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佐渡現地視察総合目次 根本寺① 三昧堂 根本寺② 根本寺③ 下は境内にある日蓮上人銅像。 撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S9900 撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S9900 上の銅像の台座には「立正安国」の文字が刻まれている。 以下、その概要を示す。 『立正安国論』(りっしょうあんこくろん)は日蓮が執筆し、文応元年7月16日に時の最高権力者にして先の執権(得宗)である北条時頼(鎌倉幕府第5代執権)に提出した文書である。 正嘉年間以来、地震・暴風雨・飢饉・疫病などの災害が相次いだ。当時鎌倉にいた日蓮は、前年に撰述した『守護国家論』に続けて、政治・宗教のあるべき姿を当時の鎌倉幕府において事実上の最高権力者である北条時頼に提示するために、駿河国実相寺に籠って執筆した。後にこの書を持参して実際に時頼に提出している。 日蓮は本論で、相次ぐ災害の原因は人々が正法である妙法蓮華経(法華経)を信じずに浄土宗などの邪法を信じていることにあるとして諸宗を非難し、法華経以外にも鎮護国家の聖典とされた『金光明最勝王経』なども引用しながら、このまま浄土宗などを放置すれば国内では内乱が起こり(自界叛逆難)外国からは侵略を受けて滅びる(他国侵逼難)と唱え、邪宗への布施を止め、正法である法華経を中心(「立正」)とすれば国家も国民も安泰となる(「安国」)と説いた。 この内容は、たちまち内外に伝わり、その内容に激昂した浄土宗の宗徒による日蓮襲撃事件(松葉ケ谷の法難)を招いた上に、禅宗を信じていた時頼からも「政治批判」と見なされて、翌年には日蓮が伊豆国に流罪となった。 出典:立正安国論 wikipedia 下は太鼓堂。 撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S9900 下は根本寺の公式Webによる太鼓堂の概説。 明治十二年改築 二間半二間。 越前の某講中より大太鼓の寄附を受ける。水牛の皮を用い、佐渡島内最大の太鼓と言い伝う 撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S9900 以下は鐘堂。 撮影:池田こみち Nikon Coolpix S9900 元和七年、日衍上人・味方氏の資助を得て、梵鐘を鋳造せる 撮影:池田こみち Nikon Coolpix S9900 撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S9900 青山の背後にあるお堂が祖師堂である。 撮影:池田こみち Nikon Coolpix S9900 文永十一年宗祖鎌倉へ帰られてより、およそ二百年間はささやかな房舎ありて僅に霊跡の名を伝えるものなるべし。 天文二十一年 大泉坊日成上人の創業により初めて、斯堂の建立を見たり。その後、七十年を経て、日衍上人檀越味方氏の外護を得て、現今の布金壇上に再建す。 それ以来、百数十年を経て、現今の祖師堂即是なり。 下の写真は祖師堂から二天門を見たものです。青山の前に祖師堂があります。 撮影:池田こみち Nikon Coolpix S9900 撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S9900 以下は根本寺公式Webによる祖師堂の概説。 文永十一年宗祖鎌倉へ帰られてより、およそ二百年間はささやかな房舎ありて僅に霊跡の名を伝えるものなるべし。 天文二十一年 大泉坊日成上人の創業により初めて、斯堂の建立を見たり。その後、七十年を経て、日衍上人檀越味方氏の外護を得て、現今の布金壇上に再建す。それ以来、百数十年を経て、現今の祖師堂即是なり。 撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S9900 撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S9900 以下は祖師堂の内部。 撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S9900 以下は祖師堂も内部。 撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S9900 以下は根本寺の本堂。 Source:Wikimedia Commons 十二間九間総檜造 寛文十二年、当山二十世日行上人の創建さる。棟札にいわく、明治三十八年日静上人瓦葺にとなす。 撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S9900 撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S9900 撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S9900 撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S9900 当山の鬼門の方角に当堂を祀る。 撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S9900 以下は根本寺の境内全体、庭園。 根本寺 (トリップアドバイザー提供) 撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S9900 撮影:池田こみち Nikon Coolpix S9900 撮影:池田こみち Nikon Coolpix S9900 この後出口に向かう。 つづく |