青山貞一 Teiichi Aoyama 池田こみち Komichi Ikeda |
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スコットランド総目次へ* スコットランド基礎知識 なぜ、スコットランドか 東京からエディンバラへ リンリスゴー到着 エディンバラ予備視察 ロイヤル・マイル1 ロイヤル・マイル2 ロイヤル・マイル3 再独立に燃える議会 スコットランド議会1 スコットランド議会2 ◆出典、翻訳等について 本稿では、現地調査時に入手した資料、撮影した写真以外に、概要、歴史などでは日本語、英語のWikipediaを、また写真についてはWikimedia Commonsを、さらに地図についてはグーグルマップ、ストリートビューを使用しています。その以外については逐次出典を付けています。さらに、Wikipedia の英文版など外国語版などについては、逐次池田、青山が日本語訳しています。 ◆スコットランド概要 スコットランド国旗 Source:Wikimedia Commons CC 表示-継承 3.0, リンク スコットランド国章 Source:Wikimedia Commons CC 表示-継承 3.0, リンクによる スコットランド(Scotland)は、北西ヨーロッパに位置するグレートブリテン及び北アイルランド連合王国(イギリス)を構成するカントリーの一つです。 1707年の合同法によってグレートブリテン王国が成立するまでは独立した王国(スコットランド王国)でした。 スコットランドはグレートブリテン島の北部3分の1を占め、本島と別に790以上の島嶼部から構成されています。 首都のエディンバラは第2の都市であり、ヨーロッパ最大の金融センターの一つです。最大の都市であるグラスゴーは、人口の40%が集中しています。 スコットランドの法制度、教育制度および裁判制度はイングランドおよびウェールズならびに北アイルランドとは独立したものとなっており、そのため国際私法上の法域を構成しています。 スコットランド法、教育制度およびスコットランド教会は、連合王国成立後のスコットランドの文化および独自性の3つの基礎でした。しかしスコットランドは独立国家ではなく、国際連合および欧州連合の直接の構成国ではありません。 欧州及びブリテン島におけるスコットランドの位置 黒い部分 Source:Wikimedia Commons CC BY-SA 3.0, Link 地名 スコットランドの名称は、この地を統一したスコット人(Scots)に由来します。スコットランド・ゲール語では「アルバ(Alba)」と呼びます。ラテン語では「カレドニア(Caledonia)」と呼ばれます。 語源については、スコットはラテン語でゲール人を指した「スコティ(Scoti)」に由来するとされ、「アルバ」と「カレドニア」は古代に有力だったクランの名に由来するとされています。 首都と都市 首都のエディンバラは人口でスコットランド第2の都市であり、ヨーロッパ最大の金融センターの一つです。最大の都市であるグラスゴーは大グラスゴーの中心であり、スコットランドの人口の40%が集中しています。スコットランドの沿岸部は北大西洋および北海に接し、アバディーンは北海油田の基地となっています。 首都のエディンバラ城 Source:Wikimedia Commons CC BY-SA 3.0, Link 気候 スコットランドは典型的な西岸海洋性気候で、北大西洋海流(メキシコ湾流の延長)と偏西風の影響により緯度の割に比較的穏やかです。 冬は緯度の割には暖かく、最寒月平均気温は2℃~6℃で、日本の関東中部から北部にかけてと同じぐらいの気温にしか下がりません。 夏は最暖月でも14℃~19℃程度と涼しく、年較差が小さく過ごし易くなっています。 地理・地質 スコットランドはグレートブリテン島の北部3分の1を占め、南部でイングランド国境に接しています。東方に北海、北西方向は大西洋、南西方向はノース海峡およびアイリッシュ海に接しています。本島と別に790以上の島から構成されています。 グレートブリテン島の3分の1を占める北部、およびシェトランド諸島、オークニー諸島、ヘブリディーズ諸島などの島々からなります。南西部のキンタイア半島からアイルランドまで30キロメートル、東海岸からノルウェーまで305キロメートル、北のフェロー諸島まで270キロメートルです。 北部(ハイランド)は山岳地帯であり、氷河に削られた丘陵や陸地に食い込んだフィヨルドなど北欧に近い地形です。最高峰ベンネビス山(標高1344メートル)はグランピアン山地(英語版)西端にあります。 グレートブリテン島最大の淡水湖であるネス湖もある。地質学的には先カンブリア時代とカンブリア紀の岩石から成り、それらはカレドニア造山運動で隆起しました。 地形区分、島を除く国土は4つに分かれる Source:Wikimedia Commons CC 表示-継承 3.0, リンクによる 人口 総計(2012年) 5,254,800人 人口密度 65.9人/km2 歴史 古代 紀元前10世紀頃、大陸よりケルト系のピクト人が到来。その後紀元前43年よりローマ帝国が侵入し、現在のスターリングに前線司令部を設置。ハドリアヌスの長城、アントニヌスの長城及びヴィンドランダ要塞等の拠点が築かれました。ローマ軍は、各地の要塞を拠点としながらブリテン島支配を図り、たびたびピクト人との戦いにも勝利しましたが(グラウピウス山の戦い)、全域を支配するまでには至りませんでした。 中世 407年のローマ軍撤退後、ブリトン人等諸民族が数波にわたり到来する中、隣のアイルランド島より、現在のスコットランド人の直接祖先となるケルト系スコット人(ゲール族)が到来。スコットランド北西部をスコット人(ダルリアダ王国)、北東部をピクト人(アルバ王国)、南部をブリトン人(ストラスクライド王国)とアングル人(ノーサンブリア王国)が支配し、12世紀頃まで諸民族による勢力均衡・群雄割拠の時代が続きました。また、8世紀頃からヴァイキングが沿岸にたびたび襲来しました。 9世紀(伝統的立場では843年)に、ダルリアダ王国のケネス1世がアルバ王国を征服し、スコットランド王国が成立しました。 1071年、ブリテン島南部イングランド王国を支配するウィリアム征服王が、北部のスコットランド王国への侵攻を開始。以降、両王家には婚姻関係も生まれ、しばしば和議が図られるが、イングランドとスコットランドとの争いはやまず。13世紀から14世紀にかけて長期にわたり、両国間の緊張が続き(スコットランド独立戦争)、1314年にロバート・ブルースがスコットランドの大部分を再征服しました(バノックバーンの戦い)。 近世 メアリー・ステュアート(Mary Stuart, 1542年12月8日 - 1587年2月8日)は、スコットランド女王(メアリー1世、在位:1542年12月14日 - 1567年7月24日)。スコットランド王ジェームズ5世とフランス貴族ギーズ公家出身の王妃メアリー・オブ・ギーズの長女です。 メアリーは王家ステュアートの綴りを Stewart から Stuart に替えたが、これは自身のフランス好みからであったといいます。同時代のイングランド女王エリザベス1世と比較されることも多く、また数多くの芸術作品の題材となっています。親しみを込め、しばしば「クイーン・オブ・スコッツ」と呼ばれます。 メアリー自身は廃位ののち国を追われ、エリザベス1世の命によりイングランドで刑死したが、その子ジェームズはスコットランド王として即位し、またエリザベス1世の死後は、イングランド王位をあわせ継いでいます。 以後スコットランドとイングランドは同君連合を形づくり、18世紀のグレートブリテン王国誕生の端緒となりました。終生未婚で、子孫を残さなかったエリザベス1世に対し、メアリーの血は連綿として続き、以後のイングランド・スコットランド王、グレートブリテン王、連合王国の王は、すべてメアリーの直系子孫となっています。 メアリー・スチュアート女王のデスマスク NHKBS 悲劇の女王メアリースチュアート 身長が180cmあったというメアリー・スチュアートのレプリカの前の池田こみち。 本物は息子のジェームス6世によりロンドンのウエストミンスター寺院にエリザベス一世と並んで葬られている。スコットランド国立博物館にて撮影 撮影:青山貞一 Nikon CoolPix S8 1603年、ステュアート朝のジェームズ6世がイングランド王ジェームズ1世となり、イングランドと同君連合を結ぶ。スコットランドの宗教改革、清教徒革命(主教戦争、三王国戦争(スコットランド内戦(英語版)、イングランド内戦、アイルランド同盟戦争、イングランド共和国の成立、イングランド王政復古)。 1707年には、イングランド王国と合同して、グレートブリテン王国(略称:GB)(又はグレートブリテン連合王国(略称:UK))となっています。 現代 1999年、スコットランド議会が設置された。これは、権限委譲と分権議会の設置を定めた 1998年スコットランド法(英語版)の改正によって決定されたプロセスです。 2007年5月3日の2007年スコットランド議会総選挙でスコットランド国民党 (SNP) が第一党となりました。2011年5月5日の2011年スコットランド議会総選挙(英語版)でSNPが過半数を獲得。 2012年10月15日にEdinburgh Agreementを締結。 2013年11月26日、スコットランド行政府のアレックス・サモンド(Alex Salmond、SNP党首)は、スコットランドの独立の是非を問う住民投票に対する公約となる独立国家スコットランドの青写真「Scotland's Future」を発表。 2014年9月18日、スコットランドの独立の是非を問う住民投票を実施。反対票が55%を占め、独立は否決された。 スコットランド議会 復権なったスコットランド議会にて 撮影:池田こみち Nikon CoolPix S10 1707年の合同法でスコットランド議会は閉鎖され事実上廃止となりましたが、1998年スコットランド法の制定により1999年5月6日に1999年スコットランド議会総選挙を行い、再開されました。 スコットランド議会は一定範囲で所得税率を変更することができる他、スコットランド法でウェストミンスター議会留保事項と規定されている事柄以外について、独自の法令を成立させることができます。 これまでに、福祉政策や狐狩り規制、公共施設内での禁煙などに関して、スコットランド独自の法令が施行されています。ウェストミンスター議会留保事項には、外交、軍事、財政・金融、麻薬取締り、移民の規制など、全国的に取り組む必要がある事柄が規定されています。 法 スコットランド法は大陸法を基調としています。チャンネル諸島を除くブリテン諸島ではアイルランド共和国にいたるまで英米法を採用しており、スコットランドが唯一の大陸法社会です。 経済 北海に位置する掘削装置 Source:Wikimedia Commons CC BY-SA 3.0, Link 古くは石炭がスコットランドの主要産業であり、産業革命を支えました。 1960年代に北海油田が開発されると、漁港アバディーンは石油基地として大きな発展をとげました。石油資源の存在はスコットランド独立派の強みとなっています。 1980年代からは半導体産業や情報通信産業の誘致が盛んに行われており、スコットランド中部のIT産業の集積地帯はシリコングレンと呼ばれています。 文化 グレート・ハイランド・バグパイプを演奏するパイプ・メジャー 出典:Wikimedia Commons CC BY-SA 3.0, Link 民族衣装として名高いタータンやキルトは、元々はハイランド地方の伝統衣装でしたが、ジャコバイト反乱(1715年の反乱、1745年の反乱後)、18世紀半ばに禁止されました。その後、1822年にジョージ4世がスコットランド訪問の時にタータン柄のキルトを着用したため、スコットランド全域に広がりました。 「経済学の父」ことアダム・スミス、詩人のキーツ、ウォルター・スコット、シャーロック・ホームズの生みの親アーサー・コナン・ドイル、『宝島』や『ジキル博士とハイド氏』の作家ロバート・ルイス・スティーヴンソン、ジェームズ・ボズウェル、トマス・カーライル、俳優のショーン・コネリー、ユアン・マクレガー、ジェラルド・バトラーなどはいずれもスコットランドの生まれです。 スコットランドは、産業革命以前より、科学・技術の中心地であったため、多くの科学者・技術者を輩出しています。その発見・発明は、現代社会にはなくてはならないものが多いのです。電話を発明したグレアム・ベル、ペニシリンを発見したアレクサンダー・フレミング、蒸気機関を発明したジェームズ・ワット、ファックスを発明したアレクサンダー・ベイン、テレビを発明したジョン・ロジー・ベアード、空気入りタイヤを発明したジョン・ボイド・ダンロップ、道路のアスファルト舗装(マカダム舗装)を発明したジョン・ロウドン・マカダム、消毒による無菌手術を開発したジョゼフ・リスターなどはスコットランドの生まれです。 羊の内臓を羊の胃袋に詰めて茹でたハギスが有名。また、スコッチ・ウイスキーは定義上スコットランド産でなければなりません。スコットランドには、100以上もの蒸留所があり、世界的にも愛好家が多いのは有名です。 コリン・ジョイス(『驚きの英国史』)ではイギリス人の生活を皮肉って次の物がすべてスコットランド人によるものだとしています。マーマレード、レインコート、自転車、タイヤ、乾留液(タールマック舗装)、蒸気エンジン、イングランド銀行、糊つき切手、タバコ、電話、ローストビーフ、アメリカ海軍、麻酔薬などです。 『聖書』にもスコットランド人が最初に出てきますが、これはジェームズ6世が英訳を進めたからとされています。 スコットランドの花 (The Flower of Scotland) が事実上の「国歌」です。 宗教 現在はカトリックとプロテスタントがほぼ拮抗しています。公立学校も、カトリック校と無宗教校(事実上プロテスタント)に分かれています。これはスポーツの世界にも影響を及ぼしており、カトリック系住民が応援するセルティックFCとプロテスタント系住民が応援するレンジャーズFCと激しいライバル関係となってあらわれています。
スポーツ スコットランドはゴルフの発祥の地としても知られ、セント・アンドルーズは聖地として世界中のゴルファーの憧れの地となっています。また、カーリングもスコットランドの発祥とされるため、国際大会の前には「勇敢なるスコットランド(Scotlando the Brave)」が演奏されます。 国民的にはサッカーが最も人気のあるスポーツであり、セルティックFCとレンジャーズFCは絶大な支持を得ています。 大学 セントアンドリュース大学 撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8 ・セント・アンドルーズ大学 ・グラスゴー大学 ・エディンバラ大学 ・アバディーン大学 ・スターリング大学 ・Sabhal Mor Ostaig 「なぜ、スコットランド」につづきます スコットランド総目次へ * |