東南アジア最後の秘境 ミャンマー アーナンダ寺院(1) AnandaTemple 青山貞一 Teiichi Aoyama 池田こみち Komichi Ikeda 掲載月日:2016年6月24日 独立系メディア E−wave Tokyo 無断転載禁 |
(103) 王宮からアーナンダ寺院へ (104) アーナンダ寺院(1) (105) アーナンダ寺院(2) (106) アーナンダ寺院(3) (107) アーナンダ寺院(4) 下は正面(北側のゲート)に到着した時の写真です。 撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S9900 2016-6-7 下はグーグルマップで見たアーナンダ寺院です。 出典:グーグルマップ 西側の入口(これが正門)には下のような液晶によるアーナンダー寺院(Ananda Phaya)の標識がありました。なかなか素晴らしいですね。ただ、世界遺産登録などでは、この種のデジタル表示、照明、電飾もクレームがつくと聞いたことがあります。 まぁ、いつでも取り外しが可能なものですし、明らかに創建当時に存在しなかったものと誰にでも分かることなので、電飾を世界遺産登録しない理由とするのはいかがなものかと思いますが? 撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S9900 2016-6-7 下はアーナンダ寺院の入口の右手にあった壁面に組み込まれた仏像です。 撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S9900 2016-6-7 下は入り口の反対側にある仏像です。 撮影:池田こみち Nikon Coolpix S9900 2016-6-7 バガンは、カンボジアのアンコールワット、インドネシアのボロブドゥールとともに世界三大仏教遺跡の一つに数えられています。そのなかで、アーナンダ寺院は、バガン遺跡を代表する最大の寺院遺跡です。 上座部仏教(小乗仏教)を導入し、ミャンマー族最初の統一国家を築いたバガン朝の第3代の王チャンスィッターによって、11世紀末〜12世紀初頭に建設されました。 白亜の寺院の内部には、大きな四つの金色の仏像が安置され、釈迦(仏陀)の生涯を描いた約80点の浮き彫りがあります。 下は現在のアーナンダ寺院の全体像です。東西南北、均整がとれた形をしています。左側(西側)の入口が正門です。私達もここから入りました。 出典:NHK バガン|NHKスペシャル アジア巨大遺跡 2015 第2集 黄金の仏塔 祈りの都 〜ミャンマー バガン遺跡〜 下の写真は、1890年代のアーナンダ寺院の全体写真です。 1890年代のアーナンダ寺院の写真 Ananda Temple in 1890s (left) and 2007 以下はアーナンダ寺院の平面図(レイアウト)です。 この平面図を見ると、アーナンダー寺院は完全に左右上下、東西南北が完全にシンメトリーとなっていることが分かります。 ource: English Wikipedia 下はアーナンダ寺院のある部分を切ったクロスセクションです。大仏があるのが分かります。 Source: English Wikipedia 下はアーナンダ寺院の西側、すなわち正面から見た立面図です。 Source:http://bagan.travelmyanmar.net/ananda-temple.htm なお、以下はアーナンダ寺院の英文解説の翻訳です。 アーナンダ寺院は、仏教の寺院で、紀元1105年、バガン王朝のKyanzittha王の時代(1084〜1113)に創建されました。 アーナンダ寺院は、バガンに今も残っている4つの寺院の一つです。寺院の設計レイアウトは、傘蓋として知られる傘をかぶった頂上部分の小さなパゴダへと続く複数のテラスが十字架を形づくる構造となっています。 傘蓋(Hti)とは、傘のことで、ミャンマーのほとんどすべてのパゴダに見られる頭頂部の飾りを指します。 この寺院は、モン族とインド様式を取り入れた建築様式の二つの様式が混じり合ったもので、驚嘆に値する建築物であると言われています。この印象深い寺院は、別名「ビルマのウェストミンスター寺院」とも呼ばれています。 また、このアーナンダ寺院は、10世紀〜11世紀に創建されたPathothamya寺院と極めて似ており、「正真正銘の石の博物館」として知られています。 寺院は、1975年の地震によって被害を受けました。しかし、その後、完全に再建され、頻繁に塗装を行って壁を白く塗り、良好に維持管理されています。1990年には、建設900年を祝って、寺院の尖塔には金箔が施されました。アーナンダ寺院はバガンでも非常に高い尊敬を集める寺院なのです。 つづく |