初秋の 「信濃の鎌倉」を行く (2)信濃国分寺 青山貞一・池田こみち 掲載日:2014年9月19日 独立系メディア E-wave Tokyo 無断転載禁 |
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初秋の「信州の鎌倉」を行く
2014年9月16日、朝から晴れ。 私達は北軽井沢から国道144号線を経由し、長野県の上田市に向かいました。 長野県の市町村は平成の大合併でかなりの市町村が合併していますが、上田市もご多分に漏れず、2006年(平成18年)3月6日に 小県郡丸子町、真田町、武石村と合併し、改めて上田市が発足しています。 とりわけ真田町は「真田幸村」のまちであり、真田町が市町村名から無くなったのは残念です。 上田市で最初に訪れた寺社仏閣は、信濃国分寺です。 信濃国分寺の看板 撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8 2014年9月16日 下は国道18号線に面して建つ信濃国分寺の山門です。ここから北に100m近くの参道が続き、信濃国分寺の本堂につながります。 この参道は、自動車でも通過が可能であり、専用の無料駐車場があります。上田市内の重要な寺社仏閣には大部分に無料駐車場がありますので、車で次々にお参りすることができます。 国道18号線に面して建つ山門 撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8 2014年9月16日 信濃国分寺は、下の地図にあるように上田駅の南東、国道18号線に面しており、近くには千曲川が流れています。国道18号線を挟んで信濃国分寺の反対には大きな国分寺史跡公園もあります。 信濃国分寺の位置図 出典:グーグルマップ 撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8 2014年9月16日 下は往時の信濃国分寺の復元模型です。左側が尼寺、右側が僧寺です。移転先に現存しているのは僧寺です。今回訪問したのは、僧寺ですが、それにしても広大な敷地に信濃国分寺は建っています! 尼寺跡は現存する僧寺跡の西側の広大な土地に位置していました。寺の域は東西150メートル、南北150メートル(80間四方)。金堂、講堂、中門、回廊、経蔵、鐘楼、尼房などの跡が確認されていました。 伽藍は、中門、金堂、講堂、尼坊、北門を南北一直線に配置され、中門左右から出た回廊が講堂左右に取り付けてありました。 講堂の東西の回廊外に位置する建物跡は東が鐘楼、西が経蔵とみられます。 中門 - 東西3間(11.8メートル)、南北2間(6.4メートル) 金堂 - 東西7間(22.4メートル)、南北4間(12.4メートル) 講堂 - 東西7間(約22メートル)、南北4間(約12.4メートル) 信濃国分寺の復元模型 僧寺(右)・尼寺(左)復元模型。信濃国分寺資料館内展示。 出典:Wikipedia 信濃国分寺概要
僧寺に入ってすぐのところで、まずは手を洗います。 まずは、手を洗います 撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8 2014年9月16日 信濃国分寺は、上田市にある天台宗の寺院です。本尊は薬師如来です。 現在山号・院号はありませんが、江戸時代には「浄瑠璃山真言院国分寺」と号していました。また「八日堂(ようかどう)」の別称があります。 信濃国分寺は奈良時代に、聖武天皇の詔により日本各地によって建立された国分寺のうち、今の長野県、すなわち信濃の国に建立した国分寺の後継寺院にあたります。 信濃国分寺の本堂 撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8 2014年9月16日 信濃国分寺の本堂の屋根 撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8 2014年9月16日 信濃国分寺の本堂の解説 撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8 2014年9月16日 信濃国分寺本堂横のコスモス畑で 撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8 2014年9月16日 動画:八日堂信濃国分寺 撮影:青山貞一 なぜか信濃国分寺の本堂に象の模型がありました。象と一緒に一枚。 信濃国分寺本堂にあった象と一緒に 撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8 2014年9月16日
信濃国分寺本堂の前にて 撮影:池田こみち Nikon Coolpix S6400 2014年9月16日 最初にWikipediaから信濃国分寺の歴史を見てみましょう。その建立時期は、平安時代初期と見られています。
境内には、本堂(薬師堂)や重要文化財となっている三重塔、鐘楼、観音堂、大黒天堂などが配置されています。 本堂は文政12年(1829年)の発願で、天保11年(1840年)に起工、万延元年(1860年)に竣工しています。その大事業の様子は、造営の年月に加えて「信濃国分寺勧進帳」や建物に記された寄進者名からうかがうことができます。 信濃国分寺勧進帳 出典:http://www.geocities.jp/chimeikenkyui/kokubunji.html 三重塔は高さ約20m(20.1m)であり、かの源頼朝の発願と伝えるほか、塔内には建久8年(1197年)の墨書があったと伝わっていますが、建築の様式から室町時代中期の建立と推定されています。 信濃国分寺の三重の塔 撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8 2014年9月16日 初層内部は四天柱を立て、来迎壁を設け、大日如来坐像を安置しています。建築様式は外観は和様で、内部は四天柱に囲まれた須弥壇上の天井を鏡天井とする点など一部に禅宗様の要素があります。 昭和7年から8年に全面解体修理が施されています。室町時代の様式をよく表すものとして国の重要文化財に指定されています。この修理により国宝だった三重の塔が単なる重要文化財となったと書かれていました。 信濃国分寺の三重の塔の解説版 撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8 2014年9月16日 信濃国分寺の鐘楼 撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8 2014年9月16日 三重塔の西側には鎌倉時代の作と見られる石造多宝塔(市指定文化財)もあります。 撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8 2014年9月16日 下は本堂の裏にあった蓮池。 本堂の裏にあった蓮池 撮影:池田こみち Nikon Coolpix S6400 2014年9月16日 本堂の裏にあった蓮池で咲く花 撮影:池田こみち Nikon Coolpix S6400 2014年9月16日 つづく |