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早春・欧州奮闘紀行

ブラチスラバ旧市街 1
〜中世の町並みを色濃く残す小さなまち〜

青山貞一 Teiichi Aoyama・池田こみち Komchi Ikeda

2006年4月1日



その1  その2  その3  その4  その5  ウィーン  ミラノ  コモ ベニス


■初日
 
 春まだあさい2006年3月10日、オーストリア航空で成田からウィーン国際空港へ。

 オーストリアは4回目。ただし、オーストリア航空ははじめて。航空機A340の外観には何と、写真にあるようにウィーンフィルのデザイン。モーツアルト生誕250年を記念してのことだ。

 今年、オーストリアはモーツアルト一色。あちこちにその配慮が。オーストリア航空の機内の色彩はすばらしい。

 機内で配られる飲み物のコースターもモーツアルト。ただし、機内食はオーストリア航空に限らず、あまりうまくないない。もう少しどうにかならないものだろうか。


オーストリア航空も今年はモーツアルト一色!?


 そうこうしているうちに、成田から12時間ちょいでウィーンのヴィーヒャート国際空港に到着。空港近くのホテルで、最初の仕事をこなす。


2年ぶりのウィーン空港。前回は真冬の一月だった。

 その後、ウィーン空港から約50kmの距離にある隣国、スロバキア(Slovakia)の首都、ブラチスラバ(Bratislava)に移動する。スロバキアははじめて。一路、かつてハンガリー王国の首都でもあったブラスチラバへ。

 ウィーンに来るたび、地図を見るとウィーンのすぐとなりにあるブラチスラバにはぜひ、一度行ってみたかった。チェコのプラハは国際ダイオキシン会議でEUに来たときに行っているが、プラハは今や押しも押されもしない国際観光都市。

 一方、事前にブラスチラバについて調べたものの、ブラチスラバに関する情報や記述は少ない。ブログもほとんどない。たまにあっても、「ブラチスラバにはほとんど見るべきものがない」などと書かれている。

 もっぱら、どこにでもある観光地ではないだけ、素朴な中世の小さな町でのんびりするには、もってこいの町では、と思ったりした。

 ウィーン空港の到着ロビーで日本円をユーロとスロバキアのSKに変える。

 QBBというバス会社の空港出張ショップに切符を買いに行く。ウィーン空港とブラチスラバのバスターミナルは往復で16ユーロ。片道は以下にあるように9ユーロ。


ウィーン国際空港とブラチスラバを行き交うバスの時刻表

 往復の場合、片道8ユーロ、日本円で約1200円。ある国の首都から他国の首都に1200円で行けるのは世界広し、いや欧州広しといえ、おそらくここしかないだろう。
 
 ブラチスラバ行きバスに乗る。荷物料金が別途一人当たり0.7ユーロ取られる。いすれにしても目茶、安い。しかも、時刻表を見ると一時間に一本はでている。


ブラチスラバ行きバスを待つ人々。ウィーンに週単位などで
でかせぎに来ている労働者もいるのでは。

 バスは約45分間、くらいオーストリア領内をひたすら走る。途中、まだオーストリア領内で大型の風力発電施設にひんぱんに出会う。おびただしい数ある。どうみても風車は100機以上ある。オーストリアも日本同様、資源エネルギー小国、自然エネ開発に怠りないようだ。


100機を超す? 大型風力発電機がオーストリア領内に立地していた

 国際長距離バスは、ドナウ川にそいウィーンからブラチスラバに向かう。わくわく。

 ところで、どういうわけか何しろ車内が静か。後のイタリアなどと比べると通夜のようだ。誰も一言も話さない。


バスの車内。結構満員だが、何しろ静か。誰も一口も話さない?

 ウィーン空港を立ち45分間でスロバキアのパスポートコントロールに。いかめしい監査官がバスに乗り込んでくる。

 ひとりひとりパスポートをチェックされる。そこからさらに20分ちょっとで、真っ暗なドナウ川に架かる橋に出る。その大きな橋を渡ると、ブラチスラバのバスターミナルはすぐ。

 右も左も分からない。まず、売店で詳細な地図を買う。ホテルの名前を言い、バスターミナルからどう行けばよいかを聞くが、さっぱり英語が通じない。身振り手振りで地図を売ってくれと言う。すると、となりのキヨスクに行けと指を指す。地図を60SK、すなわち約190円で買う。


ブラスチラバの位置 参照:外務省HP

 宿泊先のドナウ(ダニューブ)ホテルは、バスターミナルから1kmちょい、離れていることが分かった。歩けない距離ではないが、なにしろ真っ暗なのと、荷物があるので危ない。バスターミナルに並ぶタクシー(白タク?)に乗る。

 あらかじめ、いくらか聞く。300SKと返ってきた。日本円で約1000円。1kmちょいの距離からすると、日本以上に高い。文句を言うが、白タクの運ちゃんはさっさと荷物をトランクに入れる。まぁ仕方ないと乗り込む。

 案の定、ほんの5分でドナウ(ダニューブ)川のほとりにある立派なホテルに到着。そっけなくいかにも旧共産圏のホテルだ。だが、設備、部屋などは綺麗で清潔、けっこうな広さ。この国では、この四つ星ホテルはおそらく最上級ホテルなのだろう。

 ちなみに一部の日本語バージョンのホテル案内では、地図上の位置がクラウンプラザホテルの位置となっている。間違っているので要注意だ。


宿泊したダニューブ(ドナウ)ホテル 出典:Hotel Web
ドナウ川のほとりにあり、聖マルチン教会の隣でブラチスラバ城にも近い。



宿泊したダニューブ(ドナウ)ホテル 出典:Hotel Web



 荷物を部屋に置き、近くのホテルの真ん前にある中世風建物の一階にあるレストランに。

 そとにでると、うす暗いが、すぐ近くにブラチスラバ 城が見える。ホテルは、ドナウ川のほとりにあり最高のロケーションのようだ。

 レストランで、サラダ、スープ、牛肉のシチュー、地元のソーセージそれに清涼飲料水を頼む。これにパンが付いて値段は一人当たり330SK、日本円で約1000円。まあリーズナブル。ただ、スロバキアではあまり食べ物は期待できないと感じる。食事後、ホテルにもどり就寝。


ブラスチラバでの最初の食事

 ホテルでインターネットを接続しようとすると、何と何と、ADSLが一日単位で6000円、ダイアルアップは一時間単位で2000円など、信じられない高さである。ホテル代と見間違うほどの高額。せっかくの土日の休みでもあるので、インターネットは使わないことにする。これは旧共産圏、東欧諸国でも貧しいスロバキアのなせるわざか? おそらくまだまだ高級品なのだろう。


ホテルにあったADSL接続セット

 調べると、スロバキアの首都であるブラチスラバはドナウ川中流に位置している。上流はウィーン(オーストリア)、下流はブダペスト(ハンガリー)と、水運交通の一大要所にあり、相当古くから反映してきたまちのようだ。

 以下はドナウ川の流域に位置する国と都市である。

 地図では、ドナウ川の源流はドイツ(Deutschland)南部にあり、その後オーストリアのウィーン(Wien)、スロバキアのブラチスラバ(Bratislava)、ハンガリーのブダペスト(Budapest)、モンテネグロのベルグラード(Beoglad)、ルーマニアのブカレスト(Bukarest)を経由して、最終的に黒海に流れ込んでいる。まさに中欧から東欧を横断する一大大河であることがわかる。そしてブラチスラバはほぼドナウ川の中央に位置していることも分かる。


ドナウ川流域に位置する国、都市

出典:上手の拡大詳細はここをクリック
http://www.danube-river.org/en_fluss-karte.html

 今では、ウィーン<ー>ブラスチラバ<ー>ブダペストには、列車、バスが走っているが、水上バスも運行している。今回の旅行は、仕事の関係でウィーンに月曜日にはもどらなければならかく、東欧諸国はウィーン<ー>ブラスチラバだけとなったが、将来時間を見つけてブダペスト、さらにはクロアチアのドブロブニク(アドリア海の真珠と呼ばれる世界遺産の都市)にも足をのばして見たいと思っている。 


ドブロブニク(アドリア海の真珠と呼ばれる世界遺産の都市) 出典:NHK

 
以下は、スロバキア、ブラチスラバの基本情報。最大のポイントは、ブラスチラバは、その昔、ハンガリー王国の首都でもあったことだ。またハップスブルグ家の拠点ウィーンに極近いことだ。いずれも、町の歴史、文化、建築物に大いに影響があることである。

ブラチスラバ(その2)につづく


  スロバキア  

正式名称スロヴァキア共和国で、東ヨーロッパの国。首都はブラチスラヴァ。古代にはサモ王国モラヴィア王国として独立を保った期間もあったが、スロバキアの地とスロバキア人は1000年間少数民族としてハンガリー王国の支配下にあって、ハンガリーにとっても歴史的に重要な地域であり、多くのハンガリー人の出身地、ハンガリー貴族の発祥地でもある(元来スロバキア系で、ハンガリー文化に同化した者も多い)。第一次世界大戦後オーストリア・ハンガリーからチェコと合併するかたちで独立し、その後幾らかの変遷を経て、1993年1月1日にチェコスロバキアから分離独立し現在に至る。北西にチェコ、北にポーランド、東にウクライナ、南にハンガリー、南西にオーストリアと隣接する。

ブラチスラヴァスロバキア語Bratislava

スロバキア首都。人口43万人を擁するスロバキア最大の都市。ドナウ川に面しており、オーストリアハンガリーとも国境を接する。名称はこれまで幾度も変わっており、現在の「ブラチスラヴァ」の名称は第一次世界大戦後に使われ始めた。マジャル(ハンガリー)語では ポジョニPozsony)、ドイツ語では プレスブルクPresburg)と呼ばれる。

都市の歴史
1536年-1784年: ハンガリー王国の首都
1542年-1848年: (短期の中断期間を挟むも)ハンガリー議会所在地となる。
1563年-1830年: ハンガリー国王の戴冠式 (St. Martin's Cathedral)
18世紀以降:スロバキア地方の中心都市となる。
  • 1805年 - プレスブルクの講和条約 Treaty of Pressburg
  • 1919年-1939年:チェコスロバキアの領土となる。1919年に公式都市名が"Pre?porok"からブラスチバ(スロバキア語:Bratislava)となる
  • 1939年-1945年:スロバキアの首都になる。
  • 1945年-1969年: 再びチェコスロバキア領となる。
1969年-1992年:チェコスロバキアの連邦であるスロバキアの行政府所在都市となる。
  • 1993年:スロバキアの首都になる。
以上、ウィキペディア(Wikipedia)を参照

スロバキア共和国基本情報(外務省HPより)

1.面積 49,035km2(日本の約7分の1)
2.人口 541.0万人(2001年)
3.首都 ブラチスラバ
4.人種 スロバキア人 85.6%、ハンガリー人 10.5%
5.言語 スロバキア語
6.宗教 カトリック60%、無信仰9%
7.国祭日 1月1日(独立記念日)、7月5日(キリルとメソジウスの日)8月29日(スロバキア民衆蜂起の日)、9月1日(憲法記念日)
8.略史
9世紀 大モラビア帝国時代
10世紀 大モラビア帝国滅亡、ハンガリー人の支配下に入る
1918年 オーストリア・ハンガリー帝国崩壊後、チェコスロバキア共和国建国
1939年 ナチス・ドイツの影響の下、スロバキア国独立
1945年 第二次世界大戦後、チェコスロバキア独立回復
1948年 共産主義体制確立
1968年 「プラハの春」事件
1989年 民主革命(「ビロード革命」)により共産主義体制が終焉
1993年 チェコと平和裡に連邦を解消し、独立


ブラチスラバ(その2)につづく