2018年・東日本大震災 復旧実態調査(宮城県北部編) 気仙沼市沿岸4 青山貞一・池田こみち 環境総合研究所顧問 掲載月日:2019年5月20日 2020年3月11日第2次公開 独立系メディア E-wave Tokyo 無断転載禁 |
<総合メニューへ> 南三陸1歌津1 南三陸2歌津2 南三陸3歌津3 南三陸4 南三陸5 南三陸6 南三陸7 南三陸8 気仙沼1 気仙沼2 気仙沼3 気仙沼4 気仙沼5 気仙沼6 気仙沼7 ◆気仙沼市4 出典:東北地方太平洋沖地震を教訓とした地震・津波対策に 関する専門調査会配付資料 ◆気仙沼市沿岸4 出典:Wikipedia 気仙沼市市は石巻市同様、地形が複雑で特に沿岸部の地形は入り組んでおり、さらに半島や島がある。地域特性が変化に富んでいる。 3.11の津波や浸水との関係では、沿岸域の距離、面積が多く、その管理は非常に困難を極めるものと推察される。3.11による死亡者(犠牲者)の数は、966人で、石巻市、東松島市に次いで県下で第3位に多い。 気仙沼市は、最新(平成30年)の気仙沼市土地利用構想図の主要部である。 気仙沼市土地利用構想図の主要部(平成30年) 上記の土地利用図を見て直ちにわかるように、気仙沼市の沿岸部の土地利用は、多岐にわたっており、しかも湾奥ではそれらが複雑に入り組んでいる。 事実、以下の最新の復興整備事業総括図(第87回公表:平成31年1月22日)を見ると、膨大な数の事業が市内至るところで進行中であることが分かる。 出典:復興整備事業総括図(第87回公表:平成31年1月22日) 復旧、復興のひとつの要となっている防潮堤については、上記の最新の土地利用図を見ると、市域のほぼすべてに紫色の太線、すなわち防潮堤等が見られるが、気仙沼市では、この防潮堤の設置をめぐり、市民と行政の間で議論が続いている。 本来、復旧、復興は住宅地の高台移転など土地利用面での対応が望まれるが、南三陸町や陸前高田市のような、大規模なまちの基盤を改変したり、背後地の山林を開発し住宅地化することが困難な自治体では、どうしても防潮堤(堤防)に頼らざるを得ない面もある。 しかし、3.11の大津波は、低い堤防や中途半端な防潮堤では、津波により容易に乗り越えられ、また物凄い重力加速度により堤防自体が破壊される事例も多くみられた。 さらに、漁業と住宅を分離し、漁業関係施設は沿岸に整備するものの、住宅は離れた高台や遠方の場所に配置するなどの方策も重要である。 気仙沼市にあっては、宮城県南部の諸自治体のように、沿岸域の背後地を一定程度、土地利用規制をかけ、住宅などの建築を禁止し、沿岸部に7.2mの防潮堤を築造するという方法は困難であった。理由は、沿岸域に市街地や住宅地が接近していること、国など行政による一方的な堤防建設に地域住民が疑義を唱えたことがある。 防潮堤、堤防の建設は人命や資産保全の観点から重要な物であっても、上述のように決して万全なものではない。これは釜石市の釜石湾口に数千億円の巨額をかけた防潮堤が津波で破壊されたり、同じ釜石市の唐丹の白石漁港の大規模な堤防や宮古市田老のやはり大規模な堤防が3.11の津波で破壊された実例からも分かる。 また防潮堤や堤防ができることにより眺望、景観が極度に悪化することも従前その地に永年住んできた人々には耐えがたいことである。 それらの観点からすると、津波被害=防潮堤の建造という短絡的な発想ではなく、緊急時における通報、具体的な避難、避難通路、避難場所などの確保、高齢者、身体不自由者、病院の患者らへの対応などソフト面、ハート面での対応を含めた対応が重要なものとなるだろう。 さらに画一的な防潮堤、堤防建設が歴史的、文化的資源や環境を破壊することもある。何でも鉄とコンクリートの土建事業で対応するという日本的対応にも疑問が向けられている。 以下は、 2014年7月12日の日本経済新聞の気仙沼市にある小泉海岸の記事である。
震災の都市の平成23年10月に「気仙沼市震災復興計画」を策定してからおよそ7年にわたり、さまざまな関係者との協議が行われ、区画整理事業やまちづくり協議会の運営、さらには「海と生きる気仙沼観光復興推進計画」「観光に関する戦略的方策」、「気仙沼市都市計画マスタープラン」、などの分野別計画を策定し、ようやく、平成30年2月に第二次気仙沼市総合計画が策定され、そのもとで気仙沼湾に面した中心地の復興・再生の方針をとりまとめた「気仙沼市内湾地区まちなか再生計画」が策定された。 <参考情報> 内湾地区 まちなか再生計画 平成30年9月25日 気仙沼市 http://www.reconstruction.go.jp/topics/main-cat1/sub-cat1-15/181012kesennuma_saisei.pdf まちなか再生計画は、第2次気仙沼市総合計画、気仙沼市震災復興計画、気仙沼市都市計画マスタープラン等を上位計画とし、内湾地区における商業関連産業の再生のための分野別計画です。 また、内湾地区は、古くから漁船員や観光客が利用する宿泊施設や商店・飲食店等が集積した地区であったことから、「海と生きる」気仙沼観光復興推進計画等の観光関連計画との整合を図るものとします。 ◆東日本大震災・津波による気仙沼市の被害 以下は気仙沼市の概要である。気仙沼市は人口の割には市域の面積が広く、したがって全体の人口密度は低い。人口は約6万2千人で石巻市の半分以下であるが、面積は37%少ないだけである。
以下は2011年11月20日に現地調査時事に撮影した写真と動画である。
2011年8月、9月、11月に来たときには、上の写真や動画にあるように、まだ多くの津波に破壊された建物が残されていた。しかし、今回は鉄筋コンクリートの一部が残るだけで、大部分の建築物は基礎を残しただけになっていた。 気仙沼市気仙沼区の中心市街地 撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8 気仙沼市気仙沼区の中心市街地 撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8 下の写真は気仙沼区に残された津波で破壊されたホテルである。 気仙沼区に残された津波で破壊されたホテル 撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8 気仙沼湾奧、気仙沼港近くに出来た気仙沼復興屋台村 撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8 気仙沼湾奧、気仙沼港近くに出来た気仙沼復興屋台村 撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8 以下はWikimedia Commons から気仙沼の被災状況を撮影した写真を紹介する。 東北地方太平洋沖地震とそれに伴う津波で破壊された家屋。 Source:Wikimedia Commons 津波に呑まれて壊滅した市街地に、海から運ばれてきた大型漁船が何隻も取り残されている。 Source:Wikimedia Commons 2011年4月1日、「トモダチ作戦」に基づいて、被災地支援のために気仙沼市大島地区で接岸するアメリカ海軍の上陸用舟艇 Source:Wikimedia Commons 津波に襲われた鹿折唐桑駅(左奥)と大量の瓦礫。右には大型漁船が打ち揚げられている。 Source:Wikimedia Commons 気仙沼5につづく |