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ベトナム・ホーチミン市短訪
Short visit to Ho Chi Minh City in Vietnam
【2】ホーチミン市の概要
Abstractsof Ho Chi Minh City in Vietnam
青山貞一・池田こみち Teiichi Aoyama & Komichi Ikeda
Environmental Research Institute, Tokyo

    
掲載月日 掲載月日:2011年2月24日2013年8月7-11日拡充
 
独立系メディア E-wave Tokyo 無断転載禁

内容目次
1 活気溢れる社会主義都市    7 べとちゃんとどくちゃん    13 市民劇場とその周辺
2 ホーチミン市の概要    8 統一公堂、旧大統領府   14 ホーチミン市革命博物館
3 ホーチミン市のエポック2つ    9 ホーチミン動植物園   15 ベトナム歴史博物館@
4 戦争証跡博物館@    10 ホーチミン市人民委員会   16 ベトナム歴史博物館A
5 戦争証跡博物館A    11 中央郵便局と大聖堂   17 ベンタイン市場
6 戦争証跡博物館B 12 ホーチミン作戦博物館 18 トン・ドック・タン博物館

◆ベトナム社会主義共和国 ホーチミン市の概要
   
国旗            国章

ベトナム概要
公用語 ベトナム語
首都 ハノイ
ホーチミン市
国家主席 チュオン・タン・サン
面積 329,560km2
人口 84,238,000


ベトナム全土図 出典:米国テキサス大学図書館

ホー チ ミン市の写真
ホー チ ミン市 (トリップアドバイザー提供)

ホー チ ミン市の写真
ホー チ ミン市 (トリップアドバイザー提供)

ホー チ ミン市の写真
ホー チ ミン市 (トリップアドバイザー提供)

ホー チ ミン市の写真
ホー チ ミン市 (トリップアドバイザー提供)

ホーチミン市概要 
下位区分 19 区 5 県
面積 2,095 km2
人口 7,396,446
人口密度 3,531 人/km2
民族 キン族、ホア族(華人)、クメール人

 下の地図は、ホーチミン市の中心部とその周辺を示しています。私達が宿泊したホテルは、中心部の市民劇場近くにありました。主要訪問先の戦争証跡博物館や統一会堂、歴史博物館などは簡単に徒歩で行ける距離にあり、サイゴン川はホテルから10分足らずの場所にありました。


ホーチミン市中心部とその周辺の地図
出典:http://www.greenholiday.com.sg/vnm/map-1.html

 下の地図は、ベトナム戦争時代のサイゴンの地図です。出典は、米国のテキサス大学図書館所蔵です。ほぼ上の地図の赤い部分より少し広い範囲を示しています。

 社会主義のベトナムでは、社会主義国はどこでもそうですが、なかなか地図そのものの入手が困難です。これは、地図が重要な軍事情報であることに由来しています。これはGPS、GIS全盛の現代にあっても変わらないようです。

 下の地図では、サイゴン川の西岸にドンコイ通りがあり、その先に大きな公園があることが分かります。そこがいわゆる南ベトナム時代の旧大統領府、現在の統一会堂です。


ベトナム戦争時代のサイゴンの地図
出典:米国のテキサス大学図書館所蔵

 下は、ベトナム戦争後のホーチミン市の地図です。右上の緑の部分がホーチミン動植物公園です。


ベトナム戦争後のホーチミン市の地図
出典:米国のテキサス大学図書館所蔵

 まずはホーチミン市の歴史から。

◆ホーチミン市の歴史


ホーチミン

 ホーチミン市はプレイノコール、(クメール語で「森の中の街」という意味)として知られる小さな漁村として出発した。今では市街地が広がっている一帯は、もともとは沼地であり、ベトナム人が16世紀後半か17世紀以降に入ってくる何世紀も前からクメール人が住んでいた。華僑も17世紀以降に現れた。明朝の滅亡(1662年)により、その遺臣ら約3000人が阮氏の保護でビエンホア(サイゴンの東方)やミトー(メコンデルタ入口)に入植する。

1623年、カンボジア王チェイ・チェッタ2世は、鄭阮戦争で阮主から流出した難民にプレイノコール一帯で定住してその風習に沿った住居を建築することを許可した。ベトナム人定住者がみるみるうちに増えてゆくのを、タイとの戦争により弱体化したカンボジア王国は妨げることができず、この一帯はゆっくりとベトナム化していった。やがて、プレイノコールはサイゴンとして知られるようになった。

1698年、ベトナム人貴族である阮有鏡(グエン・フー・カイン)が、この一帯にベトナム人による統治機構を構築し、この一帯に干渉するほどの勢力を失ったカンボジアからこれを引き離すため、フエの阮氏の頭領によって送り込まれた。

 彼は大規模な定住によりサイゴンの拡大をもたらした人物としてしばしば賞賛されている。嘉定城と呼ばれた巨大なヴォーバン式星形要塞が築城されたが、これは後に Chi Hoa の戦いにおいてフランス人が破壊した。ホーチミン市は、この年を持って市の起源としている。

1859年にフランスによって占領され、1862年のサイゴン条約で阮朝はフランスによるコーチシナ東部の支配を認めた。その際にサイゴンは開港し、1887年に成立したフランス領インドシナのもとで急速に発展した。

 ベトナムがフランスにより植民地として占領されている間、この街はフランスの影響を受けた。そのことが、この街に数多くの古典的西洋風の建築に表れている。そのため、サイゴンは「極東の真珠」 とか、「東洋のパリ」と呼ばれることも多い。なお、1873年に日本の岩倉使節団がサイゴンを市内見学しており、当時の安南国の様子が「米欧回覧実記」に記されている。

1954年、フランス人は共産主義者のベトミンにディエンビエンフーの戦いで敗れ、ベトナムから撤退した。その後、サイゴンはバオ・ダイ帝が組織した政府の支配下に戻った。バオ・ダイは1950年にサイゴンを首都と定めた。


市内にあるサイゴン生みの親? チャン・フン・ダオ 像

 その際、サイゴンと華人系ベトナム人の居住区域であったチョロン は、一つの行政単位として統合され、首都サイゴン(Thanh Sai Gon )と呼ばれることになった。1954年のジュネーヴ協定によりベトナムが公式に北ベトナム(ベトナム民主共和国)と南ベトナム(ベトナム共和国)に分断されると、アメリカ合衆国の影響下でゴ・ディン・ジエム大統領に率いられた南ベトナム政府は、引き続きサイゴンにその首都を置いた。

 その後南ベトナム軍と北ベトナム軍の戦闘が国境地域から拡大した事を受けて、南ベトナム政府を支援するアメリカのジョン・F・ケネディ大統領は、1960年にアメリカ軍軍事顧問団の大量派兵を行う。

 その後の1965年のアメリカ正規軍の本格参戦によってベトナム戦争が本格化すると、サイゴンをはじめとする南ベトナムには大量のアメリカの軍事物資と資金が流れ込むが、その後南ベトナム解放戦線による一般人をも標的にしたテロ活動が活発になる。

1973年のアメリカ軍の全面撤退以降は徐々にベトナム共和国は劣勢に陥り、1975年4月30日にサイゴン市内に北ベトナム軍が進出し、南ベトナム政府が崩壊しベトナム戦争が終結。この出来事は一般に、アメリカ合衆国では「サイゴン陥落」と呼ばれ、ベトナムでは「サイゴン解放」と呼ばれている。

 その後サイゴンをはじめとする南ベトナムはベトナム人民軍の支配下に置かれ、社会主義化されると経済活動は停滞し、これを嫌う華僑を中心に難民が流出した。

1976年、共産主義の統一国家ベトナム社会主義共和国が成立したことにより、サイゴンの街(チョロンを含む)、ザーディン省及び近隣2州の郊外2地区が統合され、後の共産党指導者ホー・チ・ミンの名を冠したホーチミン市が作られた。

 今日でも、この街の都心部には広くて優雅な並木道が走り、歴史的なフランス植民地風の建物が並んでいて、町並みに彩りを添えている。この街の中心部で最も目立つ建築物といえば統一会堂 ) 、市役所 (Uy ban Nhan dan Thanh pho) 、市営劇場 (Nha hat Thanh pho) 、中央郵便局 (Buu dien Thanh pho) 、革命博物館 (Bao tang Cach mang) 、国立銀行支店 (Ngan hang Nha nuoc) 、市人民法廷 (Toa an Nhan dan Thanh pho) 及びノートル・ダム大聖堂である。


ホーチミン市の中心部

 ホーチミン市はベトナムで確固たる地位を占める華人の本拠地である。チョロンは、現在では6区、10区及び11区の一部と5区として知られる一帯であり、中華街となっている。

1975年以前に南部ベトナムには120万人の華人が在住していたが、そのうち110万人はサイゴンに在住し、さらにそのうち70万人はチョロン在住であった。中越戦争前夜には華人が大量に難民として出国したため、チョロンの華人人口は1978年には10万人にまで減少した。

 在ベトナムの華人人口は1975年145万人から1987年28万人にまで減少している。その後、ドイモイ政策が進むと帰国する者も増え、チョロンの華人人口は50万人以上に回復した。

 人口は700万人を超え(住民登録者及び市外からの通勤者の合計)、ホーチミン市では公共インフラの必要性が急激に増大している。この必要性を満たすため、市当局と中央政府は新都心を開発する努力を始めている。

出典:Wikipedia

 下は、グーグルアースで見たドンコイ通り周辺。ドンコイ通りは、サイゴン川から市民劇場、人民委員会につらなる目抜き通りです。下の3次元地図では、左上の赤い屋根の建築物が市民劇場です。その左隣の凹型の建築物が人民委員会となります。


グーグルアースで見たドンコイ通りとその周辺

  今のホーチミン市は、フランス植民地時代の歴史的建造物と近代的建築物が混在しています。


今のホーチミン市は、フランス植民地時代の歴史的建造物と
近代的建築物が混在している。ドンコイ通りにて
撮影:池田こみち Nikon Coolpix S10


市内にあるサイゴン生みの親? チャン・フン・ダオ 像
撮影:青山貞一 Nikon Coolpix s8

 ホーチミン市は、ベトナム社会主義共和国最大の経済都市。東南アジア有数の世界都市でもあります。旧名はサイゴンであり、現地では今なお「サイゴン」という表現が様々な場面で使われており、都市名としては「ホーチミン」よりも通じています。

 ホーチミンの町並みは、フランス植民地時代の都市計画や建築物の多くがそのまま残っており、主要な通りにはこれでもかと植樹、それもかなりの大木がありました。また随所に緑に溢れた市民公園、都市公園があり、それらが都市の景観とともに灼熱の太陽を遮る役割を果たしていました。

 でかけた2月20-23日のホーチミン市の日中の気温は32度前後、2日で60km以上歩いたので、東京だったら完全に熱中症や日射病となるところですが、ホーチミンでは木陰を歩いたのでそれほどのことはありませんでした。


どこもかしこも街路樹で美しい町並みと景観
アメリカ領事館前にて
撮影:青山貞一 Nikon Coolpix s8

ホー チ ミン市の写真
ホー チ ミン市 (トリップアドバイザー提供)

ホー チ ミン市の写真
ホー チ ミン市 (トリップアドバイザー提供)

ホー チ ミン市の写真
ホー チ ミン市 (トリップアドバイザー提供)

ホー チ ミン市の写真
ホー チ ミン市 (トリップアドバイザー提供)


どこもかしこも街路樹で美しい町並みと景観
市民劇場前にて

 宗教は80%が仏教、キリスト教が10%、その他イスラム教などが10%とのことです。ホーチミン市の中心市街地は寺院はあまり見受けられませんでしたが、空港から中心市街地に向かう途中に、以下の寺院がありました。


空港から市街に入る途中にあった寺院
撮影:青山貞一 Nikon Coolpix s8

 下の写真は、ホーチミン市の目抜き通りです。ここには優雅な並木道が走り、歴史的なフランス植民地風の建物が並んでいて、町並みに彩りを添えています。


ホーチミン市市民劇場近くのドンコイ通りにて
撮影:青山貞一 Nikon Coolpix s8

つづく