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   東南アジア最後の秘境 ミャンマー

ヤンゴンの巨大下町で夕食


青山貞一 Teiichi Aoyama  池田こみち Komichi Ikeda
掲載月日:2016年8月4日
独立系メディア E−wave Tokyo

無断転載禁
(1) 構想からヤンゴン到着  (2) ミャンマー基礎情報@  (3) ミャンマー基礎情報A
(4) ヤンゴン一周鉄道に乗る  (5) ヤンゴンの巨大下町で夕食


◆ヤンゴンの巨大な下町で夕食

 私たちは3時間で38駅を一回りしたあと、夕暮れのヤンゴン中央駅に下りてみました。下がヤンゴン中央駅です。上に見えるのが中央駅舎と塔です。


撮影:池田こみち Nikon Coolpix S9900  2016-5-31

 以下は正面から見たヤンゴン中央駅です。なかなか立派です。デザイン的にもどこかミャンマー的です(笑い)。


出典:Wikipedia

 ホームから一旦高い位置にある橋に上ってから下町方面を歩きます。


撮影:池田こみち Nikon Coolpix S9900  2016-5-31

 ヤンゴン中央駅の南側には長さ1kmほど、幅員大小40本の道路がヤンゴン川に向かって南北に伸びています。下の地図では比較的幅員が大きな道路だけが表示されていますが、実際には細い街路もあります。

 時間はすでに夕方です。



 ヤンゴン川沿いの下町を拡大すると以下のようになります。南北に多数の道路が通っていることが分かります。

 それぞれ番号が付いた40本ほどの道路が南北に並んでおり、それぞれに多数のレストラン、商店、問屋などがへばりついているのです。全体がひとつの市場ともいえます。その様は香港にも似ています。



 そう、ここはミャンマーそしてヤンゴン最大の繁華街であり下町です。ちょうど訪れたのが夕方、通勤ラッシュと重なり、あたりは喧噪に包まれていました。

 上の地図で中央よりやや右(黄色いパゴダマークのところ)の隣の緑色に塗られたところに独立広場があり、その中央に独立記念塔があります。さらに独立広場に面してヤンゴン市役所、ミャンマー最高裁判所、さらに道路のロータリーにはヤンゴンで有名なスーレーパヤー(仏塔、パゴダ)があります。

 中央駅に近い側からヤンゴン川側に通ずる道を歩くと、第一ブロックは飲食店街、第2ブロックは電機家電製品街、次はビーチサンダルの卸店街......という具合に、間口二間位の小さな店や問屋等がひしめき合っており、これが40本の全ての道路に並んでいます。想像して頂ければ如何に物凄い喧騒の町であるかがわかると思います。

 下のグーグルマップは、ヤンゴン中央駅から南に出て、FMIセンタービル(近代的なショッピングセンター)の前にある29番街を指しています。私たちはこの29番街をヤンゴン川近くまで下りました。


出典:グーグルマップ

 下の写真では正面に見える大きな建物はFMIという商業、業務となっているようです。私たちはその前にある29番街を反対側に下りました。


29番街通りから見たFMIビル
撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S9900  2016-5-31

 下はそのごく一部です。

 3階−4階のビルが長屋状につづいており、一階が商店、問屋、レストランとなっています。

 二階から三、四階は、ご覧のように住居となっています。いずれの住宅にも衛星テレビのパラボラアンテナがついていす。ミャンマーでも2月に出かけた南イタリア同様、どの世帯でも衛星海外報道が無料で視聴できます。


撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S9900  2016-5-31

 狭い道路には乗用車は問屋、商店などの車が所狭しと駐車しています。さらに、その間を次々にたくさんの荷物を積んだトラックが入ってい行きます!


撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S9900  2016-5-31

 駅側から2ブロック川側に下ると、ものすごい雑踏のなかに見えた金色に光り輝くスーレーパヤー(仏塔、パゴダ)です。下はその写真です。後日、独立記念広場やスーレーパヤー、最高裁なども視察していますので、詳細はそちらをご覧ください。


撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S9900  2016-5-31

 このスーレーパヤー(仏塔、パゴダ)は、ヤンゴン最大の下町の雑踏のなか、それも大きな交差点(実際はロータリーの真ん中)にあるのです。これは驚きです!

 ミャンマーというよりビルマは、永年英国の植民地となっていたこともあり、道路にはあまり信号がなく、幹線道路の交差点の多くはロータリー様式になっています。スーレーパヤー(仏塔、パゴダ)は、そのロータリーの中心にあるのですから驚きです。


撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S9900  2016-5-31

 下は町の雑踏です。広い道路沿いには小さなしかも無数の露店がならびます。


撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S9900  2016-5-31

 幹線道路の歩道から一部車道にはパラソルを立てた露天商がズラーと並びます。これが日常的な下町の姿でもあります。もっぱら、これは台湾、フィリピン、マレーシア、タイなど東南アジアでよく見る光景です。


撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S9900  2016-5-31

 露店で夕食を食べる住民です。残念ながら、私たちは滞在中一度も露店の食事はしませんでした。それは汚染された水を使っている可能性が高く、さまざまなガイドブックで水道の水と露店の飲食はしないようにとあったからです。


撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S9900  2016-5-31


◆ミャンマー一?のカレー屋で食事

 騒音も凄まじく、様々な匂いが充満してます。これが34℃前後の高温多湿の中でのことなので、むせかえりそうで、気が狂いそうな活況です。

 一時間ほど、その中をかき分け、かき分け歩いていると夕飯時になりました。

 そこで知り合いから聞いていたミャンマー風カレーの店を探し、やっとのことで店の中に入りました。青山が魚のカレー、池田は烏賊のカレーを頼みます。

 メニューからではなく、実際に下の写真にあるカレーに入れる具を選ぶところから始まります。自分でチキンとか海老とか魚などを選びます。イスラム系の国ではないので、ポーク、ビーフ、さらにベジタリアン用の野菜もあります。

 選んだ具とスープ、サラダなど5点ほどがセットになっており、ご飯は別途注文します。


撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S9900  2016-5-31

 食べてビックリ、噂の通り、かつて食べたことがないほどの美味しさでした。

 出たのはカレー汁、ご飯、スープ、サラダ、サイドメニューにカリフラワーとニンジンなどの野菜の炒めもの、ほうれん草の炒めもので、一人あたり約500円です。カレー定食だけなら300円です。一人あたり約500円は、ミャンマーではかなりの高額ですが、それだけのことはありました(笑い)。本当においしいのです。


撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S9900  2016-5-31

 具にカレー汁をかけたものが左下にみえます。右下にあるのは、スープです。その上のものすごい量のサラダ(野菜があります)。さらに漬物のようなものもでます。基本的にミャンマーでは水はでません。自分たちで頼むと500ml一本単位で50円前後と有料になります。


撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S9900  2016-5-31

 ミャンマーに来て最初の夕食が終わりました。下の写真は食べ終え、お金を払った後、店を出てきたところのものです。


撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S9900  2016-5-31

 支配人、店員がみんな出てきてくれたので、一緒に記念撮影です。

 この店の料金はヤンゴンでは決してリーズナブルとは言えない額ですが、そのおいしさ、量でてくる野菜などの量からすると、日本の1/3以下と感じました。


撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S9900  2016-5-31

 この後、ヤンゴン中央駅近くから宿泊先ホテルがあるシャン・ロード(Shan Road)近くまで歩いて帰ります。

 なお、28番街のマーケット側の一階には、モスクがありました。ミヤンマーのイスラム人口は全人口の4−5%のはずですが、それでも約250万人が居住しているとすれば、400万人以上が住むヤンゴンにもモスクがあっても何ら不思議なことはないはずです。

 ヤンゴンの道路は、車道と歩道が分離されてなく、しかも歩道部分は激しい凸凹、さらにU字溝が歩道と直角に多数あります。さらに街路灯などの照明はほとんどないも同然です。

 池田は視力がいいのですが青山はコンタクトレンズを入れてもあまり視力がでないので、非常に危険でした。

 事実、U字溝に落っこち、後ろから来た現地のひとに助け上げられる始末でした。途中、何度もヤンゴンに住んでいる現地人に道を聞くと、それぞれが英語で親切丁寧に教えてくれました。さすが、ミャンマー人は見知らぬ人、外国人に親切であるという私たちの仮説を立証するように、誰に聞いてもそれなりに親切にこたえてくれることが分かりました。

 かくしてやっとのことで、ホテルまでたどりつきましたが、車道と歩道の分離とともに、段差(凸凹)そしてU字溝は、何とかならないものかと思いました。

 後から分かったことですが、ヤンゴン最大の市場であるBogyoke市場では、最近火災があり、政府は修理すると約束したのですが、まだ修理がされていないため、市場は閉鎖となっていて、そのために、普段は市場内に店を出して商売をしている多数の店舗が路上に出ていたために、いつも以上に一層路上の雑踏、賑わいが激しかったのでした。


つづく