ウズベキスタン現地予備調査 アルク城博物館1 at Arc Castle Museum 1 青山貞一 Teiichi Aoyama 池田こみち Komichi Ikeda 掲載月日:2015年3月7日 独立系メディア E−wave Tokyo 無断転載禁 |
<全体メニュー・中央アジア> アルク城に向かう 概要と歴史 アルク城博物館1 博物館2 博物館3 博物館4 博物館5 アルク城内には、王の関連するモスクや職務室、戴冠式、謁見の間や軍関係者、職人のワークショップ、陶磁器、アーセナル、宮廷人とその親族のための家、衣服、カーペット、食器、宮殿の宝物の保管スペースなどがあります。往事には約3,000人がアルク城(要塞)に住んでいと言います。 ◆アーク要塞への入口 アーク城には、城壁の一部がスロープとなっており、そこを上りキップ売場(受付)に行きます。下はアルク城(要塞)の入口を真横から撮影したものです。 アルク城(要塞)の入口 撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8 2015-2-25 下がアルク城(要塞)の正面入口です。 撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8 2015-2-25 この先にアルク城入城切符売場があります。 切符売場では、入場券以外にカメラでの撮影、さらにビデオでの撮影などについてそれぞれ別途料金を支払います。これは東欧やバルト三国でよく経験したことです。三脚を使うかどうかによっても料金が異なります。せっかくなので、デジカメ、ビデオの料金まで支払いました。 下は上空から見たアルク城博物館の見取図です。 現在、アルク城として残っていて公開されているのは、下の見取り図に赤色で示したものだけです。 上空から見たアルク城博物館の見取図 出典:グールマップ 入口で各種料金を払いアルク城の内部に入ります。 入口から城の内部に入る途中、上のアルク城博物館の見取図にある薄い暗いトンネルのような回廊を通ります。 アルク城の門の入口は、かつて多くの囚人が収容された監獄であり、入口を入ってすぐ左側に、当時の様子を人形で伝える展示物があります。ドイツやスコットランドなど欧州の城にも必ず監獄はあり、見学に行くと監獄や牢がひとつの見物となっていますが、アルク城の場合、入口近くに囚人が収容された監獄がありました。 下がその監獄です。 撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8 2015-2-25 そこを抜けると下の写真のようになだらかなスロープがあります。 実はこのとき、下の写真にいる黒いジャンバーと黒いズボンの40歳代とおぼしき男性が、日本語で話しかけてきました。最初は無視していたのですが、親しげに話しかけてくるとの、英語の説明内容が非常に詳しいこともあり、アルク城の学芸員かと思いました。そこで、いろいろと質問しました。 下の写真の男性です。 撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8 2015-2-25 ウズベキスタンではめずらしく流ちょうな英語を話すこの男性は、アルク城の専属学芸員と言って良いほどウズベキスタンの歴史文化、とりわけブハラの歴史や文化に詳しいのです。そのようなこともあり、彼に説明を受けながらアルク城内を散策していました。 下はトンネルを出て右折したところです。この先に、ジュマ・モスクがあります。 撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8 2015-2-25 撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8 2015-2-25 ここでブハラハーン国の概要について再度紹介しておきます。
◆ジュマ・モスク さらに城の中へ進むと、まるで迷路のような構造になっており、ジュマ・モスクとエミールがかつて玉座の間として用いた部屋(玉座の間)があります。この部屋はセレモニーやフェスティバルにも用いられていたそうです。 まず最初にジュマ・モスクです。下がそのジュマ・モスクの写真です。 ジュマとは『金曜日』のことで、イスラム教では金曜日が休日に当たるため、多くの人が礼拝に集まります。そのジュマ・モスクがアルク城の中にもありました。 アルク城のジュマ・モスク 撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8 2015-2-25 ウズベキスタンのモスクには沢山の独特の柱と天井があります。下はジュマ・モスクの柱です。 撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8 2015-2-25 柱ですから当然のこととして、天井や屋根を構造的に支えるわけですが、ウズベキスタンの柱は、いずれも木造で、下の写真にあるように、これらの木の柱にはさまざまな彫刻が施されています。 撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8 2015-2-25 下は柱のうち、彫刻がない部分です。 撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8 2015-2-25 つづく |