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初秋の

「信濃の鎌倉」を行く

(4)別所温泉

青山貞一・池田こみち

掲載日:2014年9月19日
独立系メディア E-wave Tokyo
無断転載禁


初秋の「信州の鎌倉」を行く
(1)はじめに (4)別所温泉 (7)中禅寺薬師堂 (10)塩田城跡
(2)信濃国分寺 (5)常楽寺 (8)龍光禅院
(3)北向観音 (6)安楽寺 (9)前山寺 日本史年表

 先に行く前に、ここで別所温泉を紹介しましょう!

 別所温泉(べっしょおんせん)は、標高570mの高地にある信州最古の温泉です。日本武尊が7か所に温泉を開き「七苦離の温泉」と名付けたという伝説から「七久里の湯」とも呼ばれてきました。

 別所温泉の効能は、一般的適応症として、慢性皮膚病、慢性婦人病、きりきず、糖尿病などがあります。ただし、これらの効能は万人に対してその効果を保証するものではありません。

 また、有島武郎や川端康成ら多くの文人が訪れ、川端は『花のワルツ』(1936年刊行)を別所温泉の旅館で執筆しています。吉川英治は『新平家物語』において義仲が愛妾の葵御前を連れて「大湯」に入湯する場面を描いています。

 史料上の根拠はありませんが、「大湯」は「葵の湯」と宣伝されるようになっており、「大湯」の傍らには吉川の文学碑も建てられています。

 また戦国武将真田昌幸・真田信之・真田幸村関連の作品を数多く執筆した池波正太郎は取材のためたびたび上田市や別所温泉を訪れ、代表作の一つとなった『真田太平記』においては「真田幸村が「石湯」に頻繁に入湯していた」という設定を導入しています。

 別所温泉は、映画のロケ地としてもしばしば使われ映画「男はつらいよ 寅次郎純情詩集」、、映画「彼のオートバイ、彼女の島」、映画「卓球温泉」、映画「君のままで」などにも使われています。

 別所の温泉街は、共同浴場を中心に栄えてきました。

 別所温泉を含む上田周辺は、養蚕の活況で江戸時代から賑わっていました。明治時代にはおよそ30を超える宿が別所温泉にありましたが、養蚕業の衰退とともに次第に数は減って行きました

 しかし、2014年現在、約20軒の温泉旅館が営業しています。別所温泉の地で伝統のある宿は、たいてい元蚕種屋であり、湯治客に家の一部を間貸していたことから始まます。


現在の別所温泉街
撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8  2014年9月16日

 下は北向温泉の隣地にありますかしわや本店です。


現在の別所温泉(かしわや本店)
撮影:池田こみち Nikon Coolpix S6400  2014年9月16日

 一方、別所温泉には今でも三つの共同浴場、すなわち「大湯」、「大師湯」、「石湯」があります。いずれも150円で入浴が可能です。


共同浴場、「大湯」


共同浴場、「大師湯」


共同浴場、「石湯」

 歴史的に見ると、大湯は木曾義仲、大師湯は慈覚大師、石湯は真田幸村ゆかりの湯として知られています。いずれも、歴史的に著名な人物ですね。

 江戸時代にはさらに「長命湯(玄斉湯)」や「久我湯」があったとされていますが、今はありません。

 また上田市営の温泉施設(社会福祉施設・外湯)として1972年に「あいそめ(相染)閣」が営業していましたが、施設老朽化などにより、現在は、別所温泉駅近くに市営の大規模な駐車場跡地で、旧上田市立別所小学校(1996年3月統合廃止)元校地に移転し、2008年に公共温泉施設「相染閣別所温泉」(あいそめの湯)として再開業しています。


上田市営の日帰り温泉、あいそめの湯
撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8  2014年9月16日

◆あいそめの湯のお湯
 源泉の温度 50.9℃
 温泉の成分
 単純硫黄温泉(低張性アルカリ性高温泉)
 効能(浴用)
 神経痛、筋肉痛、五十肩、運動麻痺、関節のこわばり、うちみ、くじき、
 慢性消化器病、痔疾、冷え症、病後回復期、疲労回復、健康増進
 加水の有無 加水していません。
 循環の有無
 温泉資源の保護と衛生管理のため、循環ろ過装置を使用しています。
 入浴剤の有無 入浴剤の使用はしていません。
 衛生管理
紫外線および循環ろ過装置の使用により、充分な衛生管理を行っております。毎日浴槽のお湯を入れ替えております。浴槽は洗剤を使用して毎日清掃するとともに、給湯管等を塩素系薬剤で消毒しています。

出典:公式Webより

 私達も北向観音参拝後、「信濃の鎌倉」めぐりをする前に、上田鉄道別所温泉駅のすぐ隣にあります「あいそめの湯」に入りました。いわゆる日帰り湯です。広く、明るく、露天風呂もあり、洗い場も多数ある源泉掛け流しの湯です。料金は大人一人500円です。

 さらに2004年7月には足湯「ななくり」が、また2012年2月には足湯「大湯薬師の湯」も設置されていいます。これらは無料のはずです。


◆別所温泉nの歴史と伝承

 開湯時期は不明だが、古代から存在していたものと見られる。伝説では景行天皇の時代、日本武尊の東征の折りに発見されたと言われ、「日本最古の温泉」、「信州最古の温泉」の一つに挙げられている。

 『日本書紀』には天武天皇が「束間温湯」に行幸し入湯しようとした際、皇族の美濃王(三野王)に信濃の地形図を献上させ、軽部朝臣足瀬らに命じて行宮の造営を計画したとの記事があるが、この「束間温湯」が現在の別所温泉であるという説があり、北向観音山門前に「束間温湯」に関する解説板が立てられている。

 平安時代に清少納言が随筆『枕草子』(能因本)において「湯は七久里、有馬の湯(兵庫県)、玉造の湯(島根県)」(三名泉)と賞賛している「七久里(ななくり)温泉」が、この別所温泉のことを指すという説がある。

 平安時代末期には木曾義仲が入湯したとの伝説がある。鎌倉時代には周辺の塩田平を本拠とした塩田北条氏建立による国宝八角三重塔を有する安楽寺や北向観音が創建された。また信濃御湯として、名取御湯、三函御湯または犬養御湯とともに三御湯に数えられた。

 順徳天皇の著作『八雲御抄』には「七久里の湯は信濃の御湯と同じ」という記述もみえ、これについては別所温泉のことを示しているとする説が一般的である。戦国時代には上田城主真田氏とその家臣団が入湯していたという記録がある。

 江戸時代には上田藩主と家臣団が入湯。藩主の休息・湯治用施設であった通称「温泉屋敷」と庭園などが「大湯」脇に一部現存しており、調査が行われている(現在、温泉屋敷跡地は同地に開業した旅館の所有となっており、非公開)。また「御湯坪」として記録されている藩主・家臣用浴室は現在の「大湯」である。

 近代に至って北条氏とのゆかりや神社仏閣が点在する塩田平・別所界隈の様子を鎌倉になぞらえ、「信州の鎌倉」と例えるようになった。

出典:Wikipedia


つづく