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ベゼクリク千仏洞 中国百度百科版2

(トルファン 柏孜克里克千佛洞)

(Bodhi Creek Thousand Buddha Cave、Turfan)


青山貞一 Teiichi Aoyama  池田こみち Komichi Ikeda 共編
掲載月日:2015年1月22日 更新:2019年4月~6月
独立系メディア E-wave Tokyo
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ベゼクリク千仏洞1  ベゼクリク千仏洞(百度百科版1  ベゼクリク千仏洞(百度百科版2
ベゼクリク千仏洞(
百度百科版3
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 次は中国新疆ウイグル自治区のトルファン市にあるベゼクリク千仏洞(柏孜克里克千佛洞)です。

ベゼクリク千仏洞 中国百度百科版2


ベゼクリク千仏洞窟(5写真) 出典:中国百度百科

背景

 トルファンには、10箇所以上の多くの洞窟寺院群があります。それらは、高昌石窟、新疆龟兹石窟、いわゆる敦煌石窟、雲崗龍門石窟群であり、いずれも代表的な平原石窟です。また、インド最大の石窟として、アジャンター石窟群が有名です。高昌石窟は世界の四大仏教石窟芸術のひとつされています。


中央平原洞窟、そしてインド最大の洞窟アジャンタ石窟パー、ガオ石窟世界仏教
の洞窟の芸術 4人の代表の一つ
風景 出典:中国百度百科
風景(15枚)

 ベゼクリク千仏洞は高昌石窟の中で現存する最も洞窟が多く、壁画の内容も最も豊かな石窟です。ここは、一時期、高昌回鶻国の王家の寺院でした。1982年、国家最重要(充填)文物保護施設のリストに加えられました。

 ベゼクリク石窟は、新疆ウィグル自治区トルファン市の東北約40km、火焔山峡谷の木頭溝河西岸に位置しています。「ベゼクリク」とは、“ウィグルの山の中腹から麓にある”という意味です。洞窟群は、河の谷の西岸、約1kmにわたり断崖の上連なっており、三層の建物となっています。現在洞窟の数は83窟、その中で壁画があるのは40窟と多く、保存されている壁画の総面積は約1200㎡にも及びます

 1982年に、全国重要文物保護施設のひとつにリストアップされました。ベゼクリク石窟群は麹氏高昌国(きくしこうしょうこく)(499年~640年)に石窟の掘削が始まりました。

 中でも第18、29、48窟はこの時期に掘られたものです。第18窟は、中心に柱のある大型洞窟で、洞窟群の中で壁画が鮮やかに見ることが出来る現存する洞窟の中で最も早期に作られた洞窟であり、壁画が前室と甬道(墓地にしかれた煉瓦の道)、また、下部トンネルに描かれており、高昌回鶻国前期にこれらの壁画の修復を行いました。

 また、トンネル上部と天井部分には、早期の壁画の内容がほぼ完全に残されています。すなわち、描かれた四枚の平板図案は;側壁には丸い襟で両肩を覆った袈裟をきた千仏を描き、両手は腹部に左右別の手の形をした仏像となっています。洞窟の天井と側壁は写実的な手法を用い、木材のような構造に棟木を描き、まるで木のように見えます。

 麹氏高昌王国の発展の後、時代が経過し、ベゼクリクは唐西州時代に「寧戎寺」(ねいじゅうくつじ)と呼ばれ、新疆地区の重要な仏教寺院の中心で有り、長い間栄えました。北庭大都護の楊襲古は、寺院の修復を繰り返したという事実から説明すると、ベゼクリク石窟は当時、西域の仏教寺院として既に発展していたと考えられます。この時代に掘られた洞窟としては第16、17,25、27、31、42、69窟があります。

 これらの石窟の多くは、11世紀以降に繰り返し壁画の修復が行われています。この時代の主要な壁画のテーマは、漢民族による文化の中心としての大規模な改変でした。唐時代の新しい様式が高昌石窟に持ち込まれ、線描など芸術的な技能も絶頂期を迎えていました。筆は極めて少なく、形と精神の両方で壁画の線の描写はシンプル
でなめらか、強くそして力強く描かれました。

 注)寧戎寺とは(Wikipediaより)
  ベゼクリク千仏洞は、トルファン出土文書によると唐代前期には麴氏高昌国時代創建と
  思われる「寧戎窟寺」ないし「寧戎寺」と呼ばれた仏教寺院であった。ウイグル王国の重
  要な特徴として宮廷内外で勢力のあったソグド人の影響もあって、天山ウイグル王国時
  代初期にはウイグル王侯の庇護のもとマニ教が隆盛し「国教」的地位にまでなっていたこ
  とがあげられる。しかし、マニ教の勢力は11世紀には急速に衰微し仏教勢力に「国教」の
  地位をとって代わられたようである。

 注)北庭大都護府とは(天山ウイグル王国 Wikipediaより)
  中国唐代に現在の中華人民共和国新疆ウイグル自治区昌吉回族自治州に設置された
  行政区画。管轄範囲は東は伊吾、西は咸海一帯、北は額爾斉斯河から巴爾喀什湖、南
  は天山であり、府治は庭州に設置された。

 注)中原地区的(Wikipediaより)
  中原(ちゅうげん)は中華文化の発祥地である黄河中下流域にある平原のこと。
  狭義では春秋戦国時代に周の王都があった現在の河南省一帯を指していたが、後に漢
  民族の勢力拡大によって広く黄河中下流域を指すようになり、河南省を中心として山東省
  の西部から、河北省・山西省の南部、陝西省の東部にわたる華北平原を指すようにもな
  った。
  古代のいわゆる「中国」や「中州」、「中土」と同義で、異民族から隔てられる文明の中心
  地という意味があった。その後、南方へと発展していった漢民族にとって中原は民族の発
  祥の地とされてきた。また周王のいたこの地域は権力の象徴とみられることがあり、天下
  を取るために争うことを「中原に鹿を逐う」という成語が生まれた。


視察1つづく