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秩父(ちちぶ)といえば、札所巡りや12月上旬の夜祭が有名だが、忘れてはならない秩父事件のもととなった地場産業としての養蚕と絹織物がある。 今でこそ一時の隆盛はすっかり見られないものの、地形的に回りを山に囲まれ農地の少ない盆地の秩父では、養蚕製糸工業、絹織物が唯一、地域の産業として人々の生活を支えてきたのである。 丘の上から撮影した現在の秩父 撮影:青山貞一 Nikon Digital Camera Cool Pix S8 特に、幕末開港以後は、生糸価格の好況により一帯の山村には生糸景気が訪れていたという。 当時は、農家が生産した生糸や絹織物が商家(仲買・問屋)などに集められ、横浜港から国内各地はもとより海外にも輸出されていた。 ちちぶ銘仙の最盛期に下の写真にあるように、絹紡糸を使うことがちちぶ銘仙の質の低下に繋がったと言われている。 秩父の農家では最後まで絹紡糸の使用に抵抗したと言われている。 往事の絹織物工場 撮影:青山貞一 Nikon Digital Camera Cool Pix S8 折しも大政奉還後、明治政府は、版籍奉還(明治2年)、廃藩置県(明治4年)、学制頒布(明治5年)、徴兵制(明治6年)、地租改正(明治6年)と、次々と新しい政策を打ち出していくが、その中で農民の暮らしは次第に逼迫、農民一揆が頻発するようになった。 そして、明治15年から17年にかけての深刻な経済不況はさらに農家を苦境に陥れ高利の借金に苦しみ土地を手放したり破産に追い込まれ、さらには自殺者も多発する事態へと追いつめられていったのである。 その延長で秩父事件が起きた。 生糸や織物の価格が半分から三分の一まで低下したとされている。秩父事件の背景には地域経済、地場産業が直面したこうした時代状況が深く関わっており、まさに平成の今、私たちが直面している状況と酷似している。 グローバル化に伴いサブプライムローンのシステム崩壊など地球の裏で起きたことにより、モノカルチャー化した地盤産業が弱体化、学費等の高額な負担の一方で社会保障やセーフティネットの不足により人々は借金苦に陥りせっぱ詰まって政治や政府を変えようと自ら立ち上がるのである。 秩父事件については青山氏の論考に譲るとして、ここでは秩父の絹織物について述べてみたい。この絹織物は「秩父銘仙(めいせん)」として名を馳せている。 財団法人 民族衣裳文化普及協会、その設立目的は、わが国の優れた民族衣裳および、その染・織・文様・造形等に関する知識を普及して一般の理解を深め、併せて、民族衣裳の伝統技術の伝承および研究を奨励し、もってわが国文化の発展に寄与することとされており、つぎのように特徴づけられている。 −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−− 産 地:埼玉県秩父市 特 徴:銘仙織物の草分け的存在の織物。 「染色堅牢、地質強靭」な実用的な絹織物。「鬼秩父」の異名もある。 「絣製造装置」による解織である。 用 途:着尺地、丹前地、夜具地。 変 遷:秩父地方産の絹は、裏地として古くから広く用いられていた。 明治時代に銘仙が織られると、その実用性が珍重されて全国に広 がったが、昭和に入ってからは実用性本位の織物の需要が衰え、 秩父銘仙も衰退した。 −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−− ちちぶ銘仙館入り口 撮影:青山貞一 Nikon Digital Camera Cool Pix S8 秩父市にある「ちちぶ銘仙館」は、秩父銘仙の産業と文化芸術としての伝統を今に伝える施設として今も重要な役割を果たしている。 本館はアメリカ人の建築家ライト氏が考案したとされ、昭和五年建築されたモダンな建物であり、今でもその価値は変わっていない。 ちちぶ銘仙館入り口を背景にした筆者 撮影:青山貞一 Nikon Digital Camera Cool Pix S8 アメリカ人の建築家ライト氏が考案したちちぶ銘仙館の建築(昭和五年) 撮影:青山貞一 Nikon Digital Camera Cool Pix S8 撮影:青山貞一 Nikon Digital Camera Cool Pix S8 建築家ライト氏が考案したちちぶ銘仙館の建築(渡り廊下) 撮影:青山貞一 Nikon Digital Camera Cool Pix S8 かつての埼玉県繊維工業試験場秩父支場(移築したもの) 撮影:青山貞一 Nikon Digital Camera Cool Pix S8 かつての埼玉県繊維工業試験場秩父支場(移築したもの) 撮影:青山貞一 Nikon Digital Camera Cool Pix S8 「ちちぶ銘仙館」の内部には、染色や織物を体験するコーナーの他、昭和初期に発明された高度な織機類も残され、技術と伝統工芸が今に伝えられている。 この種の施設は、たとえば私達がよく行く群馬県六合村の赤岩とか、長野県上田市などにもあるが、この「ちちぶ銘仙館」はかなり内容が拡充している。 映画「草の乱」ではこんな感じ。桑の葉の上にお蚕さんがいる まゆの見本 撮影:青山貞一 Nikon Digital Camera Cool Pix S8 映画「草の乱」ではこんな感じ 撮影:青山貞一 Nikon Digital Camera Cool Pix S8 糸操室 撮影:青山貞一 Nikon Digital Camera Cool Pix S8 映画「草の乱」ではこんな感じ 糸操室 撮影:青山貞一 Nikon Digital Camera Cool Pix S8 大型紡織機(電源につなげばそのまま稼働しそう?) 撮影:青山貞一 Nikon Digital Camera Cool Pix S8 大型紡織機(電源につなげばそのまま稼働しそう?) 撮影:青山貞一 Nikon Digital Camera Cool Pix S8 私も茶道を嗜むため、普段から着物を愛用しているが、銘仙のきものは残念ながら持っていなかった。 展示されていた作品を見ていて、母や祖母が着ていた姿を懐かしく思い出した。寝具や座布団にも多く使われていたとても鮮やかで斬新な柄行の織物である。 絹織物見本 撮影:青山貞一 Nikon Digital Camera Cool Pix S8 絹織物見本 撮影:青山貞一 Nikon Digital Camera Cool Pix S8 絹織物見本 撮影:青山貞一 Nikon Digital Camera Cool Pix S8 日本各地にはそれぞれの地域独特の織物が今でも多く伝えられている。 結城紬、大島紬、黄八丈、久米島紬、小千谷地染みなど私も愛用しているが、それぞれの地域の歴史をひもといてみれば、またその着物にちがった愛着といとおしさを感じずにはいられない。 絹織物見本 撮影:青山貞一 Nikon Digital Camera Cool Pix S8 絹織物見本 撮影:青山貞一 Nikon Digital Camera Cool Pix S8 絹織物見本 撮影:青山貞一 Nikon Digital Camera Cool Pix S8 日本各地にはそれぞれの地域独特の織物が今でも多く伝えられている。結城紬、大島紬、黄八丈、久米島紬、小千谷地染みなど私も愛用しているが、それぞれの地域の歴史をひもといてみれば、またその着物にちがった愛着といとおしさを感じずにはいられない。 ★銘仙館の由来を説明する看板 今度、秩父を訪ねるときはしっとりと着物をきて町を歩いてみたいと思う。
●秩父地方の絹織物の変遷 以下の出典は、「圧政を転じて自由の世界を」である。
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