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ポンペイ遺跡探訪C
闘技場・大体育場・娼館
青山貞一 Teiichi Aoyama

2008年3月8日 無断転載禁
ポンペイ遺跡の全体地図

●2008年2月22日午後
 
 次に、往時のポンペイの娯楽、スポーツのありようを見てみよう。

歴史上最古の円形野外闘技場(Anfiteatro)

 マリーナ門から一番東側の遠い場所に円形野外闘技場跡がある。ローマなどにあるコロッセオのミニ版だ。

 ポンペイの円形闘技場は、ローマの征服後のAD80の建造とされる。確かに有名なローマのコロッセオのミニ版の兄弟をしているが、ポンペイのそれは現存する闘技場の中では世界最古である。


世界的に有名なローマのコロッセオ。
これもポンペイの闘技場がモデルとなっているのか?
出典:資料画像


 規模は楕円形で長い方の最大が135m、短い方の最大が104mである。62年の大地震で被害を受けたが修復されて現在に至っている。


円形野外闘技場の外観
撮影:青山貞一、Nikon CoolPix S10

 下の写真は別の角度から見た円形野外闘技場の外観だが、闘技場に上部から入るための階段が両側にある。収容規模だが、観客席は約2万人。スタンド席が35段あり、さらに桟敷の堰があったとされる。桟敷席には以下の写真にある階段で一端、最上部に行き入る。


別の角度から見た円形野外闘技場の外観
撮影:青山貞一、Nikon CoolPix S10

 競技場にはアーチ型の通路から入る。下の写真は競技場内から出入り口をみたところ。


円形闘技場への出入り口
撮影:青山貞一、Nikon CoolPix S10


円形野外闘技場の内部
撮影:青山貞一、Nikon CoolPix S10

 ローマのコロッセオには闘技場に出る闘技者や猛獣などの控え通路があったが、ここポンペイの円形野外闘技場にも、それに類するアーチ型の内部通路があった。

 この内部通路は、観客席の下にある。ただし、コロッセオなどローマの闘技場には地下室があり、いろいろな仕掛けがつくられていたが、ポンペイの闘技場には地下室はない。

 このポンペイの闘技場の通路は、グルーっと一周できるので、観客が移動する際の内部通路の可能性が高い。


撮影:青山貞一、Nikon CoolPix S10

 推定するに、ローマ帝国時代、この種の円形闘技場や半円形劇場がローマのコロッセオ以外に北は現在のスコットランド、南は北アフリカ諸国、東はシリアなど中東諸国、さらに欧州各国につくられたが、その構造、設計内容を概観すると、規模は別としていずれも共通した仕様が見受けられる。その原型はひょっとしたらこのポンペイの闘技場にあるのかも知れない。


大体育場(Palestra grande)

 世界最古のポンペイの円形野外闘技場の隣に大体育場がある。この大体育場の規模だが130×140mと、現代のアスレチックスタジアムと比べても遜色ないかなりの大きさである。一周400mの陸上競技用のトラックがスッポリと入る大きさだ。


円形野外闘技場跡の隣にある大体育場。視察時は工事中だった。
撮影:青山貞一、Nikon CoolPix S10

 この長方形の大体躯場には、上そして下の写真にあるようにイオニア式コリドーがある。おそらく観客はこのイオニア式の廊下の中で競技を見ていたに違いない。ギリシャ神殿を想起させる実に立派な構造と設計のコリドーである。

 この大体育場は、アウグストゥス帝の時代に建設され中央にスイミング・プールを備えているのが特徴。


円形野外闘技場跡の隣にある大体育場のイオニア式のコリドー
撮影:青山貞一、Nikon CoolPix S10

 ところで、史実によれば、この大体育場で大噴火の犠牲者が100人以上も発見されているという。犠牲者には医者や医者の助手もいたらしい。ひょっとすると彼らは大体育所属の医者や看護士だったのかも知れない。 

 それにしてもAD79年当時の建造物がここまでしっかりと残っているのには、驚いた。


娼館のフレスコ画

 娯楽とはちょっと異なるが、ポンペイには多くの娼館があった。発掘され修復されたフレスコ画には下の写真用な娼館での営みを描いたものが多数ある。一説には、ポンペイはローマやナポリなど大都市の富裕層の別宅があり、そこに来るひとが通っていたとも言われている。ポンペイの高級リゾート地切だ。
 

娼館での営みを描いたフレスコ画


娼館での営みを描いたフレスコ画


つづく