ギリシャ旅行記 オシオス・ルカス修道院 デルフィの遺跡 鷹取 敦 掲載月日:2013年12月26日
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この日に写真を撮った場所(Sony DSC-HX50VのGPSデータより Picasaで表示) ■ギリシャの交通事情と沿道の光景翌日は早朝からバスで長距離移動しました。写真は午前7時前のカライスカキ広場です。 今回は公共交通機関は利用しませんでしたが、この広場のところにメトロライン1(地下鉄)のメタクソウジオ駅があります。アテネは公共交通機関が非常に安く、居住者にとっても利用者にとっても便利だそうです。インテグレードチケット(共通チケット)を購入すると1時間30分以内であれば何回乗り換えても一律1.4ユーロ(約200円)です。地下鉄からバスへ等、異なった交通機関を乗り継ぎも可能です。乗り換え毎に初乗り運賃が発生する日本の首都圏の交通費と比較すると、円安ユーロ高の現在(2013年12月)でも日本と比較して格段に利用しやすい運賃です。財政危機のおり、これでも数年前の価格(1ユーロ)から値上げされているようです。 早朝のカライスカキ広場(撮影 鷹取敦 Sony DSC-HX50V) 一方、ユーロ高のため、ガソリンは1.6〜1.7ユーロ(約230〜240円)と日本のガソリンの実勢価格(約150円程度、2013年12月現在)と比べてかなり割高です。 ガソリンスタンド(撮影 鷹取敦 Sony DSC-HX50V) ガソリンスタンドの価格表示(撮影 鷹取敦 Sony DSC-HX50V) 高速道路は乗用車で2.55ユーロ(約370円)です。頻繁に料金所がありましたが、どれくらいの間隔で料金所があるか確認できませんでしたが、走行時間を考えると日本の高速道路より安いようです。 高速道路料金所の料金表(撮影 鷹取敦 Sony DSC-HX50V) 高速道路の沿道、最終日のフェリーの船上等、多くの場所から丘の上に風力発電の風車が見えました。ギリシャの風力発電の設備の風力許容量は2005年の573MWから2011年の1,629MWへ大きく伸びています。国土の面積は日本の約3部の1ですが、風力許容量は約1.5分の1なので、面積比ではおおよそ2倍程度ということになります。(資料:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%90%84%E5%9B%BD%E3%81%AE%E9% A2%A8%E5%8A%9B%E7%99%BA%E9%9B%BB#cite_note-GWEC2011-2) 風力発電(撮影 鷹取敦 Sony DSC-HX50V) 風力発電(撮影 鷹取敦 Sony DSC-HX50V) 道路沿いに時々このような教会のミニチュアのような形をした祠(ほこら)を見かけました。交通事故があって人が亡くなった場合、あるいは助かった場合に建てられ、中にや亡くなった方の写真や、助かった場合にはイコン(聖者の絵)が納められているそうです。近くに教会があるという目印の場合もあるようです。 ほこら(撮影 鷹取敦 Sony DSC-HX50V) ■オシオス・ルカス修道院世界遺産に指定されているオシオス・ルカス修道院は、ギリシャ正教の修道院で10世紀にテオトコス教会が設立されました。11世紀に建てられた聖ルカス大教会と繋がっています。内部はモザイクと大理石で装飾され、11世紀の宗教美術を代表しています。(資料:在日本ギリシャ大使館)以前は自給自足していたそうですが、現在居住しているのは約10名足らずで、自給自足ではないようです。 大きな地図で見る オシオス・ルカス修道院(Google Maps) オシオス・ルカス修道院(撮影 鷹取敦 Sony DSC-HX50V) ユネスコ・世界遺産のプレート(撮影 鷹取敦 Sony DSC-HX50V) NHKの世界遺産ライブラリでもオシオス・ルカス修道院が取り上げられています。
オシオス・ルカス修道院(撮影 鷹取敦 Sony DSC-HX50V) オシオス・ルカス修道院(撮影 鷹取敦 Sony DSC-HX50V) オシオス・ルカス修道院(撮影 鷹取敦 Sony DSC-HX50V) 地下には聖ルカスの墓所がありますが、ルカスの遺体(ミイラ)は、各地を転々としてこの地に戻った後、上部がガラスになった柩におさめられ、教会の内部に安置されています。 聖ルカスの柩(撮影 鷹取敦 Sony DSC-HX50V) ■デルフィの遺跡オシオス・ルカス修道院から近いデルフィの遺跡は、アテネから北西約180kmに位置し、かつては宗教の中心地として栄えました。険しい斜面に巨大な石でアポロン神殿や宝庫、古代劇場などが建設されました。デルフィは「世界のヘソ」と考えられ、ヘソの位置に丸い石がおいてあります。現地にあるのはレプリカで、本物は博物館に収納されているそうです。ゼウスが世界の両端から2羽の鷲を飛ばして出会ったのがこの位置だったということです。 「世界のヘソ」のレプリカ(撮影 鷹取敦 Sony DSC-HX50V) 「世界のヘソ」の本物の写真(撮影 鷹取敦 Sony DSC-HX50V) 大きな地図で見る デルフィの遺跡の場所(Google Maps) デルファイ遺跡のネコ(撮影 鷹取敦 Sony DSC-HX50V) ローマ時代のアゴラ(民会の開催場所)、神域の外側にある (撮影 鷹取敦 Sony DSC-HX50V) デルフィの周辺には紀元前1600〜前1100年から人々が住み着きガイアの聖所で神託伺いがなされており、紀元前800年頃からアポロンが信仰されるようになりました。紀元前8〜前4世紀には一般の人から外国の要人までがアポロンの神託を聞くために訪れ、神域は繁栄し、奉納品や像、宝庫が並んでいたそうです。新アクロポリス博物館でも同様の説明がありましたが、神託を聞いた人がお礼に彫像を奉納したものが、遺跡から発掘された数々の彫像の一部なのだそうです。 アテネ人の宝庫(撮影 鷹取敦 Sony DSC-HX50V) 神域の宝物は、ローマへ持ち去られ、残ったもののビザンティン時代のコンスタンティヌス帝にコンスタンチノーブル(今のイスタンブール)へ運ばれ、394年にデルフィの神託所は閉鎖されたそうです。 デルフィの神域の発掘は1891年にフランス考古学研究所によって行われました。出土品は現地に建てられた博物館に収納されています。 ヨーロッパにとって古代ギリシャ文明はヨーロッパ文明の源であるという意識があるため、アテネには17のヨーロッパ諸国およびアメリカ、カナダ、オーストラリアの研究・教育施設が設置されています。古代ギリシャ全般にわたる文献をそろえた図書館を併設し、誰でも利用できるそうです。 ギリシャの古代遺跡の体系的な発掘調査は、国家としてのギリシャが成立して以来、これら欧米の研究機関の資金と研究者に支えられてきています。遺跡の発掘はギリシャ文科省に申請、許可されます。発掘する研究者は発掘、現状復帰の費用、出土品を収納する博物館が近くにない場合には保管倉庫の用意が義務づけられています。出土品は各国に持ち帰ることはできません。財政難のギリシャにおいて、古代遺跡の発掘、保護が可能なのはこうした欧米の研究者の貢献によるところが大きいようです。 アポロン神殿(撮影 鷹取敦 Sony DSC-HX50V) アポロン神殿(撮影 鷹取敦 Sony DSC-HX50V) アポロン神殿の前の鷹取敦(撮影 鷹取美加 CASIO EXILIM ZR-700) 古代劇場(撮影 鷹取敦 Sony DSC-HX50V) 資料:「古代ギリシャ 遺跡の過去と現在」、Niki Drosou - Panagiotou著 「物語 近現代 ギリシャの歴史 独立戦争からユーロ危機まで」、村田奈々子著 つづく |