| シルクロードの今を征く Now on the Silk Road ダルマラン博物館 ( Kabul、アフガニスタン) 青山貞一 Teiichi Aoyama 池田こみち Komichi Ikeda 共編 掲載月日:2015年1月25日 更新:2019年4月~6月 独立系メディア E-wave Tokyo 無断転載禁 |
| 総合メニュー(中央アジア) アフガニスタン ワハーン回廊1 ワハーン回廊2 ワハーン回廊3 ダルラマン宮殿 アフガン国立博物館 博物館ギャラリー1 博物館ギャラリー2 博物館ギャラリー3 次はアフガニスタンのダルマラン博物館です。 ◆ダルマラン博物館( Kabul,アフガニスタン) ![]() Source:fazalhaq mihraban Google map street view ダルラマン宮殿(Darul Aman Palace)は、アフガニスタンの首都カーブル近郊にある、現在は廃墟となった西洋様式の宮殿建築です。 1920年代初頭、近代化政策を進めたアフガニスタン国王アマーヌッラー・ハーンによって、将来の国会議事堂として建築された建物です。アマーヌッラー・ハーン失脚後に建物は放置され、その後国防省の庁舎として使われるなど変遷を経ましたが、1990年代初頭のアフガニスタン紛争で廃墟と化しました。2015年、宮殿の向かいにアフガニスタン国民議会議事堂が建設されました。 名称 ダルラマンとは「 Aman(安全)の居所(家)」という意味ですが、「アマーヌッラー (Amanullah) の居所」という意味をかけているといいます。ペルシャ語・パシュトー語の発音により近い形でカナ転記すれば「ダールッラーマーン」です。 歴史 ![]() ource:Khaliqdad Mohammadi Google map street view ダルラマン宮殿は、1920年代の初め、アフガニスタン(バーラクザイ朝)の国王アマーヌッラー・ハーン(1892年 - 1960年、在位:1919年 - 1929年)による近代化政策の一環として建設されました。この宮殿は、王が建設しようとした新首都ダルラマンの一部であり、新首都は狭軌の鉄道(カーブル=ダルラマン・トラム)によってカーブルと接続されていました。 宮殿は堂々とした新古典主義建築です。カーブル中心部からは南西へ16km離れており、カーブル西部の平坦で乾燥した谷を望む丘の上に位置しています。 将来、議会を開催する建物として企図されたものでしたが、アマーヌッラー・ハーンが宗教的保守派によって権力の座から追われ(1929年に国外亡命を余儀なくされた)改革が頓挫すると、長らく使われずに放置されていました。 ダルラマン宮殿は、1969年に火災で全焼しました。1970年代から1980年代にかけて、この建物は修復されて国防省の庁舎として使用されました。1978年の共産党クーデター(Saur Revolution)では、建物に放火されました。 ソ連によるアフガニスタン侵攻が終了した1990年代初頭、カーブル奪取を図ったムジャーヒディーン諸派閥の戦闘により、この建物は再び被害を受けました。ムジャーヒディーンによる激しい砲撃を受けた建物は全焼し、廃墟となりました。 2005年、宮殿を改修し、アフガニスタンの将来の議会議事堂として使う計画が発表されました。この計画の資金は、外国人やアフガニスタン人富裕層といった民間の寄付によって賄われるとされていましたが、改修工事が着手されることはありませんでした(2010年7月時点で、宮殿を改築する徴候は見られていませんでした)。 伝えられるところによれば、2012年4月15日にターリバーンが行ったとされる一連の攻撃において、攻撃目標のひとつとされました。 2015年12月、宮殿の向かい側に、アフガニスタン国民議会の新しい議事堂が、インド政府の手によって竣工しました。 フンザ1へつづく |