エントランスへはここをクリック   中央アジア・シルクロード  【世界紀行
 
シルクロードの今を征く
中央アジア編
Now on the Silk Road

ワハーン回廊1
Wakhan Corridor、アフガニスタン)

青山貞一 Teiichi Aoyama  池田こみち Komichi Ikeda 共編
掲載月日:2015年1月25日 更新:2019年4月 2021年8月
独立系メディア E-wave Tokyo
 無断転載禁

総合メニュー(中央アジア)

アフガニスタン

ワハーン回廊1  ワハーン回廊2  ワハーン回廊3  
ダルラマン宮殿
アフガン国立博物館   博物館ギャラリー1  博物館ギャラリー2  博物館ギャラリー3


 次はアフガニスタンのヘラートです。ヘラートはサマルカンドの南、アフガニスタンのマザリシャリフの近くにあります。

◆ワハーン回廊( Wakhan,アフガニスタン)


ワハーン回廊
Source:Wikimedia Cmmons

 上の写真は、アフガン北東部から北にソ連(ロシア)、南にインド(大英帝国、パキスタン)を通り中国に至るワハーン回廊(Wakhan Corridor)のドンキー(ロバ)さんです。世界で標高が4000m超の高原にある回廊です。
,
 シルクロードには地理、地形上、河西回廊(中国甘粛省)など、標高が高い位置にある回廊がありますが、アフガン、ロシア、パキスタン、インド、中国に挟まれた、このワハーン回廊(Wakhan Corridor)は最高標高にあります。
,
 当時、この回廊を通り抜けるとサマルカンドなど中央アジアに到着することになりました。現在この回廊の大部分はタジキスタンになっています。
,,

ワハーン回廊の位置
Source:Wikimedia Cmmons

 ワハーン回廊(ペルシア語:وخان)とは、アフガニスタン北東のバダフシャーン州に位置する東西に細長く伸びた回廊地帯です。ワハーン渓谷、ワハン回廊とも呼びます。

歴史

 かつてはタクラマカン砂漠を通って東西を結ぶシルクロード、いわゆる「オアシスの道」の一部をなす重要な経路でしたた。19世紀にはグレート・ゲームの主要な舞台となっています。

 1890年に、フランシス・ヤングハズバンドが南下するロシア帝国のブロニスラフ・グロンブチェフスキー率いるロシア軍兵士にワハーン回廊のボザイ・グンバズで拘束されそうになる事件が発生し、1891年に英領インド帝国はフンザ藩王国とナガル藩王国を相手にフンザ・ナガル戦争を開始しました。

 その結果、親英のアフガニスタンに組み込まれ、イギリス・ロシア両勢力間の緩衝地帯となりました。

 地政学的に極めて重要にも関わらず、厳しい気象条件、険しい地形など外部から人を寄せ付けない要素が重なり、中央の支配や軍事的な関心が及ばない地域となっています。

 1970年代のソ連によるアフガニスタン侵攻、ソ連撤退後の内戦状態、2000年代のタリバンによる国土支配とその後の内戦などとも無縁のまま、ワハン人およそ1万2000人とキルギス人遊牧民1,100人ほどの住民は、回廊内でひっそりと暮らしています。


Lake Victoria, the Great Pamir, 2 May 1874, watercolour by Thomas Edward Gordon
Source:Wikimedia Commons

地理


ワハーン回廊の位置  アフガニスタン北東部
Source:Wikimedia Cmmons


ワハーン回廊の位置  アフガニスタン北東部
Source:Wikimedia Cmmons

 パミール高原を東西に貫くこの地域は、西を本土とわずかに連絡する他は北をタジキスタン、東を中華人民共和国(新疆ウイグル自治区カシュガル地区タシュクルガン・タジク自治県)、南をパキスタン(カシミールの一部を含む)に囲まれた東西200km、南北15kmの狭隘な高原です。

 ヒンドゥークシュ山脈を越える南部のパキスタン国境(デュアランド・ライン)には、ブロゴル峠、カランダル峠(英語版)、イルシャード峠、Dilisang Passがある。

 ヒンドゥークシュ山脈を越える東部の中国国境には、世界でも最も標高の高い国境のひとつとされるワフジール峠(4923m)があり、峠の東西で3時間30分もの時差があります。長らく峠は(少なくとも中国側は)閉鎖されている状態で、数十キロにわたり車両が往来する明瞭な道路は存在しません。

住民

 人口は疎薄で、ワヒ族を中心にキルギス族が少数居住しています。

稀少動物

 ユキヒョウの生息が確認されています。


ワハーン回廊2つづく