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◆二本松市の渡辺氏宅で放射線測定 敷地内の農地では自家用の野菜を栽培し、井戸水も利用している。 そこに突然の震災と原発事故。地震では屋根瓦の落下、土蔵の土壁の落下、浄化槽の破損などの被害があったが、原発からは直線距離にして60km近くも離れていることから、まさかここまで放射能が来るとは思わなかったと嘆く。 二本松市で被災した住民(渡辺さん)インタビュー 撮影:鷹取 敦 原発爆発から一ヶ月後にはさっそく知人から借りてきた測定器で自宅周辺や室内を測ったところ、玄関前で約25μシーベルト/hなど、非常に高い値が検出され、衝撃を受けたという。その頃、原発立地地域からは多くの被災者が二本松にも避難していた。 二本松はほんとうに大丈夫なのか、孫たちの健康も気がかりだった。飯舘村、川俣町を経て二本松に至る国道114と県道62号の分岐点に位置する川俣町山木屋地区はホットスポットであることが判明し、すでに住民が避難していた。 渡辺さんは、小さい頃に弟さんを白血病で亡くされたとのことで、原発からの放射能汚染はことのほか気がかりだと言う。 二本松市で被災した住民(左、渡辺さん)インタビュー 撮影:鷹取 敦 渡辺さんが飼っている子牛 撮影:青山貞一 そろそろ息子さんに仕事をゆずって牛を飼ったり、やりたいことをやるのが夢だったと語る渡辺さん。自宅のすぐ近くで建設が予定されている産業廃棄物処分場に反対する市民運動では地区のリーダー役として活躍してきたが、県や裁判所のこれまでの対応には大いに憤慨している一人である。 そして、今後、原発で人が居なくなり、土地も安くなって福島県が産廃業者の格好の立地場所として狙われるのではないかと危惧している。 ふるさと福島がふたたび地域の絆で結ばれ、美しい山河、四季の自然に恵まれた農村の風景を次世代にも守り伝えていけるように、なんとか頑張っていきたいと話していた。 二本松市で被災した住民(右、渡辺さん)インタビュー 撮影:鷹取 敦 以下は、渡辺氏宅での測定結果である。室内は、0.40μシーベルト/hと低いが、庭は現在でも1.5〜2μシーベルト/hとかなり高いことが分かる。また雨樋桶内では、3.46を記録した。測定器はいずれも東京都市大学原子力研究所の備品となっているキャリブレーション済みの正式サーベイメーターである。 表 二本松市渡辺宅放射線現地調査結果(2011.6.20午前) 単位:μシーベルト/時
なお、以下は、二本松市の渡辺氏が2011年6月12日にご自宅で測定した放射線量である。4月時点での測定値に比べると大幅に下がっているが、室外と室内を比べると室外が2倍ほど放射線量が高いことが分かる。 表 二本松市渡辺宅放射線現地調査結果(2011.6.12) 単位:μシーベルト/時
以下は、二本松の渡辺氏、環境総合研究所、行政(二本松市、福島市、郡山市) の測定値を時間の経過に沿って一覧表としたものである。福島市では事後直後、最大24.24μシーベルト/時、郡山市では8.26μシーベルト/時と非常に高線量であったこと、それが一ヶ月後の4月には1/12(福島市)、1/4(郡山市)と低減していることが分かる。しかし、その後の放射線量はそれほど低減していないことが分かった。 表 各種放射線現地調査結果 単位:μシーベルト/時
つづく |