ウズベキスタン現地予備調査 スィトライ・モヒ・ホサ2 The Sitora-I-Mohi-Hosa Palace2 宮殿の詳細 青山貞一 Teiichi Aoyama 池田こみち Komichi Ikeda 掲載月日:2015年3月7日 独立系メディア E−wave Tokyo 無断転載禁 |
<全体メニュー・中央アジア> スィトライ マヒ ホサ宮殿1 宮殿2 宮殿3 宮殿4 宮殿5 宮殿6 宮殿7 古い二つのメドレセ1 古い二つのメドレセ2 市民がかよう金曜モスク ●夏の宮殿:Mokhi-Khosa Palace:スィトライ マヒ ホサ宮殿の詳細 ここでは、スィトライ マヒ ホサ宮殿の詳細について見てみましょう。
宮殿の中心的な建物は、複数の受付レセプションホールと王の私的な部屋からなっています。 特に注目されるのが「白の間」(White Hall)です。 撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8 2015-2-26 この部屋は、後に夏の宮殿の敷地内に記念像が建てられその後永年にわたって褒め称えられた著名な建築家であるシリン・ムラドフによって装飾が施されました。 白の間はganch(ウズベキスタンの伝統的な装飾)が施され、壁に設置され鏡で覆われていました。 同じ模様は一つとしてありません。この宮殿の鏡の数は相当な量にのぼることに注目しなければなりません。ベネチアのガラスの鏡、日本の鏡などが美しい額縁にセットされ、反射させるための格子が40回も繰り返し設置されていたそうです。 撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8 2015-2-26 また、夏の宮殿には豪華に金の組紐を飾った、ティールームや小さなミナレット、ゲストハウスなどもあります。それぞれの宮殿にはそれぞれの秘話や伝説があり、何時間も話すことができるほどです。 撮影:池田こみち Nikon Coolpix S6400 2015-2-26 宮殿の中の接見の間、謁見の間には、当時、30人以上の建築、タイル、彫刻などの職人が動員されおり、壁、天井、床などに趣向を凝らしています。 撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8 2015-2-25 建築様式は基本はロシア、イタリア、フランスなどの洋式となっていながら、部屋ごとに装飾は著しく異なり、さらに調度、置物は日本、中国などの陶磁器も多数あるなど、まさに欧州とアジアの融合というよりは、アマルガムのような神秘さを感じます。 撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8 2015-2-25 撮影:池田こみち Nikon Coolpix S6400 2015-2-26 1927年、ブハラ王没落の少し後、宮殿は美術館に改装されました。展示物は定期的に入れ替えられます。しかし、今日では、美術と工芸の美術館の両方の機能を備えています。 撮影:池田こみち Nikon Coolpix S6400 2015-2-26 撮影:池田こみち Nikon Coolpix S6400 2015-2-26 下の白い建築物は、もともと宮殿のハーレムでした。現在は博物館になっています。 またその前はプールです。王が投げたボールを泳いでいる側室達のなかで、そのボールを拾った側室が王のお相手となったという言い伝えがあります。 撮影:池田こみち Nikon Coolpix S6400 2015-2-26 つづく |