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2018年・東日本大震災
復旧実態調査(宮城県編)

宮古市田老地区2

青山貞一・池田こみち 
環境総合研究所顧問
掲載月日:2019年6月20日  2020年3月11日第2次公開
 独立系メディア E-wave Tokyo
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宮古市1 宮古市2  宮古市3 宮古市田老地区1  宮古市田老地区2 
宮古市田老地区3   参考:宮沢賢治


◆宮古市田老沿岸1


出典:東北地方太平洋沖地震を教訓とした地震・津波対策に
関する専門調査会配付資料

 下のグーグルマップは、宮古市すべてを示している。宮古市は上の地図で分かるように、岩手県検眼部の丁度
中央に位置している、

宮古市

出典:グーグルマップ

 以下は宮古市の北部にある田老地区の全域である。3.11の宮古市の津波被害も過酷なものであったが、とりわけ、宮古市北部の田老地区の被害は甚大であった。

宮古市田老地区

 2018年7月の現地調査では、時間の関係で宮古市、宮古市田老地区とそれ以北への現地調査は出来なかったが、以下に過去の現地調査を含め概要を紹介する。

考データ(岩手県宮古市田老地区)

岩手県宮古市田老地区の死亡者及び行方不明者
市町村名 死者数A 行方不明者数B 死者+行方不明者数A+B=C
宮古市 420 124 544
出典:第二次三陸津波被災地 現地調査


 さらに以下は宮古市のうち、3.11津波で甚大な被害を出した宮古市田老地区にある田老港港である。ここには、3.11以前からX型の巨大な防波堤群があったが、3.11津波では、堤防にある門が開門している部分などから津波が背後地まで侵入し浸水被害を出した。

 私達は2011年11月19日に、岩手県宮古市田老地区への現地調査を子なっている。以下はその概要である。なお、その後の現地の状況をグーグルマップストリートビューで紹介している。

 以下は宮古市田老地区である。


出典:グーグルマップ

 さらに、以下は、宮古市田老地区にあり甚大な被害を受けた田老漁港である。


出典:グーグルマップ

◆2011年11月19日、宮古市田老地区現地調査時に撮影した写真

 下の写真は、田老地区のX字型防波堤の一部(半分)を写したものである。青山貞一が居る位置がX字型防潮堤のちょうど交点にあたる。防潮堤の高さはいずれもTPから10mはある。


岩手県宮古市田老地区のX字型防波堤上の青山貞一
撮影:池田こみち Nikon CoolPix S10 2011.11.19

 以下は宮古土木事務所が設置したプレートであるが、X字防潮堤の高さは、X字のいずれもがTPから10mあることが分かる。


X字防波堤の高さはいずれもTPから10mある
撮影:池田こみち Nikon CoolPix S10 2011.11.19

 下の写真は、防潮堤を下から見たものである。池田が登りかけているのが防潮堤の上部に向かう階段である。


岩手県宮古市田老地区のX字型防波堤の階段上の池田こみち
撮影:青山貞一 Nikon CoolPix S8 2011.11.19

 一方、下の写真は防潮堤の側面が分かるように撮影している。防潮堤の前にいるのは青山貞一である。


岩手県宮古市田老地区のX字型防波堤を背景にした青山貞一
撮影:池田こみち Nikon CoolPix S10 2011.11.19



Source: wkimedia Commons

 以下はグーグルマップストリートビューによる011年11月、2013年1月、2013年7月、2015年9月に撮影した。田老地区の田老漁港の堤防などである。

田老川河口

出典:グーグルストリートビュー 2011年11月

田老川河口

出典:グーグルストリートビュー 2011年11月


漁港東側突堤の南端


出典:グーグルストリートビュー 2011年11月


震災遺構たろうホテル

漁港背後にある震災遺構たろうホテル


出典:グーグルマップ・ストリートビュー 2013年1月

漁港背後にある震災遺構たろうホテル

出典:グーグルマップ・ストリートビュー 2013年1月

漁港背後にある震災遺構たろうホテル


出典:グーグルマップ・ストリートビュー 2017年7月

 以下、田老防潮堤について、国交省東北地方整備局の震災伝承施設の紹介頁から抜粋します。平成31年3月には「津波遺構たろう観光ホテル」と「田老防潮堤」が震災伝承施設に登録され、宮古市が実施する「学ぶ防災」などと一体となって内外に情報発信をしていくこととなっています。

<震災伝承施設:田老防潮堤>
場所:〒027-0306 岩手県宮古市田老字川向 地内

施設の概要

 1896年の明治三陸大津波と1933年の三陸大津波により壊滅的な被害を受けた田老地区(旧田老町)。これを受けて昭和9年から昭和53年までの年月をかけ、長大な防潮堤が整備されました。総延長2,433メートル、高さ10メートルの二重防潮堤は「万里の長城」と呼ばれ防災のシンボルとなりましたが、東日本大震災による津波はこの防潮堤を超え、田老のまちに甚大な被害を及ぼしました。壊滅を免れた第二線提は地盤沈下分を嵩上げして原形復旧され、津波の脅威を後世に伝えるとともに、倒壊した防潮堤にかわり新たに整備が進む第一線提とあわせて災害時の防災に貢献します。

国土交通省 東北地方整備局

漁港突堤最南端


出典:グーグルストリートビュー 2015年9月


宮古市田老地区3へつづく