メアリー・ステュアートの足跡を追って スコットランド2200km走破 闘いと苦難の歴史 青山貞一 Teiichi Aoyama 池田こみち Komichi Ikeda 2018年8月公開予定 独立系メディア E-Wave Tokyo 無断転載禁 |
スコットランド総目次へ* 闘いと苦難の歴史 ウォレス・モニュメント ウィリアム・ウォレス スターリングブリッジ戦場 ロバーツ・ブルース バノックバーン戦場 スターリング大学 スコットランドの偉人 スコットランド人の独創性 ◆出典、翻訳等について 本稿では、現地調査時に入手した資料、撮影した写真以外に、概要、歴史などでは日本語、英語のWikipediaを、また写真についてはWikimedia Commonsを、さらに地図についてはグーグルマップ、ストリートビューを使用しています。その以外については逐次出典を付けています。さらに、Wikipedia の英文版など外国語版などについては、逐次池田、青山が日本語訳しています。 ここでは、スコットランドのイングランドとの間での独立をめぐる戦いと苦悩の暦について概観します。 ◆スコットランドの戦いと苦悩の歴史 スコットランドは歴史をひもとけばただちに分かるように、およそ700年以上にわたり、古くはローマ帝国、続いてバイキング、そして隣国イングランド(England)からの攻撃、侵略を受け続けきました。 その悲しみと怒りは半端なものではないはずです。 おそらく多くの読者は、一度はBrave Heart(ブレイブハート)という映画(あるいはDVD)を見たことがあると思います。多くのアカデミー賞の部門賞をとったあの映画です。 出典:映画ブレイブハートより そう、メル・ギブソンが主演したあの映画です。 13世紀から14世紀にかけ、ウィリアム・ウォレス(William Walace)とロバート・ザ・ブルース(Robert the Bruce)の二人の英雄が民衆と共に一斉蜂起し、イングランド正規軍を二度にわたり打ち破り、歴史上に初めてスコットランド独立を勝ち取ったのです。 ウィリアム・ウォレス ウォレスは映画、Brave Heartの主人公としても世界的に有名 撮影:青山貞一 Nikon CoolPix S8 この写真は映画(Brave Heart)の一幕 Source:Movie, Brave Heart ウォレスの意志を継いで独立を果たしたロバート・ザ・ブルース 撮影:青山貞一 Nikon CoolPix S8 ◆悲劇の女王、メアリー・スチュアートの故郷、スコットランド 14世紀以降、イングランドからの攻撃、侵略はあったものの、スコットランドは誇り高い国として独立を維持してきました。 しかし、16世紀半ばになり、カソリックのスコットランド女王、メアリー・スチュアートは当時、イングランドで興隆したプロテスタント(英国国教会という)との間での宗教戦争に巻き込まれます。 わずか18歳で嫁ぎ先のフランスから帰国したメアリー女王は、当時欧州を吹きあれた宗教改革に、寛容で柔軟な対応にでます。しかし、これが後に裏目に出てしまい、自分の首を絞めることなります。 当時、欧州はスコットランド、イタリア、スペイン、フランス、ポルトガルなどの諸国がカソリックが主流、他方、イングランドはじめデンマーク、スウェーデンなど北欧諸国、それに宗教改革の発祥地のひとつであったドイツなどでプロテスタントが広まっていました。 出典:NHK BSプレミアム 当時、スコットランドの後ろ盾となったのは、メアリーの母親(マリー・ド・ギーズ)の出身国でもあるフランスでした。 13歳頃のメアリー・スチュアート Young Mary Stuart Source: English Wikipedia Public Domain, Link 欧州におけるプロテスタントの主要な発祥地のひとつであったのがイングランドでしたが、スコットランドで早くならプロテスタントを説教、布教してきたジョン・ノックス牧師は、わずか18歳のメアリー女王に対し次のような発言をしました。 すなわち、「もろい、はかない、か弱い愚かしい生き物(女性、筆者注)を、いかなる形であれ、支配者に昇格させることは秩序と正義の破壊につながり、神に背くことになる」と、女性差別の限りを尽くしスコットランド女王を侮辱したのです。 ジョン・ノックス牧師。セント・アンドリュース城資料館にて 撮影:池田こみち、Nikon CoolPix S10 もちろん、その背後にはイングランドが存在していたのです。結局、メアリーは、イングランドの度重なる陰謀、それもスコットランド内イングランド派が荷担した陰謀によって1年間、スコットランドの小さな湖の真ん中にあるロッホ・レーヴェン城に幽閉されました(既述)。メアリーは何とか島を脱出し、スコットランド独立、そして王位奪還のため兵を挙げますが、すぐに鎮圧されました。 ◆メアリーは19年間幽閉されたあげく、44歳で断頭台へ その後、メアリースチュアートは、実に19年間にわたりイングランド内に幽閉されます。 そして、あげくの果てに、王位継承権のないイングランドのエリザベス女王によって断頭台に送られてしまったのです。 メアリーはまさに「女性であるが故に」、さまざまな、いわれのない誹謗中傷、攻撃、陰謀に巻き込まれスコットランドで1年、イングランドで19年にわたり幽閉されたあげく、最終的にイングランドのエリザベスにより断頭台に送られ処刑されました。 出典:映画エリザベスより メアリー・スチュアートの斬首 出典:NHK BSプレミアム スコットランド人はもとより欧州人の多くが、このメアリー・スチュアートの悲劇をよく知っています。 日本では、2012年6月6日、NHKBSプレミアムが「悲劇の女王 メアリー・スチュアート~エジンバラしろとスコットランドの諸城~」と題する1時間半の番組を放映されました。 出典:NHK BSプレミアム 下の写真は、スコットランド国立博物館1階に安置されている悲劇の女王、メアリー・スチュアートの墓のレプリカです。 身長が180cmあったというメアリー・スチュアートの墓のレプリカの前にて。 本物は息子のジェームス6世によりロンドンのウエストミンスター寺院にエリザベス一世と並んで葬られています。 スコットランド国立博物館にて撮影 撮影:青山貞一 Nikon CoolPix S8 「ウォレス・モニュメント」につづきます スコットランド総目次へ* |