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2018年・東日本大震災・津波
復旧実態調査(宮城県中部編2)

石巻市大川小訴訟問題

青山貞一・池田こみち 
環境総合研究所顧問
掲載月日:2019年5月20日 最終公開日:2020年2月28日
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◆石巻市大川小学校訴訟問題

 ここでは、学校側の対応への疑問視、第三者検討委員会、民事訴訟、一審判決、高等裁判所判決の概要をWikipediaをもとに紹介する。以下では正確、客観性を期すために脚注をつけ、巻末に脚注の内容をしめしている。

◆地震対応をめぐる問題

学校側の対応への疑問


 地震発生から津波到達まで50分間の時間があったにもかかわらず[20]、最高責任者の校長不在下での判断指揮系統が不明確なまま[28]、すぐに避難行動をせず校庭に児童を座らせて点呼を取る[20]、避難先についてその場で議論を始めるなど学校側の対応を疑問視する声が相次いだ[20]。普段から避難に関する教育を徹底し児童らだけの自主的避難により99.8%が無事だった釜石の全小中学校や[29] [30]、地震直後より全員高台に避難させ、在校児童が全員無事だった石巻市立門脇小学校[31]とは対照的である。

 宮城県が2004年3月に策定した第3次地震被害想定調査による津波浸水域予測図[32]では、津波は海岸から最大で3km程度内陸に入るとされ、大川小学校には津波は到達しないとされていた。そのため大川小自体が避難先とされていたケースもあり、実際に地震の直後高齢者を含む近所の住民が大川小学校に避難してきた[20]。石巻市教育委員会は2010年2月、各校に津波に対応するマニュアル策定を指示していたが[33]、被災後の議論で教育委員会は、学校の危機管理マニュアルに津波を想定した2次避難先が明記されていなかった点で責任があると認め、父母らに謝罪している[34]。

 2011年4月9日の説明会で、無事だった教諭が、裏山に「倒木があった」と証言した。 同年6月4日夜の説明会で、石巻市教育委員会は、前述の証言を「倒木があったように見えた」と訂正し、裏山へ避難しなかった理由を、津波が校庭まで来ると想定していなかった事に加え、余震による山崩れや倒木の恐れがあったためと説明した。避難が遅れた理由には保護者や避難住民への対応を挙げた。震災時の議論の詳細は明確にならなかった。謝罪はあったが、学校も教育委員会も責任に言及しなかった[33]。

第三者検証委員会

 2012年12月、大川小の惨事を検証する第三者検証委員会が設置された。2013年7月の中間報告で調査委員は、大川小の「地震(津波)発生時の危機管理マニュアル」に「第1次避難」は「校庭等」、「第2次避難」は「近隣の空き地・公園等」と記載があるのみで具体的場所の記載が無かったことを指摘したものの、遺族からは既に判明している事柄ばかりで目新しい情報がない、生存者の聞き取り調査を行っていない、なぜ50分間逃げなかったのか言及がないなど不満が噴出した。

 2013年9月8日、石巻市教育委員会による遺族説明会が約10ヶ月ぶりに行われ、「話し合いを拒んできた理由を説明してほしい」など批判が相次いだ[35]。

 2014年3月1日に「大川小学校事故検証報告書 最終報告書」[21]が石巻市に提出された。

民事訴訟
 2014年3月10日、犠牲となった児童23人の遺族が宮城県と石巻市に対し、総額23億円の損害賠償を求める民事訴訟を仙台地方裁判所に起こした[36]。

仙台地裁

 2016年10月26日、仙台地方裁判所(高宮健二裁判長)は学校側の過失を認定し、23人の遺族へ総額14億2658万円の支払いを石巻市と宮城県に命じた[37]。

 石巻市と宮城県は、大川小学校は津波の浸水想定区域に入っておらず、津波の際の避難所として指定されていたことなどを理由に津波の襲来を予見できなかったと主張したが、仙台地方裁判所は少なくとも石巻市の広報車が大川小学校付近で津波の接近を告げ高台への避難を呼びかけた時点までに、教員らは大規模な津波の襲来を予見できたはずであり、学校の裏山に避難しなかったのは過失だと結論づけた[38]。

仙台高裁

 
2018年4月26日、双方が控訴した控訴審でも、学校側が地震発生前の対策を怠ったのが惨事につながったと小川浩裁判長は指摘し、仙台地裁では認めなかった学校側の防災体制の不備を認定した。市と県に対して、1審判決よりも約1000万円多い総額14億3617万円の支払いを命じた。

 1審判決は、地震発生後の教員らの対応に過失があったとしたが、県の責任に加えて、控訴審では、市教委まで含めた「組織的過失」を認定した。また、大川小は津波の予想浸水域外に立地していたが、「教師らは独自にハザードマップの信頼性を検討するべきだった」とも指摘した。

 
控訴審においては、「震災前の防災体制の適否」が争点となった。学校側は、「予想浸水域外で津波を予見できない」と主張した。しかし判決では、北上川から約200メートルに学校があり、「堤防が沈下したり壊れたりし、学校まで浸水する危険があった」と予見可能性を認定した。教師は、地域住民よりもはるかに高いレベルの知識と経験が求められると位置付けた。

 さらに、避難先を「近隣の空き地・公園等」とあいまいに記載していた危機管理マニュアルの改訂を学校が怠ったとし、指導する立場の市教委にも是正させる義務があったと指摘。約700メートル離れた「高台」を避難場所に設定しておけば、震災直後に避難を開始でき、津波を回避できたと結論づけた[39]。


 以下は高裁判決を報ずる朝日新聞の2018年4月26日の記事である。

◆大川小津波訴訟、石巻市の過失認める 高裁が賠償命令
  朝日新聞 2018年4月26日


子どもたちの遺影を掲げ仙台高裁に入る遺族たち=2018年4月26日午後0時46分、仙台市青葉区、福留庸友撮影

 東日本大震災の津波で児童と教職員計84人が犠牲となった宮城県石巻市立大川小学校の避難誘導をめぐり、児童23人の遺族が市と県に計23億円の損害賠償を求めた訴訟の控訴審判決が26日、仙台高裁であった。小川浩裁判長は、市と県に計14億円の賠償を命じた一審・仙台地裁判決を一部変更し、学校や市教育委員会の過失を認めたうえで、改めて賠償を命じた。

 控訴審では、震災当日の教員らの避難誘導に加え、震災前の学校の防災体制や市側の指導のあり方も争点になっていた。

 一審判決によると、大川小は市のハザードマップでは津波の浸水想定区域外とされ、学校のマニュアルでも津波を想定した避難行動や避難先を盛り込んでいなかった。震災当日、児童らは教員の指示で地震から約50分間、校庭で待機。堤防近くの小高い場所へ避難しようとして、川をさかのぼって堤防を越えた津波に襲われた。

 
一審判決は、事前の防災体制について市側の過失を認めなかったが、津波到達の7分前までに教員は予見でき、歩いて2分ほどの裏山に避難させるべきだったとして、教員らの過失を認定。14億円の賠償を命じ、双方が控訴していた。

 遺族側は控訴審で、「平時から津波の危険を予測してマニュアルを見直すなどの当然の義務を怠り、組織的過失があった」と主張。市側は「津波は予見できず、マニュアルの不備もなかった」と反論していた。


脚注

20^ a b c d e f g 【震災】その時なにが…大川小、津波で多くの犠牲者「山さ上がれ」「眠れば死ぬ」「バリバリという音とともに水しぶきがきた」宮城・石巻 毎日新聞 2011年04月19日

21^ a b 大川小学校事故検証委員会「大川小学校事故検証報告書」(PDF1.2MB,261p)、2014年2月付け、2014年3月11日閲覧。

22^ “7割が死亡・行方不明の小学校、間借りし始業式”. 読売新聞 (2011年4月21日). 2014年3月11日閲覧。

23^ 震災で被害受けた石巻市の小学校児童のためにこいのぼりを掲げよう、県内有志が奔走中/神奈川 神奈川新聞 2011年5月22日

^24 北日本新聞 2014年1月20日付33面
^ “震災の記憶忘れまい 石巻・大川小に母子像”. 河北新報 2011年10月24日

25^ a b “<震災遺構>大川小全体保存 門脇小は一部”. 河北新報. (2016年10月26日) 2019年1月15日閲覧。

26^ 国連防災代表が宮城の被災地訪問 | ロイター

27^ すべての教育者は石巻・大川小学校を訪れてみるべきだ JBpress(日本ビジネスプレス) 記事:2015年3月17日

28^ 明治三陸地震の反省を生かし、「津波でんでんこ」という教育を昔からしていた。

29^ 小中学生の生存率99.8%は奇跡じゃない 「想定外」を生き抜く力 WEDGE REPORT 2011年4月22日

30^ a b 門脇小の避難先は舗装・公園化されている日和山公園であり、大川小の裏山は林業関係者しか入山しない山林であった

31^ “宮城県第三次被害想定調査 浸水域予測図”. 2014年3月11日閲覧。

32^ a b “「裏山登っていれば…」疑問解消されぬまま 石巻・大川小説明会”. 河北新報. (2011年6月6日). オリジナルの2011年6月6日時点によるアーカイブ。

33^ “大川小の避難先巡り、市教委が責任認め謝罪”. 読売新聞 (2011年6月18日). 2014年3月11日閲覧。マニュアルには第二次避難【近隣の空き地・公園等】と書かれていた。

34^ “大川小遺族と市教委、協議再開=10カ月ぶり「真摯に向き合って」-宮城”. 時事ドットコム (2013年9月8日). 2013年9月10日閲覧。[リンク切れ]

35^ 石巻・大川小の遺族ら県と市提訴 「津波避難が不適切」(朝日新聞デジタル)

36^ “大川小に過失、遺族へ14億円”. 共同通信. (2016年10月26日) 2016年10月26日閲覧。

37^ “大川小訴訟、14億円賠償命令 津波襲来「予見できた」”. 朝日新聞. (2016年10月26日) 2016年10月26日閲覧。

38^ “大川小津波訴訟、2審も市と県に14億賠償命令”. 読売新聞. (2017年4月26日)

39^ 小学校学区一覧 - 石巻市公式ウェブサイト 2014年3月11日閲覧。

40^ “被災大川小女児が陸自隊員に手紙 「わたしもがんばる」と感謝”. 福井新聞 (2011年4月30日). 2014年3月11日閲覧。


石巻市8長面1
つづく