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シルクロードの今を征く
Now on the Silk Road


大唐西市博物館 視察11

貨幣・コイン

(Xi'an 中国)

青山貞一 Teiichi Aoyama  池田こみち Komichi Ikeda 共編
掲載月日:2015年1月22日 更新:2019年4月~6月 更新:2020年4月1日
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 本稿の解説文は、現地調査や現地入手資料、パンフなどに基づく解説に加え、百度百科中国版から日本への翻訳、Wikipedia 日本語版を使用しています。また写真は現地撮影以外に百度百科、Wikimedlia Commons、トリップアドバイザーさらに地図はグーグルマップ、グーグルストリートビュー、百度地図などを使用しています。その他の引用に際しては、その都度引用名を記しています

大唐西市博物館視察11



貨幣・コイン



乾元重寶
唐代西市発掘品 大唐西市博物館所蔵品
撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S9900





金開元通宝
唐代西市発掘品 大唐西市博物館所蔵品
撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S9900




鎏金乹(乾)封泉宝(りゅうきん・かんふうせんほう)
 (金メッキ乾封泉宝)

唐代西市発掘品 大唐西市博物館所蔵品
撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S9900




上段3枚:乾封泉宝  下段左 :金メッキ開元通宝銭  
下段中央:銀メッキ開元通宝銭   下段右 :ソグド(トルギス)貨幣
唐代西市発掘品 大唐西市博物館所蔵品
撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S990
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陶扑满(陶製貯金箱)
唐代西市発掘品 大唐西市博物館所蔵品
撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S990
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左側:三彩銭櫃   右側:柜坊、質庫、飛銭の解説パネル 
大唐西市博物館所蔵品
撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S990
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大量のコインは開元通宝
唐代西市発掘品 大唐西市博物館所蔵品
撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S990
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三か国語解説

◆Persian silver coin
 The coin has a wide rim and is supposed to be a silver coin from the end of Sasanian Dynasty. On the head side of the coin is the engraving of the emperor’s side profile with the crown, while the tails' side has the engraving of a priest holding poker before a fire altar.
Ancient Persia (now Iran) had frequent economic and cultural interactions with the Tang Dynasty, so the silver coin produced in 7th century Sasanian Dynasty entered China through the Silk Road. The foreign coins in Chang’an had no commercial use and were buried with the dead, instead of being circulated. Diameter: 2.8cm  Museum collection

◆波斯银币
硬币边缘很宽,应该是萨萨尼亚王朝灭亡时期的银币。 在硬币正面雕有戴皇冠的皇帝头部的侧面轮廓,而背面雕有一个巫师在火祭坛前举行扑克占卜仪式。 古代波斯(现伊朗)经常与唐朝经济和文化相互作用,因此7世纪的萨珊王朝制造的银币通过丝绸之路流入中国。 长安的外国硬币没有流通的商业用途,而是与死者一起被埋葬。 直径:2.8厘米 馆藏

◆<日本語訳> ペルシャの銀貨
 貨幣の縁の部分は広く、ササーン王朝末期の銀貨と思われます。貨幣の表側には、皇帝の横顔に王冠の彫刻があり、裏側には、祭壇の前で火かき棒を持っている司祭の彫刻がほどこされています。古代ペルシャ(現在のイラン)は、唐王朝と頻繁に経済的および文化的な相互交流があったため、7世紀のササーン王朝で生産された銀貨は、シルクロードを通じて中国に入りました。長安では、外国の貨幣は商業的に使用されず、流通する代わりに死者とともに埋葬されました。
直径2.8cm 博物館収蔵

出典:国連UNESCO世界遺産 シルクロード 




銀碗と金帯(トルキスタン汗国)
左側:鎏金犀牛折枝花纹四曲银碗
 (金メッキ犀及び花紋つき四曲面銀製碗)
  中央:金蹀躞帯(金ベルト)
  右側:鎏金团花纹银碗(金メッキ群花紋銀製碗)
唐代西市発掘品 大唐西市博物館所蔵品
撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S9900

 注)トルキスタン Wikipedia より抜粋
  西トルキスタンは帝政ロシアの支配下となり、帝国がロシア革命で倒された後
  はトルキスタン自治ソビエト社会主義共和国などが作られ、ソ連の傘下に組み
  込まれた。その際、各共和国の国境線は人為的に引かれたため、民族分布と
  は必ずしも合っていない。ソ連崩壊とともに1991年に悲願の独立を果たした。
  しかし、独立以降も経済的・軍事的には未だにロシアの影響は強い。中央アジ
  ア連合創設への提案も行われている。

 注)汗国 Wikipedia
  汗(カン、ハン、qan)を君主とする君主国を指す用語である。君主号として
  の「ハン」「ハーン」はモンゴル高原から中央アジアを中心とした、テュルク系
  およびモンゴル系の遊牧民王朝でよく用いられたが、モンゴル帝国時代以降、
  キプチャク・ハン国(ジョチ・ウルス)崩壊の影響を受けて、中央アジア以西の
  キプチャク草原・ルーシ・カフカス(コーカサス)などの地域にも広がった。


視察12へつづく