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草堂寺 西安 (Xi'an、中国)

青山貞一 Teiichi Aoyama  池田こみち Komichi Ikeda 共編
掲載月日:2015年1月22日
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 次は中国西安市(長安市)にある草堂寺です。出展は、安藤希章著『神殿大観』(2011-) 最終更新:2019年7月15日 (月)です。巻末には日蓮新聞から、草堂寺「蔵経楼」落慶式の記事を転載しています。

◆草堂寺Xi'an 中国西安市)

 草堂寺(そうどうじ)は中国長安郊外(陝西省西安市〓邑区草堂鎮)にある仏教寺院です。

 西安市街地から南西36kmに位置し終南山北麓にあります。鳩摩羅什や圭峰宗密の旧跡で、鳩摩羅什の墓所です。草堂寺は中国最初の国立訳経所でした。


草堂寺の位置 
出典:グーグルマップ

 三論宗祖庭とされています。日本の日蓮宗が法華経の発祥の地として尊崇しています。漢族地区仏教全国重点寺院。別称は棲禅寺、清凉建福院、聖恩寺です。

歴史


西安草堂寺 (C?otang si)  出典:中国維基百科


西安草堂寺 (C?otang si)  出典:中国維基百科

略史

 401年に後秦の皇帝姚興が鳩摩羅什を招いて創建されました。逍遥園・西明閣が前身とも、そこに草堂を建てたともいいます。 413年に鳩摩羅什が死去すると、寺内に葬られ、塔が建てられました。

 唐代の742年、飛錫(生没年不詳)が草堂寺に入ります。744年勅命により長安に呼び出されるが晩年は再び草堂寺に入り、法華三昧と念仏三昧を宣揚しました。

 821年、圭峰宗密が住して興隆します。棲禅寺と称しました。

 後梁の開平年間、復興して清凉建福院と改称します。のち草堂寺に復します。

 1366年、元代に修復したが衰退します。

 清代に至り修復を加え、1734年には皇帝が鳩摩羅什高弟の僧肇に「大智園正聖僧禅師」号を下賜しました。石碑が建てられ、聖恩寺と改称しました。

 1766年修復。1862年、戦火で焼失します。

 1881年、洪水被害を受けます。 1966年から1976年まで続いた文化大革命で被災。1983年、重点寺院となります。


?摩?什舍利塔  出典:中国維基百科


草堂烟? 出典:中国維基百科

現代の日本仏教との関係

 1972年の日中国交成立を経て1980年、中国仏教会が日蓮宗久遠寺派を公式招待します。これをきっかけに日蓮宗有志が「日蓮宗鳩摩羅什三蔵法師遺跡顕彰会」を結成します。

 同会や日蓮宗国際仏教親交会の支援で伽藍復興が進められました。 1982年4月13日、鳩摩羅什像を造立して本堂で開眼法要します。

  1992年4月13日、羅什紀念堂を建立します。 2004年、舎利塔前に顕彰碑建立します。法華経漢訳1600年記念に法華経経石碑林を建立しました。

  2015年9月10日、蔵経楼を建立します。蔵経楼には日蓮宗の本尊である「一尊四士」を祀っています。 2019年6月11日、日蓮聖人門下連合会が初めて参拝しましt。

逍遥園と草堂寺

 長安での鳩摩羅什の旧跡である西明閣、逍遙園、草堂寺、長安大寺が知られ、これらは同一の場所とするのが定説となっています。

  しかし鎌田茂雄の考察によると、僧叡「大品経序」(『出三蔵記集』8)に「渭浜の逍遥園堂」とあるから逍遥園は渭水の近くにあったとみられ、逍遥園と草堂寺は別の場所だと推定されます。 また長安大寺は鳩摩羅什の来訪以前からある寺院で、597年の『歴代三宝記』によれば草堂寺、常住寺、京兆王寺(安定国寺)、大乗寺の四つの伽藍からなるとあります。

 554年の「釈老志」『魏書』には常住寺が鳩摩羅什のゆかりの地として書かれています。草堂寺が逍遙園の跡にあるとみなされるようになったのは唐代昭宗の頃で、『仏祖統紀』896年条に「勅して羅什法師のの訳経の処に於いて重ねて草堂寺を建つ」とあります。

 また鎌田茂雄は草堂寺の舎利塔を鳩摩羅什のものではなく、圭峰宗密のものではないかといわれています。草堂寺にある「圭峰定慧禅師伝法碑」と建てた裴休と柳公権が、同様に建立に関わった「大達法師玄秘塔碑」の浮彫が、舎利塔の浮彫と一致することを根拠としています。鳩摩羅什の名を記す舎利塔銘文は後に刻まれたといいます。

伽藍

 山門:傍らに「三論宗祖庭」の碑が立つ。

 天王殿:弥勒を祀る。山門の後ろにある。弥勒殿とも。1992年建立。本尊の弥勒は金色で、左右にはカラフルな四天王像を祀る。

 大雄宝殿:釈迦如来、薬師如来、阿弥陀如来を祀る。羅漢像が並ぶ。

 大悲殿:千手千眼十一面観音を祀る?。大雄宝殿の後ろにある。清の乾隆年間に修復。観音殿。

 法堂:毘盧遮那仏を祀る。講堂とも。

 蔵経楼:日蓮宗式の本尊である一尊四士(釈迦如来、上行菩薩、無辺行菩薩、浄行菩薩、安立行菩薩)を祀るという。経蔵。法堂の後ろにある。高さ23m、間口54m、奥行30mの巨大な堂宇。「蔵経楼」の他、「妙法殿」の額も掛かる。

 鳩摩羅什紀念堂:鳩摩羅什像と千手観音を祀る。大雄宝殿の西にある。

 鳩摩羅什舎利塔:紀念堂の後ろにある。「煩悩即菩提」と額が掛かる堂の中に八宝玉石塔と呼ばれる高さ2.5mの大理石製の塔がある。石塔には「姚秦三蔵法師鳩摩羅什舎利塔」と刻まれている。後秦の皇帝姚興が413年に建てた。覆堂は1956年の建立。堂の前には「蓮華井」と鳩摩羅什の石像がある。

  注)鳩摩羅什(くまらじゅう、サンスクリット語:、Kum?raj?va、クマーラジーヴァ、344年-413年、一説に
    350年-409年とも)、亀茲国(きじこく)(新疆ウイグル自治区クチャ県)出身の西域僧、後秦の時代に
    長安に来て約300巻の仏典を漢訳し、仏教普及に貢献した訳経僧である。最初の三蔵法師。
    のちに玄奘など、多くの三蔵法師が現れたが、鳩摩羅什は玄奘と共に二大訳聖と言われる。また、
    真諦と不空金剛を含めて四大訳経家とも呼ばれる。三論宗・成実宗の基礎を築く。漢名の鳩摩羅什
    (くまらじゅう)はサンスクリット名のクマーラジーヴァの音写である。略称は羅什(らじゅう)または什
    (じゅう)。


 煙霧井:舎利塔の後ろにある。霧が湧き出る井戸。西安八景の一つ「草堂煙霧」として知られる。

 観音閣:法堂の東にある。

 臥仏殿:大悲殿の東にある。

 鳩摩羅什碑:

 圭峰定慧碑:855年建立。

 草堂寺碑:1352年建立。「逍遙園大草堂棲禅寺宗派図」。

 僧肇碑:1734年建立。「勅封大智園正聖僧禅師僧肇碑」。


西安草堂寺 (C?otang si)  出典:中国維基百科


中国・草堂寺「蔵経楼」落慶式   出典:日蓮宗新聞 2015年10月1日号

 中国・西安の草堂寺で9月10日、日蓮宗鳩摩羅什三蔵法師遺跡顕彰会(吉田文堯会長)の援助などで進められてきた蔵経楼建設の完成を受け、落慶式が営まれた。

 草堂寺は、日蓮宗が信仰の拠り所とする『妙法蓮華経』が鳩摩羅什三蔵(以下=羅什)によって漢訳された聖地。約10年の歳月をかけて建立された蔵経楼は羅什の顕彰のほか、日中友好の願いがめられ、日本からの参拝者88人や楼を取り囲む約1千人が全世界の本仏の救済を祈った。


中国・草堂寺「蔵経楼」落慶式
出典:日蓮宗新聞 2015年10月1日号


中国・草堂寺「蔵経楼」落慶式
出典:日蓮宗新聞 2015年10月1日号

 日蓮宗は昭和55年に派遣された第1次日蓮宗訪中団が草堂寺を参拝。文化大革命で破折され荒廃した草堂寺の復興と顕彰を志し、同顕彰会が組織された。

 過去、等身大羅什尊像の奉安や羅什紀念堂を建設し、草堂寺の復興を援助してきた。住職の諦性師はたびたび日蓮宗宗務院にも訪れ、友好関係を築いている。平成17年に計画された蔵経楼は間口約54b・奥行き約30b・高さ約23bの4層5階。経蔵としてだけではなく、講堂や世界中から仏教経典を収集する一大仏典センターとして使われる。

 また堂内には中国で初となる日蓮宗のご本尊の形態の一つ「一尊四士」のご尊像が祀られたことも特徴。
式当日、約1千人の参拝者が蔵経楼を取り囲むなか、約5万発の爆竹が祝典開始の合図として鳴らされた。

 中国側からは諦住職や西安市の仏教会長、行政関係者が謝意や歓迎の意を表した。続いて日中友好宗教者懇話会長の持田日勇師が羅什への敬愛と報恩の思いを伝え、「全世界にある羅什三蔵法師の翻訳経典の全てをこの蔵経楼に収集できることを」と願った後、「若い僧侶が先頭に立ち、さらに草堂寺と日蓮宗の絆を固くしてほしい」と結んだ。

 中国人僧侶の法要後、日本人僧侶の一尊四士開眼法要が吉田会長を導師に営まれた。日蓮宗の力強い修法や自我偈、お題目が真新しい堂内に響き渡った。


回民街つづく