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北イタリア紀行
イタリア北部の一大湖水地方
コモ(Como Lago)

青山貞一池田こみち

2006年4月7日
 転載禁

ブラチスラバ (1)〜(5) ウィーン  ミラノ コモ  セベソ
 ベニス

■6日目(水

 昼食後、翌日のセベソ現地視察の予行演習を兼ねミラノ北部のコモ湖に向かう。
 
 セベソ駅方面とコモ湖方面は最初は同じだが途中からセベソ方面は東の方向に分かれる。30分に1本は出ている事が分かる。、

 地図で見るとコモはミラノ中心部から約70kmである。湖がたくさんあるミラノ市民のリゾート地か。以下の地図にあるように、コモ湖のすぐとなりは、スイスである。ミラノやマルペンサ空港からの距離も以下の地図でよく分かる。非常に近い。


コモの湖水地方は上の地図のようにかなり広い。
列車で到着するのは上記のComoという部分である。
出典:

 同時にミラノの通勤圏内でもある。駅で切符を買う。往復で12ユーロ。片道8百円ほど、時間は1時間10〜20分だ。

 ミラノで分かったのだが、この種の長距離公共輸送機関の料金はメチャクチャ安い。マルペンサ空港からミラノ中央駅までのリムジン料金がわずか5ユーロ、日本円で800円程度、距離は優に50km以上ある。コモ湖は、イタリア語でコモ・ラーゴと言う。

 午後1時26分ミラノ北駅発、コモ湖行き列車に乗る。

 車窓の景色が次第に変わる。最初は大都会、次第に農村、田園風景、1時間もしないうちに丘陵地帯、コモ湖駅が近づくと山岳地帯、山岳の最後は湖水地帯と言った具合だ。 

コモ湖行きの列車 車窓の風景は次第に農村風景から丘陵に

 終点のコモ湖駅で下車すると、真ん前がコモ湖の湖水だ。

 湖に向けて山が急角度で迫っている。その山の山頂や中腹に多数の別荘らしき建物が林立している。日本ではちょっとお目にかかれない湖水風景だ。

 湖水を散歩する。なかなかすばらしいリゾート地だ。何でもこのコモ湖の周囲は150kmもあるという。にもかかわらず、コモ湖駅前に湖が大展開するパノラマはすばらしい。

終点のコモ湖駅 駅前にコモ湖のパノラマが広がる

 一端、駅方向に戻る途中、イタリアと言えばジェラート。コモから近いトリノで行われた冬季オリンピックで優勝した荒川静香さんがジェラートが好きだったこともあり、一躍有名になった。

 この有名なアイスを買い食いする。230円程度でたっぷり量があるおいしいイタリア流のソフトを味わいながら、以下の湖水地方のゆったり、のんびりした風景を堪能する。日本ではなかなか味わえない雰囲気だ。

 私はここ数年、長野県に70回ほどでかけ、上高地だ、軽井沢だ、諏訪だ、伊那だどでかけていたが、どういうわけか、コモ湖で感じたものは、単なる自然ではない。事実、写真にあるように、別荘、住宅、ホテルなどが湖水に向かって林立している。


駅前から広がるコモ湖の大パノラマ

 おそらくその大きな違いは、一言で言えば、歴史であり文化であろう。そういってしまうとすべてがそう言うことになるだろうが、間違いない。

 たとえば、こと音楽に限ってみても、このコモ地方にはプッチーニはじめ多くの音楽、芸術家が来てあるときは仕事場に、ある時はオペラで、あるときは交響曲の指揮をしている。プッチーニのかのイノバウアーがこの地で作曲されたかどうかは知らないが、人間の知的営為、文化的営為、芸術的営為とコモの風景、広義の意味での自然がうまくまっちしているだと思える。


駅前から広がるコモ湖の大パノラマ


駅前に広がるコモ湖のパノラマ

 コモ湖をひととおり見た後、コモ駅の南側につづく中世の町並みを残したブティック、レストランなどが並ぶ曲がりくねった路地を散歩する。町並みはやはり教会と広場を中心にできている点で、欧州のどこにでもある地方都市とおなじだ。第一印象はブラスチラバをイタリア的に明るく喧噪にしたと言う感じか。


コモのまちかど


コモの街角

 この中世のおもかげを残したコモの小さなまちには、当然のこととして教会もある。いつものように中に入り、お祈りをする、小さな教会だが、なかはなかなかすばらしい。

コモの教会 中世の町並みを残すコモの町、路地裏で

教会の内部

 さて、そのコモ地方の成り立ちだが、次のような紹介がある。読むとやはりコモは多くの芸術家にインスピレーションを与えたと書いてある。
 
第28回 リストが演奏した湖畔の劇場 コモ

出典:http://www.japanitalytravel.com/back/ye_musica/2005_09/09.html


 
コモの起源は紀元前5〜6世紀ごろ、ケルト族の要塞が置かれた事で誕生した。

 その後紀元前196年ローマの将軍マルクス・クラディウス・マルケルスMarcus Claudis Marcellusがケルトを破り、「城Castrum」、即ち「コムン・オッピドゥム・コモ市」という4角形の陣営を創設したのが、コモの現在の街のはじまりといわれている。 12世紀のコムーネの時代、コモは街を囲む様に城壁が張り巡らされていた。

 この頃コモではロマネスク建築が隆盛を迎え、現存する美しいロマネスク建築のサン・フェデーレ教会、政庁舎、サン・タッポンディオ教会、サン・カルポフォロ教会などが建てられた。

 その後コモは1118年から1127年にかけてミラノとの戦争になり、それに敗北し、街は破壊された。
 その後バルバロッサの援助で街は城壁などが再建され、1335年からミラノのヴィスコンティ家の支配が始まり、ガリバルディによってイタリアが統一される1860年代まで、コモの歴史はミラノの歴史と共通していたといえる。

 この街は美しい湖だけでなく、多くの新古典主義の建物などが残っていて、スタンダールはこの街に強い愛着を持っていた。コモはまた、繊維、アパレル産業が集積した街であり、街の半数以上の人がこれらの産業に従事している。

 コモはイタリア19世紀最大の小説マンゾーニManzoniの「いいなづけPromessi Sposi」の舞台となった場所で、マンゾーニが小説に書いたレッコLeccoの街にも近い。美しい湖は多くの芸術家にインスピレーションを与えた。

 

 印象だが、ミラノにまできたひとは、ぜひ、このコモ湖に足をのばすことをおすすめしたい。

 時間にして片道1時間ちょっと、交通費は片道800円ほどで、これほどのんびり、癒される場所にであえる。出会うと言うより、体感できる。しかも、世界の音楽家、芸術家がことごとく訪れたという歴史文化の香りを実をもって体感できるのはなによりも価値があると思える。

 始発のミラノ北駅は、ドーモからも歩いて行けるし、市内どこからでも地下鉄、バス、タクシーで簡単に行ける。そのミラノ北駅からわずか1時間ちょっと。ミラノばかりかトリノに行くひとたちにもおすすめしたい。

 町並み見学を終え、来た道をミラノ北駅に戻る。北駅からドーモに向かって目抜き通りで夕食をとる。パスタとサラダと水だが、このパスタ(フィットチーネ)がやたら塩辛く、到底、プロの料理人がつくったとは思えない代物だ。これには怒り心頭。ドーモのバス停からホテル近くのバス停、ダテオまでバスで帰る。

 ミラノだけでなくイタリアのバスはどこでも同じだと思うが、次ぎの停車駅のアナウンスを一切しないし、バス内に路線図もない。したがって自分でしっかり一駅毎見極めるか、同乗者に自分が降りたい駅を伝え、教えて貰うしかないのだ。これは結構しんどい。

 今回は同乗したサラリーマン風情の男性にそれを依頼した。男性は大声のイタリア語もどきの英語でいろいろと話しかけてくる。ミラノはローマに次いで2番目の大都市であるとか、ミラノは郊外を含めた大ミラノ圏で何百万人がいるとか、コモのあたりはいまや通勤圏であると言った具合だ。あまににも大声なので、他の同乗者から失笑がもれる。

 明日は、ロンバルディア財団環境訪問、セベソ現地調査、早く寝る。

セベソにつづく