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女川原発現地視察+議論
敢行記(2)
青山貞一
東京都市大学、環境総合研究所
環境行政改革フォーラム

掲載月日:2012年10月10日
 独立系メディア E−wave Tokyo

無断転載禁

@はじめにー事前準備ー
A敷地入構とレクチャー
B福島第一原発との違い
   C今後の取り組み
D東北電力vs東京電力

女川原発入構と事前レクチャー

 東北電力女川原子力発電所入構後、最初に事務棟に向かった。

 事務棟の会議室で最初に約10分間、東北電力が作成したDVDを全員で見る。このDVDは3.11と女川原発に関するものだが、その内容は、別途、東北電力が作成したパワーポイントの内容をほぼ同じものであった。

 このDVDでは、私があらゆる講演で冒頭に話してきた以下に示す過去における三陸海岸に押し寄せた津波の歴史に触れていた。問題は、どれだけ過去の津波に歴史から東北電力が学んでいるかであろう!

 日本の過去の歴史をひもとけば分かるように、三陸海岸への大津波は、主な津波だけをとっても以下のように1000年に一度どころではなく、おおよそ100年に一度の頻度で来襲している。


 3.11後、東京電力や政府、それにマスコミが頻繁に1000年に一度とか、想定外と言ってきたのは、間違いなく巨大自然災害であり、不可抗力であることを強調し、各種の損害賠償をあわよくば逃れようとしていたとしても、そう間違いではないだろう。


 三陸海岸に押し寄せた過去の大津波の歴史

   869年 貞観三陸津波
  1611年 慶長三陸津波
  1896年 明治三陸津波 
  1933年 昭和三陸津波
  2011年 東日本大震災・津波

出典:青山貞一、明治三陸津波は旧内務省資料参照

 ちなみに2011年の東日本大震災・津波と1896年の明治三陸津波の主な被災地における犠牲者を比較すると以下のようになる。

 これからも明治三陸津波は東日本大震災津波に比肩される巨大な津波であったことが分かる。

 
 以下はDVDからではなく青山が旧内務省資料調査をもとにして作成した表であり、講演の冒頭で使っている表である。

 なお、女川原発は以下の表にある気仙沼市のすぐ南に位置している。


      東日本大震災津波と明治三陸津波の被害、津波高比較

               2011年         1896年(推定値)
           東日本大震災津波      明治三陸津波 

★岩手県  
大槌町         1,450人         900人 ( Max 9m, Ave 6m)
釜石市         1,180人        8,181人 (Max 15m, Ave 12m)
大船渡市          449人        3,143人 (Max 26m, Ave 11m)
陸前高田市       2,098人         845人 (Max 33m, Ave 9m)

★宮城県           
気仙沼市       1,411人         1,467人 (Max 22m, Ave 7m)

 合計        6,588人      14,536人

( )内は最高波高と平均波高

出典:青山貞一、明治三陸津波は旧内務省資料参照

本格レクチャー

 DVD上映の後、東北電力がこの日のために用意した「東日本大震災による女川原子力発電所の被害状況の概要及びさらなる安全性向上に向けた取り組み」という表題のパワーポイント(34枚)をもとに全員が25分ほど説明を受けた。

 なお、原発構内は原則として写真、ビデオ撮影が禁止されていたが、34頁(枚)あるパワーポイントのカラー印字版を全員に配布されたので、本ブログでもそれを利用している。


出典:東日本大震災による女川原子力発電所の被害状況の概要及び
    さらなる安全性向上に向けた取り組み
    東北電力株式会社 平成24年10月9日

  以下、すべてのパワーポイント資料の出典は「東日本大震災による女川原子力発電所の被害状況の概要及びさらなる安全性向上に向けた取り組み」、東北電力株式会社 平成24年10月9日である。

  まず以下は女川原発の概要である。3つのBWR(沸騰水型炉原子炉)があり、それぞれ52万4千kw、82万5千kw、82万5千kwの出力がある。


東北電力女川原子力発電所概要(パワーポイント資料1−@)

 以下は女川原発1号から3号炉の概要。 出典はWikipediaである。
原子炉形式 運転開始 定格出力 現況
1号機 沸騰水型軽水炉(BWR)Mark-1 1984年(昭和59年)6月1日 52.4万kW 東北地方太平洋沖地震により停止中/定期点検中
2号機 沸騰水型軽水炉(BWR)Mark-1改 1995年(平成7年)7月28日 82.5万kW 東北地方太平洋沖地震により停止中/定期点検中
3号機 沸騰水型軽水炉(BWR)Mark-1改 2002年(平成14年)1月30日 82.5万kW 東北地方太平洋沖地震により停止中/定期点検中
 
 以下は、海側から見た女川原子力発電所。
 

出典:Wikipedia

3.11による女川地域の被害実態

 女川原発がある女川地域の3.11時の地震規模及び被害状況だが、震源地は三陸沖約130km、深さ約24km、マグニチュード9,震度は6弱、地震加速度は567.5ガルで、平成17年8月16日に起きた過去最大の地震時の加速度である251.2ガルの倍以上となっていた。

 女川町の震災前の人口は10,014人、3.11により死亡者(認定者含む)が820名、行方不明7名となっており、岩手県の大槌町同様、甚大な人的被害があることが分かる。


東北電力女川原子力発電所概要(パワーポイント資料1−A)

 下は3.11直後の東北電力発電所の状況である。


東北電力女川原子力発電所概要(パワーポイント資料)

<参考>

 2011年(平成23年)3月11日14時46分頃に発生した東北地方太平洋沖地震(東日本大震災)では、女川原発の震度計は震度6弱を観測した。地震計は最大加速度が1号機で540ガル(想定512ガル)、2号機で607ガル(想定532ガル)、3号機で573ガル(想定594ガル)を記録。

 1号機の外部電源が変圧器の故障の為使用不能となり、外部電源の復旧までの間、非常用ディーゼル発電機で11時間冷却を行った。

 2号機・3号機の外部電源が喪失することはなかった。また、最高9.1mとした設計上の想定を超える最大13メートルの津波に見舞われたが、敷地の海沿いに設けた斜面および海抜14.8mの場所に設置してあった為、地震で1メートルの地盤沈下があったものの、(海抜14.8m-1m=13.8m、津波13m 差分約0.8mにより)直接の津波到達は無く、海岸線に最も近い2号機の原子炉建屋の地下3階が約2.5メートル・約1500立方メートルまで浸水、また3号機の冷却系に海水が侵入するにとどまった。

 一方、最大波から15分後の引き波の際には、原子炉を冷却する海水を取り込む為の取水口が剥き出しになった可能性が指摘されている。原子炉建屋の地下が浸水した2号機は、発電機などを冷却する熱交換機が海水につかった為非常用発電機3台のうち2台が起動しないトラブルに見舞われたものの、別系統によって停止した。

 1号機ではボイラー用の重油タンクが倒壊したり、原子炉建屋などで20個所が水漏れするなどのトラブルに見舞われたが、1号機および3号機も自動停止した。その後、1号機のタービン建屋の地下1階で火災が発生したが、同日22時55分に鎮火が確認された。

 3月13日、女川原発敷地内で毎時21マイクロシーベルトの放射線が検出されたことが報じられた。女川原発の原子炉は地震後すべて自動停止し、冷温停止と呼ばれる安全な状態であったことから、原子力安全・保安院は、検出された放射線は福島第一原発の爆発で放出されたものとの見解を示した。

出典:Wikipedia

3.11による女川原発プラントの状況

 地震発生後の2011年3月11日14:46に原子炉が自動停止した後の女川原発の原子炉プラントなどの状況が詳しく報告された。

 1〜3号機は、自動停止後、非常用ディーゼル発電機(DG)が自動あるいは手動起動した。


東北電力女川原子力発電所概要(パワーポイント資料1−B)

 同日15:29に津波の最大波が到達後、12日12:12までに1〜3号機がすべて冷温停止状態(以下で赤色部分)となっている。


東北電力女川原子力発電所概要(パワーポイント資料1−C)

3.11と女川原発の電源確保問題

 女川原発は3.11の地震直後、非常用電源であるディーゼル発電機(DG)が健在であったことになる。

 津波により潮位計が設置されている孔より水が浸入し、一旦冷温停止が確認された2号炉のディーゼル発電機3つのうち2つが停止した。原子炉起動直後のため原子炉は未臨界で、翌12日にはRHRポンプにより冷却が開始されている。

 それに加え、外部電源である松島幹線、牡鹿幹線、塚浜支線の合計5回線のうち、松島幹線の1回線を残しすべて使用不能となったが、松島幹線の1回線が正常稼働しており、非常用電源とともに1〜3号機の冷却電源として使われた。これらの回線は平時、送電用に使っている回線だが、このとき松島幹線は受電用として使われている。

 さらに停止した松島幹線は3月17日、牡鹿幹線は3月12日、塚浜支線は3月26日(いずれも2011年)に復旧していた。

<送電線の概要>
(1)松島幹線(27万5千ボルト) 女川原子力発電所 - 宮城中央開閉所
(2)牡鹿幹線(27万5千ボルト) 女川原子力発電所 - 石巻変電所
(3)鳴瀬幹線(27万5千ボルト) 石巻変電所 - 宮城変電所


東北電力女川原子力発電所概要(パワーポイント資料2−A)

 肝心な津波だが、女川原発の敷地の高さは、後述するように、地震前は14.8mあった。一方、3.11の津波の高さは、地震発生43分後の15:29に最高約13mが到達したものの、ぎりぎり防潮堤を越えることはなかった。しかし、地震によって牡鹿半島全体が1m地盤沈下したために、原発の敷地高さは地震後、13.8mとなっており、まさにぎりぎりの状況であったことがわかった。

 その結果、防波堤の高さは13.8m津波の最高の高さより1m高く、一部防波堤を越えて波が敷地内に入ったものの、非常用発電機などの根幹的施設への津波の被害はほとんどなく、1〜3号機の原発は冷温停止している。

 福島第一原発では地震後の津波により冷却用電源が喪失し、その後、冷温停止に至るどころか燃料棒が露出し、メルトダウン、メルトスルーとなり甚大な被害が起きたのに対比すると、この防潮堤の高さが、地盤沈下があったにもかかわらず、女川原発を甚大な津波被害から守ったことになる。


東北電力女川原子力発電所概要(パワーポイント資料2−B)

 以下は地震あるいは津波による原発プラント被害の状況である。倒壊した重油貯蔵タンクは暖房用の重油貯蔵用タンク。


東北電力女川原子力発電所概要(パワーポイント資料2−@)

つづく