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ベゼクリク千仏洞 中国百度百科版1

(トルファン 柏孜克里克千佛洞)

(Bodhi Creek Thousand Buddha Cave、Turfan)


青山貞一 Teiichi Aoyama  池田こみち Komichi Ikeda 共編
掲載月日:2015年1月22日 更新:2019年4月~6月
独立系メディア E-wave Tokyo
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ベゼクリク千仏洞(
百度百科版3
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 次は中国新疆ウイグル自治区のトルファン市にあるベゼクリク千仏洞(柏孜克里克千佛洞)です。

ベゼクリク千仏洞 中国百度百科版1

 ベゼクリク千仏洞(英語:Bodhi Creek Thousand Buddha Cave、中国語:柏孜克里克千佛洞)は、新疆ウイグル自治区トルファン市の東45 kmの火焔山の西、ウッドディッチ西岸の崖の上にあります。

 ベゼクリク千仏洞には83の洞窟と57の既存の洞窟があります。その中には、40を超える壁画があり、総面積は1,200平方メートルにも及ぶトルファンの既存の洞窟で最大規模の洞窟群です。壁画の内容も最も豊富な洞窟で、新疆地域における仏教石窟寺院の中でも最大規模の寺院の一つです。

 1982年、中国国務院は、ベゼクリク千仏洞は、国の重要文化財保護すべき第二番目の施設であることを発表しました。


ベゼクリク千仏洞 中国語:柏孜克里克千佛洞 出典:中国百度百科

沿革

 ベゼクリク千仏洞は、トルファン市から45キロ東の木頭溝河西岸の崖の上にあります。全部で83の洞窟がありましたが、現存する洞窟は57窟です。



仏洞窟壁画 出典:中国百度百科
仏像の洞窟壁画(8写真)

 ベゼクリク千仏洞の中には、総面積1,200平方メートルの40以上の壁画があります。これはトルファンの既存の洞窟の中で最大規模の洞窟群であり、中でも壁画が最も多く、新疆ウイグル自治区のなかで最大の仏教洞窟寺院遺跡の一つです。

 ベゼクリク千仏洞は、誕生、繁栄、衰退の過程を経てきました。 17世紀と18世紀の洞窟は、6世紀から7世紀の南北朝後期に掘られたものです。第16窟は唐時代中期に掘られた洞窟です。第20窟の壁画には、回鶻高昌王とその皇后の画像が描かれています。

 第33窟の後壁には、仏陀の涅槃図の後ろに弟子が黙して立ち哀悼の意を表する絵が描かれています。第38窟内には、古代マニ教の生活の様子が描かれています。第51窟は、回鶻高昌時代に造られたものです。

 第69窟は、第20窟の内部に掘られたものです。第82及び第83窟は、10世紀から11世紀に強力な勢力を誇っていた高昌回鶻国王の時代に造られたもので、特に、仏教の高僧のための小さな記念窟として建てられたものです。

 ベゼクリク千仏洞の洞窟は、南北朝後期に掘削が始まり、唐、五代、宋、元時代の七世紀にわたる長い年月を掛けて掘り続けられ、その間ずっと、高昌地区の仏教の中心で有り続けました。この時代、回鶻高昌石窟群は最も繁栄しました。紀元13世紀末、高昌王室は、東の甘粛省永昌に移り、さらに、トルファンにイスラム教を導入したために仏教は衰退し、ベゼクリク千仏洞もそれに伴って凋落していきました。

 今世紀初め、ベゼクリク千仏洞の洞窟は、ロシア、ドイツ、イギリス、日本、その他の列強諸国の盗掘により繰り返し内部を荒らされました。壁画に描かれた人物の目はすべてえぐり取られ、ベゼクリク千仏洞は泣きっ面に蜂(弱り目に祟り目)の状態となり変わり果てました。

 度重なる破壊にも拘わらず、仏像を設置した台座は素晴らしく精緻であり、残された壁画は内容に富み、顔色は艶やかで美しく、目を奪われるほどでした。ベゼクリク千仏洞は依然として大規模な文化と芸術の遺産です。1982年、中国国務院は、ベゼクリク千仏洞を国の重要な文物保護施設であると発表しました。


視察1つづく