メアリー・ステュアートの足跡を追って スコットランド2200km走破 スコットランド議会1 Scottish Parliament 1 青山貞一 Teiichi Aoyama 池田こみち Komichi Ikeda 2018年12月10日公開 独立系メディア E-Wave Tokyo 無断転載禁 |
スコットランド総目次へ * スコットランド基礎知識 なぜ、スコットランドか 東京からエディンバラへ リンリスゴー到着 エディンバラ予備視察 ロイヤル・マイル1 ロイヤル・マイル2 ロイヤル・マイル3 再独立に燃える議会 スコットランド議会1 スコットランド議会2 以下はスコットランド議会の詳細その2です。 ◆スコットランド議会の概要 スコットランド議会のロゴ Source:Wikimedia Common By Source, Fair use, Link 復権なったスコットランド議会の入り口 撮影:青山貞一 Nikon CoolPix S8 スコットランド議会(Scottish Parliament)は、スコットランドの首都エディンバラのホーリールード (Holyrood) に置かれた、スコットランドの内政権を委譲された一院制の立法府です。 非公式にホーリールードと呼ばれ、民主的に選出された129名のスコットランド議会議員で構成されています。議員は任期4年で、小選挙区比例代表併用制により選出されます。 73人が地理的に区分された選挙区から小選挙区制で選出され、さらにそれぞれ7人の議員を選出する8つの地区から比例代表制で合計56人を選出します。最近の総選挙は2016年5月5日に実施され、スコットランド国民党が過半数を獲得しました。 もともとのスコットランド議会 (Parliament of Scotland) は、独立国であったスコットランド王国の立法府で、13世紀初めから1707年の連合法によってイングランド王国と合併してグレートブリテン王国を形成するまでの間存在しました。 イングランドとスコットランドの合併の結果として、スコットランド議会もイングランド議会 (Parliament of England) と合併して、ロンドンのウェストミンスターに所在するグレートブリテン議会 (Parliament of Great Britain) となりました。 スコットランドの人々が議会設置に同意した1997年の住民投票を受けて、現在のスコットランド議会は1998年スコットランド法 (Scotland Act 1998) により法律制定権の委譲を受けて設立されました。 この法律は、スコットランド議会の立法権限の範囲、つまり議会が法律を作ることのできる分野を規定しています。この法律で明示された分野の立法権限はイギリスの議会に留保され、明示的に示された以外のすべての分野は自動的にスコットランド議会の責任範囲となります。 イギリスの議会はスコットランド議会への委譲事項を修正する権限を保持し、スコットランド議会が法律を作ることのできる分野を広げたり狭めたりすることができます。 スコットランド議会の最初の開催は1999年5月12日のことでした。 Debating Chamber, Scottish Parliament Building Source:Wikimedeia Commons By © User:Colin / Wikimedia Commons, CC BY-SA 4.0, Link Seats projection for the Scottish Assembly after May 2016 election. Source:Wikimedia Common CC BY-SA 4.0, Link スコットランド議会の歴史 スコットランド王国とイングランド王国が合併した1707年連合法以前は、スコットランドには三部会 (Three Estates) として知られる独立した立法府が存在しました。 合併に関して当初スコットランド側は、立法権を委譲された議会をスコットランドに残すことを提案していましたが、これはイングランド側の交渉者に受け入れられませんでした。 その後300年にわたり、スコットランドはウェエトミンスターのイギリス議会から直接統治されてきました。 スコットランド議会が存在しないことは、スコットランドにとってのナショナルアイデンティティーの重要な問題であり続けてきました。権限を委譲された議会の設立提案は1914年以前にすでになされていましたが、第一次世界大戦の勃発により棚上げとなりました。 1960年代末にスコットランドのナショナリズムが大きな盛り上がりを見せ、自治か完全な独立を要求する動きが広まると、その当時のハロルド・ウィルソン労働党内閣はイギリスの国制(Constitution of the UKすなわち連合王国の法的基本構成のこと。成文法としてのconstitutionは「憲法」と呼ばれる。)について検討するキルブランドン委員会 (Kilbrandon Commission) を1969年に設置することになりました。 委員会の主要な目的の1つは、統一された連合王国の国家内で、よりスコットランドの自治を強められる方法を検討することでありました。キルブランドンは1973年に、直接選挙により選ばれスコットランド地域内のほとんどの問題について立法する権限のあるスコットランド議会 (Scottish Assembly) を設置することを推薦する報告を出しました。 この頃、北海において北海油田が発見され、スコットランド国民党により「これはスコットランドの石油だ」(It's Scotland's oil) というキャンペーンが繰り広げられると、スコットランドの独立とスコットランド国民党への支持が高まることになりました。 スコットランド国民党は、北海油田からの利益はスコットランドに十分還元されていないと主張しました。こうした一連の出来事により、ウィルソン首相は1974年に、何らかの立法権限委譲を公約することになりました。 しかし、1978年まで最終的なスコットランド議会の立法権に関する提案がイギリス議会を通過することはありませんでした。 1978年スコットランド法 (Scotland Act 1978) の規定では、1979年3月1日に実施される住民投票においてスコットランドの有権者の過半数が賛同すれば、エディンバラに選挙によって選ばれる議会を設置することになっていました。 1979年の住民投票では、権限委譲されたスコットランド議会を設立する件は否決されました。投票の52%は賛成でしたが、有権者の32.9%が投票しなかった、あるいはできなかったために、この件を可決するために必要であると考えられた有権者総数の40%の賛成に達しなかったのです。 1980年代から1990年代を通じて、スコットランド議会を望む意見は高まっていっきましたが、これは部分的には、スコットランドでは保守党の議員をほとんど選出していなかったにも関わらず、イギリスの政権はこの時期ずっと保守党であったためでした。 1979年の住民投票での否決の結果として、スコットランド議会を求める運動 (Campaign for a Scottish Assembly) が圧力団体として設置され、これが1989年に多くの団体、政党、産業界の代表が参加してスコットランド国制会議 (Scottish Constitutional Convension) の設立につながりました。 1995年に権限委譲の詳細な計画を出版し、スコットランド国制会議はスコットランド議会の構成の基本のほとんどを提供しました。 権限委譲は、1997年5月にトニー・ブレアの下で政権を取った労働党の政策要綱の一部となりました。 1997年9月、スコットランドの有権者による住民投票で、課税決定権のある新しいスコットランド議会をエディンバラに設立する件が過半数の賛同を確保しました。議会の選挙は1999年5月6日に実施され、同年7月1日に権限がウェストミンスターのイギリス議会から新しいスコットランド議会へ委譲されました。 議事堂 2004年10月に開館したスコットランド議会議事堂の一般入口 Source:Wikimedeia Commons Public Domain, Link 2012年7月時点でのスコットランド議会議員 撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8 議事堂周辺の土地利用(施設配置)図 凡例 1:一般出入り口 2:プラザ(広場) 3:池 4:プレスタワー(報道塔) 5:議会棟 6:タワー1 7:タワー2 8:タワー3 9:タワー4 10:タワー5、キャノゲート・ビル 11:主階段 12:MSP(議員)入口 MSP=Member of Scottish Parliament 13:ロビー 14:庭 15:クイーンズベリー・ハウス 16:MSP(議員)棟 17:芝生の屋根 18:駐車場と車両入口 19:手入れの行き届いた公園 Source:Wikimedeia Commons Public Domain, Link ソールズベリー・クラッグスとラジカル・ロードを背景にした ニュー・カルトン墓地から撮影したスコットランド議会 Source:Wikimedeia Commons CC 表示 3.0, リンクによる エディンバラのソールズベリー・クラッグスから見た、 スコットランド議会とカールトンの丘 Source:Wikimedeia Commons CC BY 2.5, Link エジンバラのスコットランド議会は、ソールズベリー・クラッグスから半分ほど上がった、ラジカル・ロードのすぐ下に見えます。左側には「思考の鞘」がついていた建物があります。クィーンズベリー・ハウスのすぐ上に、国会議事堂と一体となった明るい赤い屋根の白い古い建物は、ロイヤル・ハイスクール(Royal High School)で、以前の議事堂候補地でした。カールトン・ヒルの斜面にはネルソンの記念碑があり、丘の頂上には国立記念碑の塔があります。この写真は2006年4月29日に撮影したもの。 Source:Wikimedeia Commons By Lee Kindness - http://www.pbase.com/wangi/parliament (http://www.pbase.com/wangi/image/34525187), CC BY 2.5, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=546048 2004年9月から、スコットランド議会の公式の所在地はエディンバラのホーリールード地区にある、スコットランド議会議事堂に置かれています。 スペインのカタルーニャ州出身の建築家、エンリック・ミラージェス (Enric Miralles) の設計によるもので、葉っぱの形をした建物、ガラスの天井を持った張り出し部分が隣接する公園へとつながる構造、かつての建物の石で形成された蛇籠の壁などを主な特徴としている。 建物中に何度も現れるモチーフがあり、たとえばヘンリー・レイバーン (Henry Raeburn) の「スケートをする牧師」といったものが用いられています。 いらか段 (Crow-stepped gable) のついた妻側やボートをひっくり返した形の天窓を備えたガーデンロビーなどがこの独特の建物を仕上げています。エリザベス2世の臨席で、この新しい建物は2004年10月9日に開館しました。 2006年3月、屋根の梁が支持物から抜け落ちて、議論中の議員席の上にぶらさがった状態になるという事態がありました。これにより議場は閉鎖となり、検査が行われる間議員は1週間に渡ってザ・ハブ (The Hub) へ移りました。修理の間、すべての議場の業務は議会の委員会室で行われいます。 「スコットランド議会2」 につづきます スコットランド総目次へ * |