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ベトナム・ホーチミン市短訪
Short visit to Ho Chi Minh City in Vietnam
【7】ベトちゃんとドクちゃん

Tsudzu hospital in Ho Chi Minh City
青山貞一・池田こみち Teiichi Aoyama & Komichi Ikeda
Environmental Research Institute, Tokyo

    
掲載月日 掲載月日:2011年2月24日2013年8月7-11日拡充
 
独立系メディア E-wave Tokyo 無断転載禁
内容目次
1 活気溢れる社会主義都市    7 べとちゃんとどくちゃん    13 市民劇場とその周辺
2 ホーチミン市の概要    8 統一公堂、旧大統領府   14 ホーチミン市革命博物館
3 ホーチミン市のエポック2つ    9 ホーチミン動植物園   15 ベトナム歴史博物館@
4 戦争証跡博物館@    10 ホーチミン市人民委員会   16 ベトナム歴史博物館A
5 戦争証跡博物館A    11 中央郵便局と大聖堂   17 ベンタイン市場
6 戦争証跡博物館B 12 ホーチミン作戦博物館 18 トン・ドック・タン博物館

◆ツーズー病院とべとちゃん、どくちゃん

 今回は、時間の関係でツーズー病院の医師には予約がとれずお会いできませんでしたがベトナム戦争、ダイオキシン禍とくれば、日本でも有名なのは、べとちゃんとどくちゃん、そしてツーズー病院です。

<参考>
 ツーズー病院産婦人科病院
(ホーチミン市)
 ・ベット数910台1000人以上の入院 (100人以上は仮設ベット)
 ・スタッフ1400人(契約も含め、80%は女性)
 ・外来患者毎日約1000人


ツーズー病院の位置


ホーチミン市中心部とその周辺の地図

 以の写真は、枯れ葉剤、エージェントオレンジに含まれていた2,3,7,8TCDDダイオキシンの催奇形性による癒合体双生児です。


ダイオキシンの催奇形性による癒合体双生児
出典・中村梧郎氏 

<参考>※青山貞一:「中村梧郎氏のベトナム戦争と枯れ葉剤」聴講記



ダイオキシンの催奇形性による癒合体双生児
出典・中村梧郎氏

 ベトちゃんドクちゃんは、下半身がつながった結合双生児としてベトナムで産まれた兄グエン・ベト(1981年2月25日 - 2007年10月6日)、弟グエン・ドク 阮コ、1981年2月25日 - )の双子の兄弟を指します。

 「ベトちゃんドクちゃん」とは、二人の兄弟を指して80年代から90年代にかけて日本のマスコミなどで呼び習わされた愛称です。二人が結合双生児となったのは、ベトナム戦争時に米軍が大量に散布した枯葉剤の被害の可能性があると報道されてれいます。1988年、ベトが急性脳症となったことを契機として手術で分離されました。

 以下、Wikipediaなどを出典として 「ベトちゃんドクちゃん」について解説したいと思います。

◆ ベトちゃんドクちゃん

枯葉剤散布地域で出生
 ベトナム中部高原のコントゥム省で生まれる。この地域はベトナム戦争下で枯葉剤が多量に散布された地域である。2人は上半身2つが1つの下半身でY型に繋がった結合双生児として産まれた。

 母親フエは終戦の1年後に枯葉剤のまかれた地域に移住し、農業を行っていた。彼女は枯葉剤の撒かれた井戸で水を飲んだという。

 両親は2人をコントム病院に預けた後に離婚。2人は1歳の時にハノイ市のベトナム・東ドイツ友好病院(ベトドク病院、Viet Duc Hospital)へ移され、そこからベト(越〈越南、ベトナム〉)、ドク(徳〈徳国、東ドイツ〉)と名づけられた。

本人達への支援

 下半身がつながった結合双生児の写真は日本中に紹介され、ベトナム戦争の爪跡ととらえられ、日本で大規模な支援活動が起こった。1985年6月2日、「ベトちゃんとドクちゃんの発達を願う会」が福井県敦賀市で結成され、募金を募って2人に車椅子を贈った。

1986年6月11日、ベトが急性脳症を発症、治療のために日本に緊急移送された。6月19日、東京の病院で手術が行われたものの後遺症が残った。

分離手術

 1988年3月に母親と再会。その後ベトが意識不明の重体となる。2人とも死亡してしまう事態を避けるため、10月4日にホーチミン市立ツーズー病院で分離手術が行われた。この手術は日本赤十字社が支援し、日本から医師団が派遣され高度な医療技術が提供された。

 ベトナム人医師70人、日本人医師4人という医師団を編成しての17時間に及ぶ大手術は成功し、ベトには左足がドクには右足がそれぞれ残された。ドクには日本から義足が提供された。


出典:悲劇の子供達ー二重胎児ドクは今、中村梧郎、テレビ朝日


出典:悲劇の子供達ー二重胎児ドクは今、中村梧郎、テレビ朝日

分離後

 分離後ドクは障害児学校から中学校に入学。中学校は中退したが職業学校でコンピュータプログラミングを学び、ツーズー病院の事務員となった。ボランティア活動も行っている。一方、ベトは重い脳障害を抱え寝たきりの状態が続いた。


出典:悲劇の子供達ー二重胎児ドクは今、中村梧郎、テレビ朝日

 2006年12月16日、ドクはボランティア活動の際に知り合った専門学校生のグエン・ティ・タイン・テュエンと結婚。このことは日本でも大きく取り上げられた。結婚式では「将来は障害者も働ける旅行会社を設立したい」と語っており、簡単な日本語を話すことができる。また、結婚後に兄ベトを引き取り夫婦で介護していた。

 2007年10月6日1時(ベトナム標準時)、兄のベトが腎不全と肺炎の併発により26歳で死去。

 2009年10月25日、ドクの妻テュエンがツーズー病院で男女の双子を出産。それぞれ富士山と桜にちなみ、男児はグエン・フー・シー、女児はグエン・アイン・ダオと命名された。

出典:Wikipedia

 この戦争証跡博物館はじめ戦争作戦博物館、ホーチミン市歴史博物館、人民公堂(旧大統領府)には、F4などの戦闘機、ヘリ、戦車、装甲車などの実物が多数展示されていました。


人民公堂(旧大統領府)の庭に展示されていた戦車の前で
撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8


戦争戦略博物館前の庭のF4ジェット戦闘機の前にて
撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8

 当時、米軍がこれ以上ない最新鋭の武器、銃器をベトナムに大量に投入し起こした戦争であり、膨大な量の枯れ葉剤を空から散布し自然環境ばかりでなく地域社会、産業などすべてを破壊した戦争ですが、ベトナム人民の強い意志と人海戦術が最終的に米軍を敗北に追い込んだことが多くの博物館、資料館を巡回するなかでよく分かりました。


つづく