厳寒のロシア2大都市短訪 パブロフスク宮殿 イタリアの広間(2) 青山貞一 Teiichi Aoyama 池田こみち Komichi Ikeda 掲載月日:2017年5月30日 独立系メディア E-wave Tokyo 無断転載禁 |
ロシア短訪・総目次に戻る ・パブロフスク宮殿施設・内装 (間、教会、寝室、図書室) 荘厳な寝室 イタリアの間1 イタリアの間2 騎士の間 ギリシアの間 マリア・フェオドロフナの図書室 教会 戦争の間 エジプトロビー 平和の間 謁見の間 ◆サンクトペテルブルグ(Saint Petersburg) サンクトペテルブルク歴史地区と関連建造物群 パヴロフスクの紋章 ◆パブロフス宮殿のイタリアの広間(2) イタリアの間からギリシャの間につながる通路と上の玄関ホールには彫刻家イワン・マルトス(オリジナルは1780年代)の工房で造られた4体の浅浮き彫りがあります。家具には、1980年代に復元された帝国様式の低い腰掛けが含まれます。 これらの中でも特にイタリアン大広間(その室内装飾材料)は、1804年から05年にロシアで造られたもともとの部屋で生き残ったものの写しです。 フレンチホルンの形をしたブロンズ製のランプブラケットは、部屋のオリジナルの家具の一部です(フランス、1780年代)。シャンデリア(サンクトペテルブルク、1797年)は、1825年以来イタリアの間に吊り下げられています。 部屋は宮殿の応接間として使われましたが、特別な機会には夕食会を開催するために使われました。 歌や楽器による音楽が音楽室(ミュージカルギャラリー)から響きます。 夕食会が開催されるときには、そのために特別な家具が持ち込まれました。 半球天井(キュポラ)を除いて、部屋のすべての漆喰による成形は、戦後の修復期間に元の状態で維持されていました。 壁の人工大理石は、古い仕様に従って再現されました。イタリアンホールからは、賓客たちは列柱のあるギリシャの間へと進みました。 Iパブロフスク宮殿のイタリアの間 Source:Wikimedia Commons By Chatsam - Own work, CC BY-SA 3.0, Link Iパブロフスク宮殿のイタリアの間 Source:Wikimedia Commons By Chatsam - Own work, CC BY-SA 3.0, Link Iパブロフスク宮殿のイタリアの間 Source:Wikimedia Commons By Chatsam - Own work, CC BY-SA 3.0, Link Iパブロフスク宮殿のイタリアの間 Source:Wikimedia Commons By El Pantera - Own work, CC BY-SA 2.5, Link Iパブロフスク宮殿のイタリアの間 Source:Wikimedia Commons Par MrsMelifaro — Travail personnel, CC BY-SA 3.0, Lien Iパブロフスク宮殿のイタリアの間 Source:Wikimedia Commons By IzoeKriv - Own work, CC BY-SA 4.0, Link つづく |