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ポンペイ遺跡探訪A
バジリカ・フォロ

青山貞一 Teiichi Aoyama

2008年3月10日 転載禁
青山貞一 南イタリア紀行〜ポンペイ〜
@ポンペイ遺跡探訪 ソレントからポンペイへ
Aポンペイ遺跡探訪 バジリカ・フォロ
Bポンペイ遺跡探訪 生活・富裕家のフラスコ画
Cポンペイ遺跡探訪 闘技場・大体育場・娼館
Dポンペイ遺跡探訪 街路計画・排水路
Eポンペイ遺跡探訪 秘儀荘
Fポンペイ遺跡探訪 人体レリーフ

●2008年2月22日午後

 ヴェスヴィオ大噴火によって壊滅的な被害を受けた遺跡には、大別して@ポンペイとAエルコラーノのふたつがある。

 今日は午前にソレント旧市街に出かけた後、午後からそのうちのひとつポンペイにソレントからでかけた。 ソレント駅からポンペイ駅には、ヴェスィオ周遊鉄道でわずか30分の距離だ。ヴェスヴィオ周遊鉄道の料金は1.9ユーロ(300円ちょっと)である。


ヴェスヴィオ周遊鉄道のソレント駅にて
撮影:青山貞一、Nikon CoolPix S10

 ヴェスィオ周遊鉄道のポンペイ駅は、ポインペイ遺跡の真ん前にある。歩いて数分で世界遺産のポンペイ遺跡の入り口に到着する。

 ポンペイ駅(正式には、Villa Dei Misteri秘儀荘駅)の位置は下の地図の左下にある。ポンペイ遺跡に行くには、周遊鉄道のポンペイ駅以外に別の鉄道の駅があるので要注意だ。

 ソレントからポンペイ、ナポリからポンペイはそれぞれ30分である。ヴェスヴィオ山とポンペイは、下の地図にあるように20kmの近さにある。大噴火時は北北西の風が吹いており、ヴェスヴィオからポンペイに向け膨大な量の火山灰が移流、拡散、沈降した。しかし、その延長にあるアマルフィは高い山脈があり、大きな被害は免れた。


ソレントからポンペイへ   出典:Google Map より青山が作成

 下の地図を見れば分かるが、ポンペイ遺跡には複数の出入り口がある。ポンペイ(秘儀荘)駅で下車すると、マリーナ門(Porota Marina)がすぐ近くだ。



ヴェスィオ周遊鉄道のポンペイ駅(正式にはVilla Dei Misteri、邦訳、秘儀荘駅)
撮影:青山貞一、Nikon CoolPix S10

 以下にポンペイ遺跡の全体図を示す。
ポンペイ遺跡の全体地図

 下の写真は私が入場したマリーナ門の入り口である。

 2月ということもあり閑散としていた。ちなみにポンペイ遺跡には、マリーナ門、スタビア門、スーチェリア門、サルノ門、ノラ門、ヴェスヴィオ門、コルコラーノ門など多数の門がある。

 通常はヴェスビィオ周遊鉄道のポンペイ(秘儀荘)駅の至近にあるマリーナ門あるいはナポリ・サルノ周遊鉄道の最寄り駅から入るスーチュリア門が使われる。



入り口、マリーナ門で11ユーロの入場料を払う
撮影:青山貞一、Nikon CoolPix S10


ポンペイ遺跡の入り口
撮影:青山貞一、Nikon CoolPix S10


注意事項

 遺跡内に入るとすぐに、イタリア人のおじさんが「ガイドはいかが」と日本語で話しかけてくる。夏場の観光シーズンは、入場者が押すな押すなとなるらしいが、今回は2月、入場者はまばらだ。団体客もほとんどいない。

 なお、夏場では相当の気温となるので水と帽子、日傘などが必須である。中では一箇所のカフェ兼休憩所以外では飲食はなく、高額である。イタリアではローマが異常に水など飲食物が高いが、ポンペイでも1ユーロ200円換算、すなわち日本の2倍以上高額とみておくこと。

 また一端中に入ると最低でも3時間は歩きづめとなるので、くつも履き慣れたものがよい。さらに肝心なトイレも上記のカフェ兼休憩所以外にはないので、十分注意すること。

 ローマはじめイタリア各地の遺跡、博物館などでは写真撮影は大部分制限はないが、教会などでは制限がある。また教会の室内ではフラッシュ撮影を禁止しているところが多い。ミサの最中のフラッシュ撮影は厳禁である。


 下はマリーナ門から入ってすで撮影した写真である。

 
ポンペイ遺跡の入り口を入ってすぐの場所
撮影:Nikon CoolPix S10

 さらに進むと進行方向左にアポロ神殿、右手にバジリカ(Basilica)がある。


アポロ神殿

 マリーナ門を入り少し行って左にあるのがアポロ神殿である。アポロはポンペイの守護神である。

 アポロ神殿のうち最初に作られた部分は、実に紀元前6世紀であり、ポンペイの建造物にあって最古の神殿とされている。その後、アポロ神殿は増築されており、AD1世紀のネロ帝時代に装飾がほどこされた。 当時は、48本の円柱で囲まれた長方形のけんぞうぶつであったが、現在に残るのは2本のみである。


「フォロ」にあるアポロ神殿の遺跡
撮影:青山貞一、Nikon CoolPix S10


古代の裁判所、バジリカ(Basilica)

 一方マリーナ門を入ってすぐに右にある遺跡がバジリカである。

 バジリカはBC120年から78年に建造された古い公共建築物である。おそらくポンペイで最も古い建築物であろう。規模は実に24×55mもある。


バジリカの建造物。正面に見えるのは裁判官用の建物

 肝心なバジリカの用途だが、当初、商業の用途に使われていたが、最終的に司法(裁判所)として使われた。地下にはいわゆる公文書館もあったという。バジリカの入口は公共広場、「フォロ」に面しており10m高のコリント式の円柱で支えられていた。


いまだ進む発掘と修復・再現作業

 バジリカの裏で発掘作業が進められていた。

 ところで世界遺産となっている現在の遺跡内では、あちこちで今でも遺跡の発掘や修復が毎日行われており、学芸員、大学、研究所などが発掘、修復作業をしている。 以下はバジリカの一角ですすめられている発掘作業(フェンスの中)。


バジリカ裏の発掘現場
撮影:青山貞一、Nikon CoolPix S10


バジリカ裏の発掘現場
撮影:青山貞一、Nikon CoolPix S10


公共空間・広場としての 「フォロ」(Foro)

 次は「フォロ」(=フォーラム、英語でForum)である。

 「フォロ」は有名なところでは、ローマのコロッセオに隣接する「フォロ・ロマーノ」に見られるにように広義な意味での公共空間「広場」である。 狭義な意味では政治、宗教さらに経済の中心地を意味する。


「フォロ」。左にヴェスヴィオ山の裾野が見える
撮影:青山貞一、Nikon CoolPix S10

 「フォロ・ポンペイ」と呼ぶにふさわしいこの「フォロ」(公共広場)の規模は、38×157m ある。「フォロ」にはジュピター神殿、ヴェスパシアヌス神殿、ローマ人家庭の守護神の神殿、食肉の市場などがあった。

 下の「フォロ」の写真には、背景にヴェスヴィオ山が見える。ポンペイからみたヴェスヴィオ山はソレントからのものと違って双峰型になっていることが分かる。


「フォロ」。背景にヴェスヴィオ山の裾野が見える
撮影:青山貞一、Nikon CoolPix S10

 「フォロ」のグランドは当時大理石床であったが、現在は芝生となっている。ここを根城とする犬が一匹いる(写真の左側)。下の写真にある列柱はフォロをとり囲むように建てられていたものの名残である。


「フォロ」の中心部。列柱が見える。
撮影:青山貞一、Nikon CoolPix S10


●イシス神殿(Tempio di Iside)の大噴火前後の再現図

 フォロから東に行くと、イシス神殿の遺跡がある。

 イシス(Isis)はエジプト神話の女神である。

 イシスはギリシア語であり、古代エジプトではアセトと言った。イシス信仰は、共和政末期にローマへ持ち込まれて発展した。

 ローマではIsis はIsideと表記されている。そのイシスはローマ帝国のほぼ全域で崇拝された。イシスがホルスに授乳する様子などが、イエスの母・マリアへの信仰の元になったといわれる。

 以下は現地で撮影した現在のポンペイ、イシス神殿正面の写真である。


イシス神殿の正面
撮影:青山貞一、Nikon CoolPix S10

 以下は現在のIside神殿側面である。


イシス神殿側面
撮影:青山貞一、Nikon CoolPix S10

 イシスは古代エジプトの女神でもある。

 その信仰は紀元前1世紀頃にローマにもたらされ、帝国全域で信仰された。AD79年の大噴火前のAD62年に地震がありイシス神殿は破壊されたがその後完全に復旧された。 イシス神殿を飾っていた数々の壁画は、ナポリの博物館に展示されている。


遺跡発掘時のデザイン画
撮影:青山貞一、Nikon CoolPix S10


大噴火前の神殿周辺を創造する絵画   出典:ポンペイ遺跡の展示板より
撮影:青山貞一、Nikon CoolPix S10


大噴火時の神殿周辺を創造する絵画   出典:ポンペイ遺跡の展示板より
撮影:青山貞一、Nikon CoolPix S10

 
ポンペイ遺跡では、主要な神殿など建造物には、上記のような再現図とともに、推定される平面図、側面図、立面図などが遺跡のそばに表示されている。以下は、イシス神殿のもの。


イシス神殿の平面図、側面図、立面図、パース
撮影:青山貞一、Nikon CoolPix S10


イシス神殿の平面にあったフレスコ画
撮影:青山貞一、Nikon CoolPix S10

つづく