シルクロードの今を征く Now on the Silk Road 大唐西市博物館 視察17 金銀細工・装飾品 (Xi'an 中国) 青山貞一 Teiichi Aoyama 池田こみち Komichi Ikeda 共編 掲載月日:2015年1月22日 更新:2019年4月~6月 更新:2020年4月1日 独立系メディア E-wave Tokyo 無断転載禁 |
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金帶 (楽器を奏で舞を舞う人物の模様を描いた白玉製の帯と銙) 撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S9900 注)銙(か)、銙帯(かたい) コトバンク、三省堂大辞林 銙は、古代の革帯(かくたい)・石帯の表面に配列されている飾り金具。 金属または玉石製。銙帯は、腰帯の一種。金・銀・玉・石の装飾板や 垂飾を革帯または布帯にとりつけたもの 金の彫り細工を施した白玉製の帯飾り 撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S9900 鎏金伎乐纹銀盏托=鍍金伎楽紋盃托 (金メッキで伎楽の模様をあしらった銀製茶托の縁) 撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S9900 視察18へつづく |