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下町の歴史を刻む森 根津神社

3. 鳥居、楼門、神楽殿

青山貞一 Teiichi Aoyama   池田こみち Komichi Ikeda
山形美智子 Michiko Yamagata   鷹取 敦 Atsushi Takatori

December 21 2014
Independent Media E-wave Tokyo
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下町の歴史を刻む森 根津神社 
@上野東照宮から根津へ D本殿・幣殿・拝殿
A概要と歴史 E乙女稲荷神社
B鳥居・楼門・神楽殿 F徳川家宣胞衣塚
C唐門と透塀 G神社が登場する文学など
歴代徳川将軍家家系 徳川歴代将軍の生誕・没年月日と将軍在位期間


撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8 2014-12-13

 根津神社には、重要文化財(国指定)として7つの建築物があります。

 @本殿・幣殿・拝殿(1棟)
 A唐門
 B西門
 C、D、E透塀(3棟)
 F楼門

の7つです。

 以下正面の鳥居から入って本殿そして裏側の入り口までの順で根津神社の建築物を見てゆきましょう。

◆鳥居

 以下が鳥居です。


撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8 2014-12-13


撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8 2014-12-13

 
◆楼門

 鳥居の次は楼門です。

 楼門は国の重要文化財です。


楼門     出典:グーグルストリートビュー

 上の写真で、総門の奥に見える輪は、「茅の輪」と言います。

 ※ 上の写真はグーグルストリートビューのものであり、今回現地で撮影したものではありません。

茅の輪について

 茅の輪は、茅草(かやくさで作られた大きな輪)は、正月から六月までの半年間の罪穢(つみけがれ)を祓う夏越しの大祓(おおはらえ)に使用され、それをくぐることにより、疫病や罪穢が祓われるといわれています。

 くぐり方は「水無月(みなつき)の夏越しの祓する人はちとせの命のぶというなり」という古歌を唱えつつ、左まわり・右まわり・左まわりと、八の宇を書くように三度くぐり抜けます。 こうして、心身ともに清らかになって、あとの半年間を新たな気持ちで迎えるのです。

 茅の輪の起源については、善行をした蘇民将来(そみんしょうらい)が武塔神(むとうのかみ)(素盞鳴尊すさのおのみこと)から「もしも疫病が流行したら、茅の輪を腰につけると免れる」といわれ、そのとおりにしたところ、疫病から免れることができたという故事に基づきます。

出典:神社と神道


 下は2014年12月24日、埼玉県飯能市の竹寺で撮影したものです。写っているのは池田


撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8 2014-12-24

 楼門には2つの随身像があります。そのひとつの「随身」は水戸光圀公がモデルになっていると伝えられています。手前にある橋は神橋です。


楼門
撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8 2014-12-13

◆楼門(ろうもん

 楼門は二階建てで一重目には縁のみを持ち、最上重に屋根を持つものをいみします。楼門は、二階造りの門のことで、二重門も本来は楼門といっていました。二重の屋根のあるものとそうでないものがあるため現在は、楼門と二重門に分類されています。


出典:Wikipedia

 下がモデルとなっている水戸光圀公です。


水戸光圀公がモデルとなっている随身像随身像
撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8 2014-12-13

◆徳川 光圀(とくがわ みつくに)

 常陸水戸藩の第2代藩主。「水戸黄門」としても知られます。 諡号は「義公」、字は「子龍」、号は「梅里」です。また神号は「高譲味道根之命」(たかゆずるうましみちねのみこと)。水戸藩初代藩主、徳川頼房の三男で徳川家康の孫に当たります。儒学を奨励し、彰考館を設けて『大日本史』を編纂し、水戸学の基礎をつくりました。


出典:Wikipedia


井上安治: 「根津神社」にみる雪の楼門

 下は楼門の裏側です。


楼門
撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8 2014-12-13

 これは楼門裏側のクローズアップです。


楼門
撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8 2014-12-13


 次は神楽殿です。

◆神楽殿


神楽殿と桜門
撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8 2014-12-13

◆神楽(かぐら)

 日本の神道の神事において神に奉納するため奏される歌舞です。

 神社の祭礼などで見受けられ、まれに寺院でも行われています。平安中期に様式が完成したとされ、約90首の神楽歌が存在しています。神楽は、神社に「神楽殿」がある場合、そこで行われる事が多いようです。

 一般に、「かぐら」の語源は「神座」(かむくら・かみくら)が転じたとされます。神座は「神の宿るところ」「招魂・鎮魂を行う場所」を意味し、神座に神々を降ろし、巫・巫女が人々の穢れを祓ったり、神懸かりして人々と交流するなど神人一体の宴の場であり、そこでの歌舞が神楽と呼ばれるようになったとされています。

 古事記・日本書紀の岩戸隠れの段でアメノウズメが神懸りして舞った舞いが神楽の起源とされています。アメノウズメの子孫とされる猿女君が宮中で鎮魂の儀に関わるため、本来神楽は招魂・鎮魂・魂振に伴う神遊びだったとも考えられています。

 神楽は、宮中の御神楽(みかぐら)と、民間の里神楽(さとかぐら)に分けられます。また幾つかの神社では、近代に作られた神楽も行われています。


出典:Wikipedia


撮影:池田こみち  Nikon Coolpix S6400  2014-12-13


神楽殿   
撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8 2014-12-13


つづく