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第一編
英国からの独立に燃える
スコットランドが面白い

C闘いと苦難の歴史
 
青山貞一 池田こみち 環境総合研究所 顧問

掲載月日:2012年11月1日
 独立系メディア E−wave Tokyo
無断転載禁


第一編 英国からの独立に沸くスコットランドが面白い!
@今に生きるブレーブハート   E再独立に燃える国民と議会
Aスコットランド人の気質と精神風土   F世界一の持続可能な国へ
B希有で秀逸な人材と知性の宝庫   G2020年再生可能エネ100%
C闘いと苦難の歴史   H国旗と国花それに准国歌
D闘いの続行と再独立への道   I独立精神を学ぶ2200kmの旅

スコットランドは建国以来、侵略者との戦いに明け暮れた  

 そのスコットランドだが、歴史をひもとけばただちに分かるように、およそ700年以上にわたり、古くはローマ帝国、続いてバイキング、そして隣国イングランド(England)からの攻撃、侵略を受け続けきた。 その悲しみと怒りは半端なものではないはずだ。

 おそらく多くの読者は、一度はBrave Heart(ブレイブハート)という映画(あるいはDVD)を見たことだろう。多くのアカデミー賞の部門賞をとったあの映画である。 

出典:映画ブレイブハートより

 そう、メル・ギブソンが主演したあの映画だ。

 13世紀から14世紀にかけ、ウィリアム・ウォレス(William Walace)とロバート・ザ・ブルース(Robert the Bruce)の二人の英雄が民衆と共に一斉蜂起、イングランド正規軍を二度にわたり打ち破り、歴史的に初めてのスコットランド独立を勝ち取った。


ウィリアム・ウォレス
ウォレスは映画、Brave Heartの主人公としても世界的に有名
撮影:青山貞一 Nikon CoolPix S8


この写真は映画(Brave Heart)の一幕
Source:Movie, Brave Heart


ウォレスの意志を継いで独立を果たしたロバート・ザ・ブルース
撮影:青山貞一 Nikon CoolPix S8

●悲劇の女王、メアリー・スチュアートの故郷、スコットランド

 14世紀以降、イングランドからの攻撃、侵略はあったものの、スコットランドは誇り高い国として独立を維持してきた。

 しかし、16世紀半ばになり、カソリックのスコットランド女王、メアリー・スチュアートは当時、イングランドで興隆したプロテスタント(英国国教会という)との間での宗教戦争に巻き込まれた。

 わずか18歳で嫁ぎ先のフランスから帰国したメアリー女王は、当時欧州を吹きあれた宗教改革に、寛容で柔軟な対応にでる。しかし、これが後に裏目に出てしまい、自分の首を絞めることなる。

 当時、欧州はスコットランド、イタリア、スペイン、フランス、ポルトガルなどの諸国がカソリック主流、他方、イングランドはじめデンマーク、スウェーデンなど北欧諸国、それに宗教改革の発祥地のひとつであったドイツなどでプロテスタントが広まっていた。


出典:NHK BSプレミアム

 当時、スコットランドの後ろ盾となったのは、メアリーの母親の出身国でもあるフランスであった。


13歳頃のメアリー・スチュアート Young Mary Stuart
Source: English Wikipedia

 欧州のプロテスタントの主要な発祥地のひとつであったのがイングランドだが、スコットランドでプロテスタントを説教、布教してきたジョン・ノックス牧師は、わずか18歳のメアリー女王に対し次の発言をした。

 すなわち、「もろい、はかない、か弱い愚かしい生き物(女性、筆者注)を、いかなる形であれ、支配者に昇格させることは秩序と正義の破壊につながり、神に背くことになる」と、女性差別の限りを尽くしスコットランド女王を侮辱した。


ジョン・ノックス牧師。セント・アンドリュース城資料館にて
撮影:池田こみち、Nikon CoolPix S10

 もちろん、その背後にはイングランドが存在していたのである。結局、メアリーは、イングランドの度重なる陰謀、それもスコットランド内イングランド派が荷担した陰謀によって1年間、スコットランドの小さな湖の真ん中にあるロッホレーベン城に幽閉された。何とか島を脱出し、スコットランド独立、そして王位奪還のため兵を挙げるが、鎮圧された。

●メアリーは19年間幽閉されたあげく、44歳で断頭台へ
 
 その後、メアリースチュアートは、19年間にわたりイングランド内に幽閉される。

 そしてあげくの果てに、王位継承権のないイングランドのエリザベス女王によって断頭台に送られてしまったのである。

 メアリーはまさに「女性であるが故に」、さまざまないわれのない誹謗中傷、攻撃、陰謀に巻き込まれスコットランドで1年、イングランドで19年にわたり幽閉されたあげく、最終的にイングランドのエリザベスにより断頭台に送られ処刑された。


出典:映画エリザベスより


メアリー・スチュアートの斬首
出典:NHK BSプレミアム

 スコットランド人はもとより欧州人の多くが、このメアリー・スチュアートの悲劇をよく知っている。日本では、2012年6月6日、NHKBSプレミアムが「悲劇の女王 メアリー・スチュアート〜エジンバラしろとスコットランドの諸城〜」と題する1時間半の番組を放映している。


出典:NHK BSプレミアム

 下の写真は、スコットランド国立博物館1階に安置されている悲劇の女王、メアリー・スチュアート像である。


身長が180cmあったというメアリー・スチュアート(レプリカ)の前にて
本物は息子のジェームス6世によりロンドンのウエストミンスター寺院
にエリザベス一世と並んで葬られている。
スコットランド国立博物館にて撮影
撮影:青山貞一 Nikon CoolPix S8

つづく