アンコール遺跡群現地調査報告 アンコール・ワット(Angkor Wat) 修復活動 青山貞一 Teiichi Aoyama 池田こみち Komichi Ikeda 2019年2月24日公開 独立系メディア E-Wave Tokyo 無断転載禁 |
アンコール遺跡全体目次 <アンコール・ワット> はじめに 東門 第1回廊 第2回廊 第3回廊、中央祠堂 十字回廊 千神経蔵 前庭 経蔵・西門 概要 歴史 修復活動 ◆アンコール・ワットの修復活動 困難を極めたアンコール・ワット遺跡の修復、復元ですが、そこにはフランスなど外国勢のなかに、献身的にかかわった日本の研究者もいました。とりわけ、石澤 良昭氏を中心とした上智大学グループが果たした役割は大きいと思います。 最初に、石澤 良昭氏のプロフィールを紹介しましょう。 ◆石澤 良昭氏(いしざわ よしあき、1937年9月19日 - ) 石澤 良昭氏は日本の歴史学者で、第13代上智大学学長。専門は東南アジア史、カンボジア王国のアンコール・ワット時代の碑刻文解読研究です。 上智大学アジア人材養成研究センター所長、上智大学アンコール遺跡国際調査団の団長を兼務。文化庁文化審議会会長を務めまし。後に村井良昭とも言います。 学生時代から45年間にわたり、カンボジアのアンコール・ワット遺跡群を調査・研究しています。内戦で日本との国交が断たれた期間も現地に入り遺跡の保護活動を行っています。 外国人の研究者が主導してきたアンコール遺跡の発掘・保存・修復作業を、「カンボジア人自身が遺跡を守るべき」との理念を掲げ、現地に「アジア人材養成センター」を設立するなど、「行動する大学教授」としてカンボジアでも名前が知られています。 2001年3月~8月、「上智大学アンコール遺跡国際調査団」が、アンコール・ワット近くのバンテアイ・クデイで千体仏石柱と274体の廃仏を発掘します。アンコール王朝末期の歴史的解釈について、従来の学説を塗り替える大発見となります。 上智大学学長になってからも、民間の旅行会社が企画するカンボジアツアーに参加し、現地を訪れる日本人観光客に同行してアンコール遺跡のガイド役をつとめています。 以下は上記を記したプロジェクトX 挑戦者たちからです。 ◆プロジェクトX 挑戦者たち 起死回生の突破口 アンコール・ワットに誓う 師弟の絆 著: NHK「プロジェクトX」制作班 発行: 日本放送出版協会 シリーズ: プロジェクトX 挑戦者たち 10年に及ぶ内戦が続いたカンボジア。世界遺産アンコール・ワットは、無残に破壊、放置された。35人いた遺跡保存官はポルポト派によって虐殺され、生き残ったのはわずか3人だった。アジアの宝は崩壊を待つばかりだった。 「亡くなった友のために、そして民族の誇りを取り戻すために、アンコール・ワットを修復したい。」生き残った保存官の一人、ピッ・ケオさんは、助けを日本の友に求めた。 その男は戦前、カンボジアの技術者と共に、アンコールで修復に汗を流した鹿児島大学の教授(現上智大)・石澤良昭だった。 「金だけの支援はしない。一から修復技術者を育て、彼らの手でアンコール・ワットを蘇らせる。」石澤は、アンコール遺跡国際調査団を組織し、「石の心を読む」といわれたベテラン石職人、小杉孝行の協力を得てカンボジアへ渡った。 集まった現地の若者は20人。しかし修復への道のりは、困難を極めた。 「伝統的な石職人の技を全て伝えたい。」小杉は、日本と同様、厳しい修行を始めた。しかし、生活のためと割り切って働くカンボジアの若者達に、職人の心は伝わらなかった。 重い石に負けない体力を付けさせようと米や肉を持たせても、家族に食べさせてしまう貧しさが立ちはだかった。「一人前の石職人になって欲しい。」時には、手が出るほどの厳しさに耐えられず、辞めていく者が相次いだ。 「アンコール・ワットを作り上げた君たちの祖先の仕事はいかにすごいか。」団長の石澤は、歴史を知らない若者達に必死に説き、懸命に皆をまとめた。 7年に及ぶ修行期間が終わり、今年ようやく本格的な修復作業に入ったアンコール・ワットの西参道。日本人とカンボジア人が、激しくぶつかり合う中で心を通 わせ、一人前の石職人が誕生するまでのドラマを描く。 以下は上智大学アジア人材養成研究センターによる「アンコール・ワット西参道修復プロジェクト」へのクラウドファンディングについてです。 ◆「アンコール・ワット西参道修復プロジェクト」クラウドファンディング 「アンコール・ワット西参道修復プロジェクト」クラウドファンディングが目標金額に到達 ご支援ありがとうございました 上智大学アジア人材養成研究センターでは、初の試みとして、1月22日より「上智大学石澤良昭アンコール・ワット西参道完全修復への挑戦!」と題したアンコール・ワット西参道の修復プロジェクトへのクラウドファンディングに挑戦しておりましたが、このたび想定よりも早い段階で目標金額の1,000万円に到達することができました。皆様からの温かいご支援に厚く御礼申しあげます。 総事業経費約7億円が見込まれている本プロジェクトでは、今後も継続的なご支援を必要としております。目標額達成後につきましても、4月20日のご支援受付締切日まで、第2目標として1500万円に設定の上、クラウドファンディングを継続いたします。 引き続きご支援・ご協力をよろしくお願い申しあげます。 上智大学アジア人材養成研究センター 所長 石澤 良昭 以下は、Wikipediaを出典、参考とする上智大学石澤良昭教授のチームの修復活動についての記事です。 ◆修復作業 上智大学石澤良昭教授のチームは西参道における保存修復事業をODAとして採択するに至り、第一工区の保存修復工事(1996~2007年)を完成させました。 1996年現地に海外校舎のアジア人材養成研究センターを設置し、遺跡の保全の人材養成を行っています。 修復の対象としては、左右(南北)中央で分かれますが、南側半分は1960年代フランスにより修復され、北側は(1952年に50m余崩壊しフランスが緊急修理した後)1996年~2007年に上智大学協力のもとカンボジアにより修復されています。 ◆「上智大学石澤良昭 アンコール・ワット西参道完全修復への挑戦!」特設サイト アンコール・ワット西参道修復プロジェクトとは 全長200メートルの西参道の修復は、2007年に第1工区が完成、2015年より第2工区の修復準備に着手し、2020年の完成を目指しています。 遺跡現場では現代の建築材料を使用せず、約900年前と同様に石切場から切り出して修復石材とするなど、出来る限り当時の材料と伝統技術を用いながら保存・修復作業を行っています。 アジア人材養成研究センターは、カンボジア王国政府アンコール地域遺跡保存整備機構(アプサラ機構)と共同で本プロジェクトを主導しています。 次に、以下は1980年代末よりカンボジア和平に主導的な役割を果たした日本政府によるJSA(日本国政府アンコール遺跡救済チーム)についての紹介です。出典はJSA(日本国政府アンコール遺跡救済チーム)公式Webです。 ◆JSA(日本国政府アンコール遺跡救済チーム) 1980年代末よりカンボジア和平に主導的な役割を果たした日本政府は、その後の社会復興のために継続的な国際協力が不可欠と考え、その象徴的事業として、日仏の協力のもとに、国際協調の枠組みによるアンコール遺跡救済に乗り出しました。その目的の主要な部分を遂行するのがJSA(日本国政府アンコール遺跡救済チーム)です. ■設立の経緯 1992年、アンコール遺跡はユネスコの世界遺産リストと同様に「危機にされされている遺跡」としても登録され、その保存修復が急務となっています。日本政府はこうした状況をふまえ、ユネスコ文化遺産保存日本信託基金によるプロジェクトとして、1994年に日本国政府アンコール遺跡救済チーム(JSA:Japanese Government Team for Safeguarding Angkor、団長:中川武 早稲田大学教授)を結成しました。 ■目的 アンコール遺跡は、カンボジア王国の伝統文化と国民統合の象徴であるばかりでなく、アジアの文化的至宝ともいうべき遺跡ですが、現在、崩壊の危機に瀕しています。日本国政府は遺跡保存協力を国際文化交流の柱と位置づけ各国への協力を実施していますが、アンコール遺跡についても、将来的にはカンボジア国民自らの手による遺跡保存活動が実現されることを目指して支援を行っています。 ■活動 第2フェーズ終了までに延べ700人以上の専門家と常時平均して180人以上のカンボジア人スタッフや事務スタッフが共同で保存修復活動にあたってきました。保存修復事業を通じた現地技術者への技術移転・人材育成にも努めています。また、毎年開催されるシンポジウムや報告書、ホームページを通して、修復活動や科学的調査の記録を公開することにより、専門家間だけでなく、一般の方の国際交流や情報提供にも貢献しています。 第3フェーズでは、これらの活動を継続するとともに、よりカンボジアサイドの自立を高めるための工夫を重ねています。その一つが、カンボジア政府組織APSARAとJSAの協力チームであるJASAの結成です。 ■期間と主な財源 プロジェクト期間 : 第1フェイズ : 1994年11月~1999年4月(4年半) 第2フェイズ : 1999年5月~2005年4月(6年) 第3フェイズ : 2006年1月~2010年12月(5年:予定) 主な財源 : ユネスコ文化遺産保存日本信託基金 ■アンコール遺跡群の修復を通して アンコール遺跡群では近年、多くの修復チームが活動を繰り広げています。各遺構の破損状態や伽藍構成、建物の構造的特徴、建築的もしくは美術的意匠、宗教的な背景、そして周辺環境は千差万別で、各修復チームはそれぞれの遺構に相応しい最善の修復理念と技術を模索しています。 一見して同じように見える遺跡であっても、そこに表現された思想は決して同じものではありえません。これらの思想に対する理解が各遺構の修復方法を決定しているのです。 何かを保存するとき、何かが失われるということは避け難く、その取捨選択が遺跡に対する理解を示しているのであれば、各修復活動を眺めてみることによって、現代という時代がそれぞれの遺構をどのように理解しているかということを逆に照射できるかもしれません。 保存修復の理念と技術とは、それぞれ呼応しながら常に変化し、展開し続けているものです。現実的には技術が理念を規定する部分が大きいといえましょうが、理念が技術の方向性を決定づけていることは確かです。 当然、いつの時代にも遺跡の修復は最良の方法が目指されていますが、それはあくまでも試行錯誤の中で編み出されたその時点での仮の手法に過ぎないのです。 これまでにアンコールで進められてきた修復活動を時系列に沿って眺めながら、その変化の速度を体感するならば、保存修復に対していかに慎重な姿勢で取り組まねばならないかということ、そして多様な修復方法を否定することの難しさが、きっと理解されることでしょう。 ここでは、過去に実施された、そして現在進行中の保存修復事例を通してアンコール遺跡を眺めてみます。 監修:中川 武 協力:早稲田大学建築史研究室アンコールゼミ アンコール遺跡全体目次 |