シルクロードの今を征く Now on the Silk Road セリミエ・モスク 青山貞一 Teiichi Aoyama 池田こみち Komichi Ikeda 共編 掲載月日:2015年1月23日 更新:2019年4月~6月 独立系メディア E-wave Tokyo 無断転載禁 |
| 総合メニュー(西アジア) リュステム・パシャ・モスク1 リュステム・パシャ・モスク2 セリミエ・モスク スレイマニエモスク ブルーモスク 地下宮殿 次はイスタンブールのモスクです。 イスタンブールには、著名なモスクだけで以下のように、沢山あります。いずれも、欧州側にあります。 ◆セリミエ・モスク (Istanbul、トルコ) セリミエ・モスク(Selimiye Mosque、トルコ語: Selimiye Camii)はオスマン帝国時代に建設されたモスクの1つで、トルコのエディルネにあります。 皇帝セリム2世の命で、建築家ミマール・スィナンが1568年から1574年に建設しました。スィナン自身が最高傑作としており、イスラーム建築の最高到達点の1つとされています。 概要 ![]() セリミエ・モスク Source:Wikimedia Commons このモスクはキュッリイェ(病院、学校、図書館、浴場などの集まった複合施設)の中心にあり、そのキュッリイェにはマドラサ(イスラム神学と科学を教える高等教育機関)、dar-ül hadis (Al-Hadith school)、計時係の部屋、市場などがありました。 スィナンはこのモスクで、四角い部屋の壁に8本の柱を設け、その8本の柱で形成する八角形でドームを支持するシステムを採用しました。部屋の四隅にはその柱と柱を結ぶアーチの奥に半ドームがあり、それらが大ドーム(球形で直径31.25m)と壁の中間にあります。 ![]() セリミエ・モスクの天井 Source:Wikimedia Commons 通常のモスクでは部屋が区切られていますが、スィナンはこのエディルネでモスクのどの位置からでもミフラーブを見られるような構造にすることを心掛けました。 4基の高いミナレットに囲まれ、その先に巨大なドームが見えます。モスクの周囲には様々な施設があります。図書館、学校、宿坊、公衆浴場、貧民のための無料食堂、市場、病院、墓地などです。 これら付帯施設は可能な限り軸方向に並ぶように配置され、グループ化されています。モスクの正面には、モスクとほぼ同じ面積の矩形の中庭があります。しかし、セリミエ・モスクの斬新な点は建物の大きさではなく、内部の構成にあります。 ミフラーブはアプス風のアルコーブの中にあり、3方向の窓から照らされるように十分な奥行きを確保しています。これには、壁の下の方のタイルが自然光できらめくという効果があります。その部分がメインホールと融合し、ドームの下の四角い部屋と共に八角形を形成しています。 8本のドームを支える柱が形成する八角形を、対角線上の四角形の四隅の半ドームで覆われた部分が貫いています。互いに包み込み合っている幾何学的形状の相似に起因する美しさは、スィナンが長年追い求めた統合された室内空間の到達点だったのです。 1913年にブルガリアがエディルネを包囲したとき、このモスクのドームにブルガリア軍の砲弾が当たりました。ドームは極めて頑丈にできていたため、モスクはほとんど損傷を受けずに攻撃に耐え抜きました。ケマル・アタテュルクは将来の世代への警告とするため、その修理をしないよう命じ、現在もそのままになっています。その損傷は下の内部の写真で、ドーム中心の青い円の左にある赤い装飾文字部分に見えています。 このモスクは、1982年から1995年まで10,000トルコリラ札の裏面に描かれていました。 ![]() セリミエ・モスクの外観 Source:Wikimedia Commons トプカプ宮殿1へつづく |