資料館を後に、秩父蜂起の舞台となった椋神社に向かう。
◆蜂起の日、農民が集結した椋神社に行く
1884(明治17)年11月1日、蜂起の日、3千余名にも及ぶ農民が集結した椋神社に行く。
「恐れながら 天朝様に 敵対するから 加勢しろ」 明治17年11月1日、自由民権を唱え農民が蜂起したのが、秩父事件。当日、今の秩父市下吉田の椋神社に約三千名が集結し、大宮郷(現秩父市)を目指して進軍を開始した。
撮影:青山貞一 Nikon Digital Camera Cool Pix S8
役割を命じ、有名な五ヶ条の軍律を徹底し、小鹿野町・大宮郷(現秩父市)へ向け一斉に蜂起。
自由党の解党2日後の明治17年10月31日、下吉田(旧吉田町)の椋神社において決起集会が行われた。そこでは蜂起の目的のほか、役割表や軍律が制定され(下記参照)、農民のための農民による農民蜂起が開始された。
小鹿野町・大宮郷(現秩父市)へ向け一斉に蜂起。1884(明治17)年11月1日のことである。
撮影:青山貞一 Nikon Digital Camera Cool Pix S8
下吉田の龍勢会館にて
椋神社
撮影:青山貞一 Nikon Digital Camera Cool Pix S8
境内は人っ子一人いなく、ひっそりと静まりかえっていた。この境内に3000名もの農民が結集したなど誰も想像できない。
椋神社(むくじんじゃ)
延喜式神名帳に掲載された武蔵國秩父郡の式内社。 同名社が秩父郡市内に5社を数え、明治政府はいずれの神社にも式内社と称することを許したという。
- 椋神社(秩父市下吉田)
- 椋神社(秩父郡皆野町皆野)
- 椋神社(秩父郡皆野町野巻)
- 椋神社(秩父市蒔田)
- 椋神社(秩父市蒔田)
以下は、埼玉県秩父市下吉田(旧秩父郡吉田町)に鎮座する椋神社について記す。元は井椋「くら(いくら)のみや」と呼ばれており「くら(いくら)じんじゃ」が本来の呼称である。明治17年(1884年)10月31日、秩父困民党の決起集会が行なわれた場所でもある。
秩父事件120年周年を迎えた2004年には、記念作品映画「草の乱」の撮影が行われた。
参考:Wikipedia
|
椋神社境内
撮影:青山貞一 Nikon Digital Camera Cool Pix S8
椋神社境内
撮影:青山貞一 Nikon Digital Camera Cool Pix S8
椋神社境内にある秩父事件百年の碑。椋神社にて
撮影:青山貞一 Nikon Digital Camera Cool Pix S8
椋神社の境内
撮影:青山貞一 Nikon Digital Camera Cool Pix S8
映画「草の乱」ではこんな感じ
映画「草の乱」ではこんな感じ
一斉蜂起する農民。以下は映画「草の乱」のポスターより。
映画「草の乱」より荒川渡渉の図
龍勢会館にて
椋神社からさらに西に行くと、井上伝蔵の商店跡と墓がある。
つづく