下町の歴史を刻む森 根津神社 2. 概要と歴史 青山貞一 Teiichi Aoyama 池田こみち Komichi Ikeda 山形美智子 Michiko Yamagata 鷹取 敦 Atsushi Takatori December 21 2014 Independent Media E-wave Tokyo 無断転載禁
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撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8 2014-12-13 ◆根津神社の概要 この後、根津神社に入ります。根津と言えば、例大祭やツツジで有名な根津神社があります。 根津神社は、東京都文京区根津にある神社です。旧社格は府社であり元准勅祭社(東京十社)のひとつです。根津神社はその昔は「根津権現」とも称されていました。 撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8 2014-12-13 撮影:池田こみち Nikon Coolpix S6400 2014-12-13 撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8 2014-12-13 根津神社は、日本武尊が1900年近く前に創祀したと伝える古社で、東京十社の一社に数えられています。以下にその、東京十社を表にして示します。 東京十社
現在の社殿は宝永3年(1706年)の創建です。 宝永2年(1705年)江戸幕府第5代将軍徳川綱吉の養嗣子に家宣(第6代将軍)が入ったため、元の屋敷地が献納され、「天下普請」と言われる大工事で社殿が造営されたものです。 社殿は、上野東照宮、日光東照宮など東照宮で用いられている権現造となっています。 根津神社は権現造(本殿、幣殿、拝殿を構造的に一体に造る)の傑作とされています。社殿7棟が国の重要文化財に指定されています。また、例大祭は天下祭(江戸の代表的な祭礼)のひとつに数えられています。 以下は根津神社の概要です。 主祭神として、須佐之男命(すさのおのみこと)、大山咋命(おおやまくいのみこと)、誉田別命(ほんだわけのみこと)を祀っています。 また、相殿は大国主命 (おおくにぬしのみこと)、菅原道真公 (すがわらのみちざねこう)となっています。 以下はグーグルマップで見た現在の根津神社です。 以下は文京区教育委員会による根津神社の概要説明です。
ほぼ中央に拝殿、本殿、その南に唐門、さらに下側にあるのが楼門 左端の上に乙女稲荷神社、駒込稲荷神社、あsらに下端に鳥居があります 出典:グーグルマップ ◆根津権現の歴史 根津権現(ねづごんげん)は、江戸の根津、現在の東京都文京区根津にて神仏習合の様式で祀られたスサノオです。 十一面観音菩薩を本地仏としています。相殿に祀られた山王権現と八幡神と合わせ根津三所権現とも呼ばれていました。 神仏分離・廃仏毀釈が行われる前は、根津権現社(現在の根津神社)で祀られていました。 「根津志」によれば、「抑根津大権現往古勧請の年歴を知らず。駒込惣鎮守ニて千駄木村に鎮座し給ふ。神躰は素盞烏尊本地十一面観世音菩薩、 相殿二社山王大権現本地薬師如来、八幡宮本地阿弥陀如来、是を根津三所大権現と申奉る。中頃太田道灌入道持資の再興ともいふ。」と記されています。 本殿のスサノオ(素盞烏尊)とともに、山王権現(山王大権現)と八幡神(八幡大菩薩)を相殿に祀っています。 江戸時代になると、天台宗の医王山正運寺昌泉院が神宮寺(別当)を務め、根津大権現の社は山王神道の権現社となりました。 甲府徳川家の徳川綱重(甲府宰相)の江戸根津屋敷で生まれた六代将軍徳川家宣にとって、根津権現は産土神となりました。 そのため、家宣が将軍世嗣に定まると、宝永3年(1706年)五代将軍徳川綱吉は、根津権現社を千駄木村から、徳川綱重の江戸根津屋敷跡に遷座し、現在は根津神社となっている権現造の社殿を奉建しました。諸大名を動員した建設工事だったので、社殿造営は天下普請と言われています。 徳川家宣とその実子の家継が各々六代・七代将軍として在職した時代には、徳川将軍家の崇敬を集めました。特に、正徳4年(1714年)9月21日に実施された例祭では、江戸城内に神輿が入ることを許されたため、天下祭の一つに挙げられました。 やがて、紀州徳川家出身の八代将軍徳川吉宗の代になると、享保の改革とともに、例祭は公営から民営に切り換えられため、地味なものになりました。 ◆根津神社の歴史 以下は、根津神社の歴史です。 1900年ほど前に日本武尊が千駄木に創祀したとされます。文明年間(1469年-1486年)には太田道灌により社殿が造られました。 万治年間(1658年-1661年)に同所が太田氏の屋敷地となったため東方に移り、のちさらに団子坂上(現文京区立本郷図書館周辺、元根津)に遷座しました。 塗り絵師:西尾忠久 根津権現(『江戸名所図会』 上の図では、真ん中より少し左に楼門があり、中央より少し右上に唐門、 さらに右上に拝殿、本殿などがあることが分かります。ただし、この頃は、 今の根津ではなく千駄木に根津権現があったものと思われます。 宝永2年(1705年)江戸幕府第5代将軍徳川綱吉が兄綱重の子・綱豊(甲府藩主。のちの第6代将軍・家宣)を養嗣子に定めました。 綱豊が江戸城に移ると、当社が家宣の産土神とされていたことから、綱豊の屋敷地(旧甲府藩邸、現在地)を当社に献納して普請を開始しました。 社殿は宝永3年(1706年)に完成し、同年遷座しました。 「根津権現」の称は明治初期の神仏分離の際に「権現」の称が一時期禁止されたために衰退しましたが、地元では現在も使われる場合があります。 安藤広重 千駄木団子坂花屋敷 根津神社が根津権現と呼ばれていた頃、神社は千駄木の 団子坂にありました。上野広重の絵では右売れになります。 単に「権現様」とも称されています。 文学作品では「根津権現」として出てくることが多いようです。東京大学の移転にともない、門前に形成されていた根津遊郭は廃され、江東区の州崎遊郭へと移転しています。 根津神社には、重要文化財(国指定)として7つの建築物があります。 ◆重要文化財(国指定) @本殿・幣殿・拝殿(1棟) A唐門 B西門 C、D,E透塀(3棟) F楼門 ◆工芸品 @太刀 銘長光 A太刀 銘備州長船秀光 康暦二年二月 日 ◆文京区指定文化財 @神楽面 16面(彫刻) - 平成6年指定 A神輿 3基(附 獅子2頭)(工芸) - 昭和55年指定 B徳川氏朱印状 8通(古文書) - 昭和49年指定 C徳川家宣胞衣塚(有形民俗) - 昭和49年指定 ◆祭事 1月 初詣(1月1日) 2月 節分(2月3日) 4月-5月 つつじまつり 6月 大祓 9月 例大祭神賑行事(9月17日-18日) 例祭式(9月21日) - 天下祭(江戸時代以来続く江戸の代表的な祭礼)の1つ 10月 根津・千駄木下町まつり(10月20日頃) 11月 七五三詣 新嘗祭(11月23日) 12月 大祓(12月31日) 引用、参照の出典:Wikipedia他 つづく |