厳寒のロシア2大都市短訪 パブロフスク宮殿 イタリアの広間(1) 青山貞一 Teiichi Aoyama 池田こみち Komichi Ikeda 掲載月日:2017年5月30日 独立系メディア E-wave Tokyo 無断転載禁 |
ロシア短訪・総目次に戻る ・パブロフスク宮殿施設・内装 (間、教会、寝室、図書室) 荘厳な寝室 イタリアの間1 イタリアの間2 騎士の間 ギリシアの間 マリア・フェオドロフナの図書室 教会 戦争の間 エジプトロビー 平和の間 謁見の間 ◆サンクトペテルブルグ(Saint Petersburg) サンクトペテルブルク歴史地区と関連建造物群 パヴロフスクの紋章 ◆パブロフス宮殿のイタリアの間(1) 訪問者が来訪れる最初の公的エリアの室内イタリアンホールです。元々はっきりとした古典的な建築様式の内装を施したイタリアンルームは、丸天井で覆われた窪みを配した円形の部屋で、中央の窓から光が差し込みます。 それは宮殿の奥にひろがる部屋の中心となっています。 イタリアンホールは、一連の建築家、チャールズ・キャメロン、ヴィンチェンツォ・ブレンナ、アンドレル・ボロニキンらによる作品です。 その近代的な内装は1805年に造られました。 (内装の)造作・備品として重要な場所には大理石の彫刻が配置されました。 1780年代にさかのぼること、当時イタリアから戻って来た4つのアンティークの彫像がここに置かれました。 彫刻作品は:メディチ家のヴィーナスのようなアフロディーテ、Centocelle Erosタイプのキューピッド(有名なギリシャの彫刻家Praxitelesによる古代の失われた像の再現)、弓を張るEros(アレキサンダー大王の宮廷彫刻家であったリュシッポス(Lysippus)が1世紀につくり失われた像の複製 )、そして1803年の火で死んだバッカスの像でした。 註)エロス:ギリシア神話に登場する恋心と性愛を司る神 現時点では、リュシッポスによるErosの像だけが元の位置に鎮座しています。 他の3つの像はロイド・ブラウンのコレクションから購入され、1789年にパブロフスクに持ち込まれました。1780年代後半から、イタリアの部屋の壁には10体の大理石の彫刻がありました。 平面の窪みには、ローマの結婚式と三美神(スリー・グレーセス)(西暦 2世紀)とが置かれ、窪みと窪みの間には人物の反面像(横顔)の肖像画がありました。 ・パブロフスク宮殿のイタリアの広間 パブロフスク宮殿のイタリアの広間 Source:Wikimedia Commons By Chatsam - Own work, CC BY-SA 3.0, Link パブロフスク宮殿のイタリアの広間 Source:Wikimedia Commons By Chatsam - Own work, CC BY-SA 3.0, Link パブロフスク宮殿のイタリアの広間 Source:Wikimedia Commons パブロフスク宮殿のイタリアの広間 Source:Wikimedia Commons By Chatsam - Own work, CC BY-SA 3.0, Link パブロフスク宮殿のイタリアの広間 Source:Wikimedia Commons By Chatsam - Own work, CC BY-SA 3.0, LinkBy Chatsam - Own work, CC BY-SA 3.0, Link パブロフスク宮殿のイタリアの広間 Source:Wikimedia Commons By Chatsam - Own work, CC BY-SA 3.0, Link つづく |