な携帯測定器を持参していたはずである。
 
 文献*(なんでも研究室:1985年のジャンボ機事故と放射性物質、後述)によれば、「放射性物質輸送事故対策会議が開かれたのは日付の変わった13日になってからで、専門家の派遣はその翌日の14日だった。」とされている。


 仮説4 放射能汚染問題

 さらに文献*(なんでも研究室:1985年のジャンボ機事故と放射性物質、後述)では、以下のような二つの仮説を提起している。

 すなわち、「以上から二つの仮説が考えられる。一つは、救助の遅れの原因は、事故機に搭載の放射性物の放射能が弱まるのを待っていたからだということで、早くから現場に飛来し救助のため地上に降りようとしていた米軍が突然撤退した原因 も、日米のテリトリーや面子が理由のように扱われているが、実はこの放射性物の存在が理由ではないだろうか。

 いずれにせよタカンや、レーダー、航空機による現場位置は正確に事故現場を示しているのに、いざそれを地図上に落とす段になりいずれも大きくずれてしま うのは考えにくく、何らかの意図が隠されていたのかもしれない。二度の長野情報の原因が解明されれば、また、事故対策会議の内容が明らかになればすべてがはっきりする。



 仮説5 垂直尾翼に取り付けられていたウラン重りの脱落による尾翼の破壊
 
 
 以下も、文献*(なんでも研究室:1985年のジャンボ機事故と放射性物質、後述)から引用している。
   
 もう一つの仮説は、事故原因が圧力隔壁ではなく、垂直尾翼に取り付けられていたウラン重りの脱落による尾翼の破壊ではないかということだ。

 この点に付い ては今回多くの調査ができなかったが、本件事故で急減圧は無かったといわれている点などから、垂直尾翼破壊が先にありその後油圧系統の破壊に繋がったいう考え方も成り立つ。

 ただウラン重りの脱落、フラッターの発生、垂直尾翼上部の破壊というシナリオは仮説としても根拠がまだ希薄といえる。しかし、国内航空 各社のウラン重りはタングステン製に取りかえられている点や最新のジャンボ機は垂直尾翼が改造されているようなので、安全サイドに改善が加えられたといえる。

 いずれにせよ上記2点は、あくまでも仮説なので、これを補強したり否定するような情報があれば是非下記アドレスまでお寄せください。特に関係者からの情報を待っています。


文献 * なんでも研究室
1985年のジャンボ機事故と放射性物質

http://www.geocities.jp/at_mocha/ja123/ja123.htm


 仮説6 多量の医療用ラジオアイソトープ(放射性同位体)の落下と
      事故後早期に御巣鷹の尾根に到着した地元住民の証言
 

 以下は、日航機墜落後、長野県北相木村の住民(M氏、当時大学を卒業してまもないとあるので、おそらく22歳〜23歳、30年経った現在、52歳〜53歳)が8月12日の夕方から7〜8時間かけ、マウンテンバイクと徒歩で御巣鷹の尾根に到着した際に現地で見た光景についての証言(以下)である。

 このM氏の証言は、証言者の氏名、住所などがないこと、また自衛隊の救助部隊ではなく、特殊部隊が午前4時頃に現地におり、地面から拾った物を黙々と入れ続けていたという証言に信憑性がないなどとされている(されてきた)。

 しかし、日航機が多量の医療用ラジオアイソトープ(放射性同位体)を貨物として積載していたとし、落下後、自衛隊の特殊部隊がそれらの破片などを探し、拾っていたとすれば、多量の医療用ラジオアイソトープ(放射性同位体)の落下、自衛隊特殊部隊の現地早期到着、落下物の探索と取得はつじつまがあうことになる。

 もちろん、多量の医療用ラジオアイソトープ(放射性同位体)が貨物として積載が事実であっても、北相木村住民M氏の証言の信憑性や裏付けに確証がなければならない。

 私達は過去、何度も長野県北相木村、南相木村に現地調査ででかけている。今年で日航機事故から30年経っているが、30年経った現在、52歳〜53歳である。今後、何としてもMさんの消息を探り出してみたいと考えている。

◆事故当日、オフロードバイクで墜落現場に到達した地元住民ヒヤリング

司会:それでは、Mさんよろしくお願いします。Mさんは事故当夜、現場に向かわれたそうですが、まず、そのいきさつを教えてください。

M氏[1]:私の実家は、事故現場から見て西側、長野県の方にあります。当時は大学を卒業して社会人になったばかりで、事故当日はお盆ということもあり、たまたま実家に帰省していました。

事故の速報を知ったのが、12日夕方の(午後、筆者注)7時過ぎ頃だったと思います。その時は墜落現場は(長野県の)北相木村付近という報道でした。そこで、北相木村やもっと南に位置する川上村に住む知り合いに電話を掛けて様子を尋ねたところ、どちらも墜落は確認できてないとのことなので、残るは南相木村の山間部しかないと思い、そちらに向かいました。たまたま高校時代の友人2名と一緒だったので、事故現場に行ってみようということになりました。まだ、若かったですから、その時はただ、何としても現場に一番乗りしてやるぞ、インタビューされてテレビに映ってやるぞ、ぐらいの本当に軽い気持ちしかありませんでした。

オフロードバイクにまたがり、友人2人(それぞれオフロードとオンロードバイクを使用)と共に南相木村に向けて出発し、おそらく21時頃までには南相木村からの林道に入っていたと思います。ただし、オンロードバイクの友人は途中でこの行程から抜け、林道から先を進んだのは、オフロードにのったボクたち2人だけです。

司会:その時刻はまだ、墜落地点は判明してませんでしたよね(公式発表は翌朝5時以降)。そこからどこに進めばよいか、どう判断したのですか?

M氏[2]:そんなの訳ないですよ。上空で戦闘機が、それもおそらく2機がぐるぐる旋回している音がしてましたから、墜落現場はその(旋回)音の中心付近だなとすぐに分かりました。そこで、バイクで可能な限り近くの林道を進んで、そこから先は徒歩で山に入ることにしました。

司会:ええっ?じゃぁもうその時点で墜落地点はわかっていたと・・・

M氏[3]:はい。当然、警察も分かっていたはずですよ。だってボクたちが南相木村へ向かってるその後ろから、警察の白バイが着いてきましたから。でも、普通のバイクなので切替しの多い山道に難渋していて、オフロードに乗ったボクたちは簡単に振り切っちゃいましたけど(笑)。

林道の終点から山に入ってからは、途中、山の頂きへ登る度に、ヘリの音がする方向を探して、墜落地点を確認しました。ヘリは同じところを一晩中飛んでいたので、墜落地点は当然分かっているものと思いました。

司会:すると、林道から先は、徒歩で夜の山に分け入ったのですか。危険だと思わなかったのですか?

M氏[4]:あの辺の山の持ち主(の息子)とか知ってますし、一緒に山に入って遊んでましたから、どんなところかは大体わかっていました。松の木と岩が多い所なんですよ。もちろん、急峻で険しい所だとも知ってますから、この先へ進むのは中々たいへんだなと思いましたよ。

とにかく、墜落現場に向かってまっすぐ進むことしか考えていませんから、きつい傾斜や時にはオーバーハングを超えて、山道なんか関係なく、強引にいくつも尾根を跨いで行きました。ですから、直線距離でわずか7,8キロの行程なのに、山に入ってから現場に着くまで6〜7時間くらいかかりました。着いたのは、午前4時前後だったはずです。

司会:午前4時という時刻はどうやって確認したのですか

M氏[5]:当時は、時計を身に付ける習慣はなかったのですか、着いた時に山の尾根付近が白み始めていたので、おそらくそれぐらいの時間だと思いました。(管理者註:夏の山頂付近は明るくなるのが早い)

司会:そこで何を見ましたか?

M氏[6]:既に自衛隊員が7〜80人、いや100人位は来ていました。それを見て、自分たちは一番乗りできなかったと思いましたね。同時に、事故犠牲者の呻き声が谷にこだまし、響き渡っているのがはっきりと聴こえました。

司会:ええっ?その時に生きて声を出している人が居たのですか?どれくらいの人が生きていたのでしょう。

M氏[7]:全部を数えた訳ではありませんが、声の響き方からすると少なくても4〜50人は居たと思います。実際に、苦しそうに声をあげている人を私も間近で何人か見ています。自衛隊の人たちがいる以上、自分たちができることは、負傷者のいる場所を教え、早く救助してもらうことだと思い、呻き声のするあたりを探しては、その場所を隊員さんに伝え、早い手当を頼んでいました。

ただ、隊員さんの対応には不信感を覚えましたね。「へたに動かすと危険なので、後から来る部隊が手当することになっている」と言うだけで、何もしようとしない。手にした4〜50cm 位の丸いバッグに、地面から拾った物を黙々と入れ続けている。

司会:自衛隊員は何を拾っていたのでしょう。

M氏[8]:まだ暗くてよく見えなかったので、それが何かまではわかりませんでした。ボイスレコーダーとか、何か貴重な物なんだろうと思っていました。私が覚えている隊員さんの装備は、バッグの他に、片手に抜き身の大型アーミーナイフ、目には暗視ゴーグル、また、靴はつま先の短い短靴を履いており、傾斜のきついこの山のことをよく調べて入っているなと思いました。

ちょっとひどいなと思ったのは、斜面を登り、尾根の反対側に出たら、向こうの谷ではヘリコプターがホバリングしているじゃないですか、ヘリが来ているならさっさと救助しろよと思いましたね。しかも、ヘリの下では、さっき隊員さんたちが何かを入れていたバックを10数個まとめ、ネットに入れて吊り上げていました。何度も吊り上げていたので、全部で70個くらいのバッグが回収されたと思います。

司会:現場にはどれくらい滞在したのですか。

M氏[9]:到着してから1時間後くらいに、自衛隊の次の部隊が続々と到着してきました。また、暗視スコープを装着していた最初の部隊も引き上げる体制に移っていたので、もうこれで大丈夫と思い、この時に下山を始めました。なお、次の部隊は、山で歩きにくいブーツ姿だったので、これで大丈夫なのかなと思いました。


セミナー参加者からの質問

Q1:4〜50人居たという、呻き声の人たちはどうなってしまったのでしょう?

M氏[10]:それはボクもずっと不思議に思っていたのですが、下山を開始する朝の5時過ぎ頃には、谷の呻き声がピタリと止んでいました。

Q2:この事故の生存者は4人の女性でしたが、その他にも助かりそうな人はいませんでしたか?

M氏[11]:ボクが見た負傷者の中に、指先が1本ちぎれただけの男の人がいました。「この程度なら死ぬことはないな」と思い、救助活動(隊員への声かけ)を後回しにしたのをはっきりと覚えています。あの人がどうなったのか、ボクにも分かりません。

Q3:事故調査委員会が、当夜、墜落場所発見が困難だったと報告しています。しかし、Mさんは夜を徹して現場に到達している。この報告をどう思いますか。

M氏[12]:日頃から遭難者の多い現地周辺にはCB無線による救助網が敷かれています。無線機を持った人員を担当箇所に登らせて無線を交わせば、夜間に炎上しているような目立つものなら訳なく見つけ出せるはず。どうしてこんなに時間がかかったのか分かりません。(管理者註:というか、本当はとっくに見つけ出していますが・・)

Q4:大型アーミーナイフは何に使われていたのでしょう?

M氏[13]:それは見ていないので分かりません。

Q5:現場で身の危険を感じたり、二人を排除するような動きはありませんでしたか?

M氏[14]:そういうことは特に感じませんでした。

Q6:機体が激しく衝突し炎上した墜落現場に木立が残っているのは不自然だとよく指摘されるのですが、実際に見てどうでしたか?

M氏[15]:言われてみたら、確かに変ですよね。林立している木の間に機体の破片や、遺体(の一部が)飛散していましたから。それに、あの辺りは針葉樹が多い山ですから、機体から火が出たらあっという間に周囲に燃え広がるはず。それにしちゃ、あまり燃えてなかったなぁ、変だなぁ。

Q7:事故調査委員会が、生存者4人の発見を奇跡的だと報告しています。しかし、Mさんは生きてきる何10人もの声を聞いている。この報告について改めて感想を聞かせてください。

M氏:報告は嘘だと思います。明らかにもっと多くの方の命を救うことができたはずです。

Q8:その他、現場で見て、何か変だと思ったことを教えてください。

M氏:山で遭難して遺体になると、狐や狸など、山の動物にひどく食い荒らされるのですが、現場で見た遺体には、奴らが手をつけた痕跡がまるでない、それは山を知る者としてはたいへん不思議な事です。

司会:ありがとうございました。


つづく