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温故知新:秩父事件

事件の現場を歩く

A椋(むく)神社

青山貞一
25, 27 Dec. 2009
独立系メディア「今日のコラム」

温故知新・秩父事件 2008.12.25-27
秩父というまち・秩父神社 事件の現場を歩くB半納・石間
秩父というまち・武甲山 事件の現場を歩くC龍勢会館資料
地場産業のちちぶ銘仙 映画「草の乱」について
事件の概要と背景・原因 当時の生糸の生産・流通
事件の現場を歩く@井上伝蔵 自由民権運動と農民蜂起
事件の現場を歩くA椋神社

 資料館を後に、秩父蜂起の舞台となった椋神社に向かう。


◆蜂起の日、農民が集結した椋神社に行く

 1884(明治17)年11月1日、蜂起の日、3千余名にも及ぶ農民が集結した椋神社に行く。

 「恐れながら 天朝様に 敵対するから 加勢しろ」 明治17年11月1日、自由民権を唱え農民が蜂起したのが、秩父事件。当日、今の秩父市下吉田の椋神社に約三千名が集結し、大宮郷(現秩父市)を目指して進軍を開始した。


撮影:青山貞一 Nikon Digital Camera Cool Pix S8

 役割を命じ、有名な五ヶ条の軍律を徹底し、小鹿野町・大宮郷(現秩父市)へ向け一斉に蜂起。

 自由党の解党2日後の明治17年10月31日、下吉田(旧吉田町)の椋神社において決起集会が行われた。そこでは蜂起の目的のほか、役割表や軍律が制定され(下記参照)、農民のための農民による農民蜂起が開始された。

 小鹿野町・大宮郷(現秩父市)へ向け一斉に蜂起。1884(明治17)年11月1日のことである。


撮影:青山貞一 Nikon Digital Camera Cool Pix S8
下吉田の龍勢会館にて

 

椋神社
撮影:青山貞一 Nikon Digital Camera Cool Pix S8

 境内は人っ子一人いなく、ひっそりと静まりかえっていた。この境内に3000名もの農民が結集したなど誰も想像できない。

椋神社(むくじんじゃ)

 延喜式神名帳に掲載された武蔵國秩父郡の式内社。 同名社が秩父郡市内に5社を数え、明治政府はいずれの神社にも式内社と称することを許したという。

  • 椋神社(秩父市下吉田)
  • 椋神社(秩父郡皆野町皆野)
  • 椋神社(秩父郡皆野町野巻)
  • 椋神社(秩父市蒔田)
  • 椋神社(秩父市蒔田)

 以下は、埼玉県秩父市下吉田(旧秩父郡吉田町)に鎮座する椋神社について記す。元は井椋「くら(いくら)のみや」と呼ばれており「くら(いくら)じんじゃ」が本来の呼称である。明治17年(1884年)10月31日、秩父困民党の決起集会が行なわれた場所でもある。

 秩父事件120年周年を迎えた2004年には、記念作品映画「草の乱」の撮影が行われた。

参考:Wikipedia



椋神社境内
撮影:青山貞一 Nikon Digital Camera Cool Pix S8


椋神社境内
撮影:青山貞一 Nikon Digital Camera Cool Pix S8

椋神社境内にある秩父事件百年の碑。椋神社にて
撮影:青山貞一 Nikon Digital Camera Cool Pix S8


椋神社の境内
撮影:青山貞一 Nikon Digital Camera Cool Pix S8


映画「草の乱」ではこんな感じ


映画「草の乱」ではこんな感じ

 一斉蜂起する農民。以下は映画「草の乱」のポスターより。


映画「草の乱」より荒川渡渉の図
龍勢会館にて

 椋神社からさらに西に行くと、井上伝蔵の商店跡と墓がある。


つづく