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下町の歴史を刻む森 根津神社

1. 上野東照宮から根津へ

青山貞一 Teiichi Aoyama   池田こみち Komichi Ikeda
山形美智子 Michiko Yamagata   鷹取 敦 Atsushi Takatori

December 21 2014
Independent Media E-wave Tokyo
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下町の歴史を刻む森 根津神社 
@上野東照宮から根津へ D本殿・幣殿・拝殿
A概要と歴史 E乙女稲荷神社
B鳥居・楼門・神楽殿 F徳川家宣胞衣塚
C唐門と透塀 G神社が登場する文学など
歴代徳川将軍家家系 徳川歴代将軍の生誕・没年月日と将軍在位期間


撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8 2014-12-13

 2014年12月13日、私達は上野寛永寺そして上野東照宮を現地視察した後、歩いて池之端を経由し、根津に向かいました。途中、森鴎外がよく使っていたのか、水月ホテル鴎外荘がありました。何でも森鴎外ゆかりの宿だそうです。


上野東照宮から根津神社まで歩いた経路
出典:グーグルマップより作成

 以下は水月ホテル鴎外荘のWebからの転載です。

 森鴎外は、「舞姫」「雁」「阿部一族」「高瀬舟」など、今も読み継がれる数々の名作を生み出した明治の文豪。幕末の津和野藩に御典医の息子として生まれた鴎外は、幼少時代から学業優秀、神童と呼ばれて育ちます。19歳8カ月という若さで東大医学部を卒業、陸軍軍医となり、ドイツへ留学します。帰国後、28歳の時に、海軍中将赤松則良の長女登志子と結婚し、上野花園町の赤松家の持家に住みます。それが当ホテル所有の鴎外荘。ここで「舞姫」をはじめ、「うたかたの記」「於母影」などの作品が執筆されました。
 
 青山、池田は国際会議でドイツのベルリンに行ったとき、森鴎外記念館があり、伺ったことがありますが、上野東照宮からほど近い池之端に、鴎外がよく使っていたホテルがあったとは驚きです。

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 池之端から根津に向かう途中、下の写真の今の東京では希有となっている木造三階建ての歴史的建造物に出会いました。

 何でもこの建物は、関東大震災にも太平洋戦争、第二次世界大戦の空襲にも生き延びた木造三階、総けやき造り、築何と104年の歴史的建築物だそうです。

 ここは「はん屋」と言い、串揚げを食べさせる和食のお店とのことです。今回はここで食事をしませんでしたが、ぜひ、一度串揚げをいただきたいものです。


撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8 2014-12-13

 根津に到着してからは、前回、青山、池田で歩いた根津の路地を4人で歩きました。以下の写真にあるこの道は、不忍通りと平行し南北に走る路地です。東京では少なくなった下町情緒ある路地です。


撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8 2014-12-13

 路地を途中、左折し根津神社に向かいました。根津神社に向かって、この道の右側には下の写真にあるような表具屋さんがありました。

 表具屋さんは、障子や襖、掛け軸などの紙・布などをはって仕立ててあるものを扱っているそうです。この分野は池田の独壇場です。


撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8 2014-12-13

表具(ひょうぐ)

 布や紙などを張ることによって仕立てられた巻物、掛軸、屏風、襖、衝立、額、画帖など。または、それらを仕立てること。仕立てることを表装(ひょうそう)とも称しています。

 表装を職業としている人を、表具師(ひょうぐし)または経師(きょうじ)といいます。表具師の主な仕事内容には、掛軸、屏風、衝立、額、画帖、巻物などの修理をはじめ、襖の新調、張替、障子貼りなども含まれます。古くは表補絵師(ひょうほうえし)と呼ばれていました。

出典:Wikidpdia

 表具屋さんの前を通り少し行くと、根津神社の鳥居が見えてきます。


江戸名所百人美女の内 根津権現
歌川国貞(初代),歌川国久/画   安政4年11月


つづく