■青山貞一:久々の[みなと横浜] 歴史散歩(目次)
@開港広場
A横浜三塔
B「象の鼻」と「赤れんが倉庫」
C山下公園
D海岸通りから元町へ
E蘇る中華街
Fトワイライト「みなとみらい21」
Gブルーライト横浜
Hダークナイト・イン横浜
歴史散歩地域の全景 出典:グーグルアース
■はじめに
2008年10月25日の土曜日、アスベスト問題などで働く者の立場で親身に労災や職業病問題に対応してきた神奈川労災職業病センターの設立30周年記念レセプションが横浜市中区の波止場会館で行われ、招待を受けたこともあり、ひさしぶりに横浜港の玄関口にでかけた。
参加していたのは港湾労働者、造船労働者、横須賀基地関連労働者、医療関係者、さらにはワーキングプアと呼ばれるひとびとで150名ほどがセンター設立30周年を祝っていた。
なんとも古めかしい名称の「波止場会館」入り口の案内板
「波止場会館」
撮影:青山貞一 Nikon Digital Camera S10, 2008.10.27
同センターは、労災、職業病、安全衛生分野で地域センターの役割を果たしており、ここ数年は、アスベスト対策に全力をあげていた。参加して分かったことは、センターが、いかに厳しい労働条件のなかで働く人々にとって重要な社会的役割を果たしてきたかと言うことであった。
波止場会館5階で開催されたレセプション
逆説すれば、ここ20年間、弱肉強食政策による格差社会は、港湾労働者、造船労働者、横須賀基地関連労働者らの体をいかに蝕んできたかということになる。そういえば、弱肉強食政策を強力に推し進めてきたのは横須賀出身の小泉純一郎であった!
ちなみに、センターと私たち(環境総合研究所)との結びつきは、神奈川県藤沢市にある荏原製作所の溶融炉から永年、引地川を通じて茅ヶ崎の海に垂れ流されてきたダイオキシン類について、藤沢市住民の血液検査をどう行うかについて助言したのが最初である。
レセプション終了後、2時間ほど横浜港界隈と中華街を散歩した。天気は曇天だったがウォーター・フロント地域や中華街は多くの人手で賑わっていた。以下、写真で各地域を紹介したい。
■横浜港の玄関、「開港広場」
会場があった「波止場会館」という名称で分かるように、横浜市中区海岸通り地域(下の写真参照)は、来年で開港150年を迎える横浜港にあって、もっとも「横浜らしさ」が残っている地域だ。
横浜の中心街といえば、知る人ぞ知る中区の海岸通りである。その中心が、下の写真にある「開港広場」である。
この広場には海岸通り、大桟橋通り、水町通りなど、いずれも海、水を著す名称が多く、思い出深い場所だ。
「開港広場」への最寄り駅は、みなとみらい線の日本大通り駅。徒歩3−4分だ。
横浜市中区海岸通り「開港広場」地域 出典:グーグルマップ
横浜市中区海岸通り「開港広場」地域
上の3次元図では、シルクセンター、開港記念史料館、神奈川県庁などがハッキリと見て取れる。 出典:グーグルアース
「開港広場」には道路だけでなく、横浜の歴史にとって重要かつランドマークとなるシルクセンター、開港記念資料館、波止場会館、大桟橋入り口、山下公園などが接している。
開港広場
撮影:青山貞一 Nikon Digital Camera S10
■25年前、水町通りで開催したプロムナードギャラリー!!
私にとってこの「開港広場」には、たくさんの思い出が残っている。
たとえば、私たちは25年も前、所管の警察署である加賀町警察署に依頼し、「水町通り」でプロムナードギャラリーを地元芸術家、県庁関係者と一緒に実委員会をつくり企画、実行した。
まる2日間、車を通行止めにして、「水町通り」の起点である「開港広場」から「元町」に近いアメリカ橋までを絵画や彫刻など芸術作品を皆で持ち寄り、青空の下、800mに及ぶ水町通りでプロムナードギャラリーを開催したのである。
加賀町警察といえば当時、テレビ番組の「西部警察」でおなじみの強持ての警察署。やっとのことで許可を得てプロムナードギャラリーを開催したものだ。
そんなこんなで、この地域には沢山の思い出が詰まっている。
下は現在の水町通り。県民センターはじめ海岸通りに正面を向ける建築物の裏側が水町通りに面している。この道をまっすぐ元町方面に歩くと、横浜マリンタワーに出会う。
現在の水町通り 撮影:青山貞一 Nikon Digital Camera S10
現在の水町通り 撮影:青山貞一 Nikon Digital Camera S10
■シルクセンター
シルクセンター
撮影:青山貞一 Nikon Digital Camera S10 2008.10.27
下の写真はシルクセンター。その昔、群馬県や長野県の養蚕農家によるシルクを八高線(八王子-高崎)そして横浜線によって横浜港に運んでいた。シルクセンターはその拠点であり、終点にある施設。
シルクセンター
撮影:青山貞一 Nikon Digital Camera S10
グーグルアースで3次元立体表示したシルクセンター。
右側の細い道が「水町通り」、左側の大きな道が「海岸通り」、
手前の広場が「開港広場」である。
出典:グーグルアース
シルクセンター 横浜市の所有地に神奈川県が建設した関係から、代々県の副知事が経営陣に参加した。 低層階と高層階に分かれており、高層階は低層階から突き出たような形になっている。開館当初より高層階にはシルクホテルがあり、横浜港を代表するホテルとして世界にも知られたが、ホテル・ニュージャパン火災を受けて消防法が改正したのに伴い、営業を断念した(スプリンクラーを備えておらず、工事費用の2億円を投資しても回収のめどが立たなかったため)。 低層階には2・3階にシルク博物館があり、船会社、港湾会社等のオフィスや、郵便局、神奈川県観光協会観光案内所等が入居している。 道路をはさみ横浜開港資料館、山下公園、波止場会館があり、日本大通りや神奈川県庁や横浜税関、横浜スタジアムにもほど近い、開港当初からの横浜港と一体化した横浜市の中心地にある。 |
開港広場のシルクセンター前に立つ行き先案内板
撮影:青山貞一 Nikon Digital Camera S10
■開港記念資料館
来年は横浜港開港150周年記念の年だ。下は「開港記念資料館」。この施設もシルクセンター同様、「開港広場」に面している。
開港記念資料館
撮影:青山貞一 Nikon Digital Camera S10
グーグルアースで3次元立体表示した横浜市開港記念資料館。
出典:グーグルアース
開港記念資料館の入り口
撮影:青山貞一 Nikon Digital Camera S10
1854(安政元)年、2度目に来日したペリーと幕府役人との間で、横浜村において日米和親条約が結ばれ、日本は永く続いた鎖国を解いて開国した。5年後の1859(安政6) 年、安政の五カ国条約にもとづいて横浜は開港場となった。 当時、横浜は生糸を中心とする貿易都市として急速に発展していた。
横浜開港資料館は、開港百年を記念して編さんされた『横浜市史』の収集資料を基礎に、1981(昭和56)年、和親条約締結の場において開館した歴史資料館である。
そこには19世紀半ばから関東大震災に至時期を中心に、歴史的資料の充実に努め、現在、公私の文書記録、新聞雑誌、写真や浮世絵など25万点を超える資料が収集され展示されている。
来年、2009年は「開港150周年」にあたる。 参考:資料館長挨拶
■歴史的建造物でもある海岸通りの町並み
開港広場の一角で山下公園から続く海岸通りに面して昭和4年に建造された横浜の古い町並みを残す一角がある。スカンディア・レストンランなどが入っている。その対面は開港記念資料館。その右は「開港広場」である。この歴史的建造物の一角には現在はレストランなどが軒を並べている。
グーグルアースで3次元立体表示した歴史的建築。
浜貿易会館 / 中区海岸通、昭和4年のレトロな建築
出典:グーグルアース
下は、歴史的建造物に入っている北欧料理店のスカンディア。このレストランは1階が軽食のスカンディアガーデン、2階は本格的な北欧料理のレストランスカンディアとなっている。一階のCAFEなら800円から1000円で各種の料理が楽しめる。ちなみにランチは1300円。
今回は入らなかったが、なかなかいけそう。
北欧風レストランのスカンディア
撮影:青山貞一 Nikon Digital Camera S10
撮影:青山貞一 Nikon Digital Camera S10
撮影:青山貞一 Nikon Digital Camera S10