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ベトナム・ホーチミン市短訪
Short visit to Ho Chi Minh City in Vietnam
【14】ホーチミン市革命博物館

Ho Chi Minh City Museum of Revolution
青山貞一・池田こみち Teiichi Aoyama & Komichi Ikeda
Environmental Research Institute, Tokyo

    
掲載月日 掲載月日:2011年2月24日2013年8月7-11日拡充
 
独立系メディア E-wave Tokyo 無断転載禁

内容目次
1 活気溢れる社会主義都市    7 べとちゃんとどくちゃん    13 市民劇場とその周辺
2 ホーチミン市の概要    8 統一公堂、旧大統領府   14 ホーチミン市革命博物館
3 ホーチミン市のエポック2つ    9 ホーチミン動植物園   15 ベトナム歴史博物館@
4 戦争証跡博物館@    10 ホーチミン市人民委員会   16 ベトナム歴史博物館A
5 戦争証跡博物館A    11 中央郵便局と大聖堂   17 ベンタイン市場
6 戦争証跡博物館B 12 ホーチミン作戦博物館 18 トン・ドック・タン博物館

 ホーチミン市には、すでに紹介した博物館の他に多数の興味深い博物館があります。残念ながら、日本からホーチミン市に来る観光客の大部分は、パッケージツアーのガイドマップにあるドンコイ通り周辺の名所を見るだけで、その少し外側にあるたくさんの博物館に足を運ぶ人はまれのようです。

◆ホーチミン市革命博物館

 ホーチミン市革命博物館は、米国の傀儡政権である南ベトナムの首都、サイゴン時代に南ベトナム軍や米軍の熾烈極まりない攻撃を受けた

 サイゴン陥落( 1975)は、ベトナム戦争の末期、1975年4月30日に北ベトナムによって南ベトナムの首都サイゴンが接収された出来事です。

 これによって、共産主義陣営によるベトナムの統一が決定的となりました。因みに、「陥落」という表現は主にアメリカ側で使っている表現であって、当時ベトナム共産党はこれを「サイゴン解放」と呼んでいます。

 1975年になると、既に南ベトナムから大量の難民が逃げ始めていました。

 アメリカ合衆国も南ベトナムを見捨てて支援を断ったため、北ベトナムの勝利は決定的となりました。北の軍隊がサイゴンに到着し、大統領官邸(現在の統一会堂)に到着すると、北は南の大統領チャン・バン・フォンに対し辞任を要求しました。

 チャンは北側の要求に応じて大統領を辞任し、ズオン・バン・ミンに引き継ぎました。

 これによってズオンはベトナム共和国の最後の大統領となったわけです。

 アメリカ合衆国はフリークエント・ウィンド作戦を開始し、アメリカ大使館関係者や在越アメリカ人を脱出させる行動を開始しました。この時に『ホワイト・クリスマス』が何度も流され、暗号として使用されたと言います。

 ホーチミン市革命博物館は、まさに南トナムの首都であり、ベトナム戦争の最後を見届けるとともに、革命後、南北統一ベトナムのシンボルとして、ベトナム民族、人民により新たな国づくり、まちづくりに関連した文物を多数展示しています。

革命博物館の写真
革命博物館 (トリップアドバイザー提供)

革命博物館の写真
革命博物館 (トリップアドバイザー提供)

革命博物館の写真
革命博物館 (トリップアドバイザー提供)

革命博物館の写真
革命博物館 (トリップアドバイザー提供)

革命博物館の写真
革命博物館 (トリップアドバイザー提供)


ホーチミン市 革命博物館にて
撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8

革命博物館の写真
革命博物館 (トリップアドバイザー提供)

 下は焼身自殺するティック・クアン・ドック(釋廣コ、1897年 - 1963年6月11日)です。
 
 革命博物館でもっとも、衝撃を受けた展示物です。

 ティック・クアン・ドックは、ベトナムの僧侶で、1963年6月11日に、当時南ベトナムのゴ・ディン・ジエム政権が行っていた仏教徒に対する高圧的な政策に対して抗議するため、サイゴン(現・ホーチミン市)のアメリカ大使館前で自らガソリンをかぶって焼身自殺を図りました。

 彼は支援者たちが拝跪する中、燃え上がる炎の中でも蓮華坐を続け、一切苦悶の表情や声を出さず(一般的に焼身自殺は口腔内の酸素も焼き、肺や喉を焼き爛れさせるため激痛で暴れ回るのが常である)、絶命するまでその姿を崩さなかったさえています。


アメリカ人ジャーナリストのマルコム・ブラウンが撮影した焼身自殺の写真
ホーチミン市 革命博物館
展示物撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8

 その姿はカメラを通じて全世界に放映されました。この衝撃的な事件が世界中に放映され、国内の仏教徒だけでなく世界中の反戦主義者に大きな影響を与えることとなったのです。

 ジエムの弟にして秘密警察長官であったヌーの配偶者であり、事実上のファースト・レディーとして振舞っていたマダム・ヌーは、アメリカのテレビインタビューでこの事件を「あんなのは単なる人間バーベキューよ」と暴言した事で世界中の顰蹙を買い、更に国民のジエム政権への反発をいっそう高めることになりました。

 11月にはついにクーデターが発生し、ジエムおよびヌーは決起部隊に殺害されましたが、マダム・ヌーは生き延びました。

 リチャード・ニクソンは著作で、この事件を共産主義者のプロパガンダの一環に過ぎないと主張しましたが、アメリカ人ジャーナリストのマルコム・ブラウンが撮影した焼身自殺の写真は、1963年度の世界報道写真コンテストでグランプリを受賞しています。

参考:Wikipedia


ティック・クアン・ドックが使っていた自動車
オースチンA95(フエ・天姥寺蔵)
展示物撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8

サイゴン陥落と南ベトナム崩壊
 
 1975年4月30日の早朝には、最後までサイゴンに残ったグエン・バン・チュー元大統領ら南ベトナム政府の要人や軍の上層部とその家族、アメリカのグレアム・アンダーソン・マーチン駐南ベトナム特命全権大使や大使館員、アメリカ人報道関係者などの南ベトナムに住んでいたアメリカ人の多くが、サイゴン市内の各所からアメリカ陸軍や海兵隊のヘリコプターで、海上に待機するアメリカ海軍の空母に向けて脱出した。

 撤退計画がサイゴン市内の混乱を受けて遅延したこともあり、北ベトナム軍はアメリカ政府の国際赤十字社の要請を受け、サイゴンに在留するアメリカ軍人および民間人が完全に撤退するまで、サイゴン市内に突入しなかった。

 なおアメリカ軍およびアメリカ大使館は、撤退後に北ベトナム政府に渡らぬよう計360万アメリカドルを撤退前に焼却処分した。

 同日午前には、前日に就任したばかりのズオン・バン・ミン大統領が、大統領官邸から南ベトナム国営テレビとラジオで戦闘の終結と無条件降伏を宣言した。その後残留南ベトナム軍と北ベトナム軍の間に小規模な衝突があったものの、午前11時30分に北ベトナム軍の戦車が大統領官邸に突入し、ミン大統領らサイゴンに残った南ベトナム政府の閣僚は北ベトナム軍に拘束され、サイゴンは陥落。南ベトナムは崩壊した。少数の南ベトナム軍の将校はサイゴン陥落後に自決した。

 なお、サイゴン陥落の約2週間後には、クメール・ルージュが政権を握った隣国のカンボジアで「マヤグエース号事件」が勃発し、人質の解放に向かったアメリカ軍とクメール・ルージュの間で起きた戦闘により多数のアメリカ軍兵士が死亡している。

 下は、さらにサンゴン(ホーチミン市)の中心部への北ベトナム軍の攻撃の経緯を表した地図です。


展示物撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8

◆南北ベトナム統一

 サイゴン陥落とそれに伴う南ベトナム政府の崩壊後、1969年に南ベトナム解放民族戦線と民族民主平和勢力連合、人民革命党によって結成されていた南ベトナム共和国臨時革命政府が南ベトナム全土を掌握した。

 しかし臨時政府は、北ベトナムのベトナム労働党の指示に基づいて秘密党員が樹立したものであり、主要閣僚職はいずれも南ベトナム解放民族戦線内の労働党員に占められていた傀儡政権であった。


人民委員会の前に立つホーチミンの銅像

◆サイゴン市内にあるホー・チ・ミンの銅像

 南ベトナム共和国臨時政府は正式な政府に発展すること無く、1976年4月にジュネーブ協定以来の懸案であった南北統一選挙が行われ、7月1日、南北ベトナム統一とベトナム社会主義共和国樹立(北ベトナムによる南ベトナムの吸収)が宣言され、「南ベトナム共和国」はサイゴン市陥落から1年余りで消滅した。

 統一後はピアストルとドンの通貨の統合や行政、官僚組織の再編成、企業の国営化が進められた。また、その後旧サイゴン市に周辺地域を統合して北ベトナムの指導者の名前を取った「ホー・チ・ミン市」が新たに制定された。

出典:Wikipedia



ホーチミン市 革命博物館
展示物撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8


ホーチミン市 革命博物館
掲示物撮影:池田こみち Nikon Coolpix S8


ホーチミン市 革命博物館
展示物撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8


ホーチミン市 革命博物館
展示物撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8


ホーチミン市 革命博物館
展示物撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8

 下の書類は、ホーチミンによるベトナム民主義共和国の独立宣言です。


展示物撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8

 ホーチミンによるベトナムの独立宣言です。


撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8

◆ホー・チ・ミン(胡志明, 1890年5月19日 - 1969年9月2日)

 ホーチミンは、ベトナムの革命家、政治家。植民地時代からベトナム戦争まで、ベトナム革命を指導した。初代ベトナム民主共和国主席、ベトナム労働党中央委員会主席。幼名はグエン・シン・クン( 阮 生恭)、成年後はグエン・タト・タイン( 阮 必成)。第二次世界大戦までに使用していた変名のグエン・アイ・クォック( 阮 愛國)でも広く知られる。ベトナム人民からは『ホーおじさん(バック・ホー、 伯胡)』の愛称で呼ばれている。



 ホーチミンの経歴と活動の詳細

 1 経歴
  1.1 生い立ち
  1.2 訪欧
  1.3 共産党入党
  1.4 第二次世界大戦
  1.5 ベトナム民主共和国の成立
  1.6 インドシナ戦争
  1.7 ジュネーヴ協定調印後
  1.8 ベトナム戦争
  1.9 死去
 2 死後の評価
 3 エピソード

 出典:Wikipedia


東ドイツを訪問したホーチミン

革命博物館の写真
革命博物館 (トリップアドバイザー提供)

革命博物館の写真
革命博物館 (トリップアドバイザー提供)


ホーチミン市 革命博物館
展示物撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8

 下は、ベトナム社会主義人民共和国の代表が2006年8月29日祖国そして建築物などを保護してきたホーチミン市を表彰したときのエンブレムです。


ホーチミン市 革命博物館
展示物撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8


ベトナムの典型的な結婚式 ホーチミン市 革命博物館にて
展示物撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8


ベトナムの芸術、芸能などの分野で活躍してきた人々
ホーチミン市 革命博物館
展示物撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8

 博物館には、革命に係る文物以外に、ベトナムでつくられ使われてきた民具、馬車、茶器、陶磁器なども多数展示されていました。


ホーチミン市 革命博物館
展示物撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8


ホーチミン市 革命博物館
展示物撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8

 博物館には、歴史的にベトナムでつくられたさまざまな陶磁器も展示されていました。
 

ホーチミン市 革命博物館
撮影:池田こみち Nikon Coolpix S10


ホーチミン市 革命博物館
撮影:池田こみち Nikon Coolpix S10

ベトナム陶磁器の歴史
 酒店:http://homepage1.nifty.com/Cafe_Saigon/03c1.htm

 中国の景徳鎮などの有名な窯場で作られた陶磁器と比べて、ベトナムの陶磁器は素朴で手作りの温かさがあるような気がします。秀吉時代に、安南と呼ばれたベトナムからさかんに輸入された茶器も、その素朴さが茶人の目にかなったのかも知れません。

 アジアの他の国と同様に、ベトナムの陶磁器の歴史も土を火で焼き上げただけの古代の素焼きからはじまります。約1万年前の新石器時代に作られた土器が、遺跡から出土しています。また、模様などが土器に入り始めたのは紀元前2千年くらいからの青銅器時代になります。

 単純な素焼きから表面につやを持たせる釉薬を使用した陶器に進化するのが紀元前1世紀以降で、中国の支配が始まったころになります。このころに中国からたくさんの技術が入ってきたと思われます。
 ベトナムが中国から独立した10世紀ころの陶磁器は、青磁の陶器が盛んに作られました。14世紀ころになると、細工も複雑なものが作られるようになり、大型の陶磁器なども出現します。

 有名なバッチャン村で盛んに陶磁器が作られるようになるのは15世ころの話です。バッチャンはもともとタインホア省に住んでいた職人が移住してきたのが始まりで、李朝時代から陶器を製作していて、15世紀に栄えるようになったということです。染付けと言う技法がこのころにベトナムで盛んに作られるようになり、赤や緑の線でデザインされた赤絵と呼ばれる五彩がさかんにつくられ、港から海外へ多く輸出されました。

 このころのベトナムの代表的な窯場はバッチャン窯、バクニン省のトーハ窯、フーラン窯、ナムサック窯などがあげられます。また、ベトナム中部にはチャンパ王国の窯場がもともとあり、ベトナムの南進と共に衰退していった歴史があるのですが、資料が残っていないので解明はされていません。グエン王朝時代の古都フエにも窯場があったはずですが、これも詳しい資料が残されていないので、よくわからない状態になっています。

 ベトナムには、もともとすばらしい陶磁器の歴史と文化があったわけですが、長く戦争の風にさらされて、たくさんの大切な物が失われてしまいました。研究を進めることによって、できる限り失われたものを取り返してゆけるように、頑張ってほしいと思います。


ホーチミン市 革命博物館
撮影:池田こみち Nikon Coolpix S10


ホーチミン市 革命博物館
撮影:池田こみち Nikon Coolpix S10


ホーチミン市 革命博物館
撮影:池田こみち Nikon Coolpix S10


ホーチミン市 革命博物館
撮影:池田こみち Nikon Coolpix S10

つづく