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八重山諸島短訪

I奥西表・内離島近くの干潟

青山貞一 Teiichi Aoyama
東京都市大学環境情報学部教授

April 2009 無断転載禁
初出:独立系メディア「今日のコラム」

青山貞一:八重山諸島探訪 
@東京から石垣島へ F白浜港から奥西表の船浮へ
Aすべてがゆったり竹富島 G船浮に残る悲惨な戦争の爪痕
B世界有数のサンゴ、石垣島の白保 Hイリオモテヤマネコと奥西表の自然
C新石垣空港の工事現場 I奥西表:内離島近くの干潟
D石垣島の自然と景勝地 J再び竹富島へ:シーサーたち
E石垣島から西表島へ

■2009年3月27日 

 イリオモテヤマネコ捕獲地や資料館「西表館」を見ているうちに、白浜港行き高速艇の出発時間である12時50分が近づいて来た。

 12時50分といえばまだお昼、何でそんなに早く帰るのかと思うだろうが、実はその次の白浜港行きは下の時刻表を見れば分かるように、午後4時40分となる。

 この時間で白浜港に行くと、到着が午後4時50分、その後上原行きのバスに乗り換えて上原港への到着時間は、午後5時30分となる。私の場合、八重山観光フェリーの往復切符なので最終時刻は午後5時50分である。

 もし、ひとつでも何かが遅れると石垣島に帰れなくなる。またこの時期は天候如何で上原港→白浜港は欠航になりやすいから、最終便が欠航となると帰れなくなってしまう。


撮影:青山貞一 Nikon Cool Pix S10 2009.3.27

 そんなこともあり、12時50分の高速艇で白浜港に向かうこととした。下の写真は船浮港を後にする高速艇である。行きと同様、イギリスから来た研究者が乗っている。


撮影:青山貞一 Nikon Cool Pix S10 2009.3.27

 ところで船浮港から白浜港に行くには、途中、内離島の南端を高速艇は通過することになる。この海峡は干潮時に大きな干潟が出現する。


白浜港と内離島、船浮港の位置関係
出典:グーグルマップ


白浜港と内離島、船浮港の位置関係
出典:グーグルアース

 船浮港を出港して数分で、高速艇は内離島の南端近くに到達する。下の写真は内離島の南端だ。岩が垂直にそそり立っていることが分かる。


撮影:青山貞一 Nikon Cool Pix S10 2009.3.27


撮影:青山貞一 Nikon Cool Pix S10 2009.3.27

 下の写真は内離島の南端。干潟が広がっていることが分かる。


撮影:青山貞一 Nikon Cool Pix S10 2009.3.27

 下の写真は南端から少し白浜港側に進んだところ。遠方に山が見えてくる。山は白浜港がある西表島だ。
 

撮影:青山貞一 Nikon Cool Pix S10 2009.3.27

内離島(うちぱなりじま)

 沖縄県八重山郡の西表島の南西2kmに位置する無人島。北西200mほどにある外離島との間には遠浅で小さな砂嘴が形成されており、対の島として認識されてきた。

 北西・南東の距離が約2.7km、幅は1km。地質的には、大半が西表島の西部と同じ砂岩を主とした八重山層群である。海岸砂丘の発達した北側以外は海岸が急な崖となっており、避難港の船浮湾に面した南側は100m以上もの落差がある。

 また、北岸には15-16世紀の集落跡の成屋遺跡がある。東には西表島、西には外離島があり、その間はいずれも200mほどの遠浅の海である。西表島の船浦とともにニッパヤシの北限地である。

座標 北緯24度21分3秒
東経123度44分6秒
面積 2.1km2
海岸線長 7.5km
最高標高 193.8m
所在海域 フィリピン海
所属国・地域 日本(沖縄県)
内離島の概要

 古くから、干潮時には外離島との間を歩いて渡れる事が知られていた。正保年間には無人島だったが、後に北岸の平地部に西表島から移住してきた。島内でイノシシが根絶した雍正8年(1730年)頃に移住があったとみられるが、1920年(大正9年)に集落が廃絶した。

 石炭を含む薄い地層がある事から、明治時代から1945年(昭和20年)にかけて西表炭坑の一部として採炭事業が行なわれていた。石炭積込のために仮桟橋が設けられ、大型船の入港が続いた。第2次世界大戦中には船浮湾の基地防衛のため、砲座や通信施設などが設置されて軍人が居住していた。

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』


外離島(そとぱなりじま)

 沖縄県八重山郡の西表島の南西2kmに位置する。南東200mほどにある内離島との間は遠浅で小さな砂嘴が形成されており、対の島として認識されてきた。

 西側の直径1.5kmほどの半円状の主要部と、東へ約0.5km延びる半島部からなる。西端には番屋峰とよばれる標高148.5mの山があり、琉球王国時代には番所が置かれていた。

 半島部の南側を除き、海岸は急斜面である。島の南北などにはサンゴ礁が存在している。地質的には西表島と同じで、全体が砂岩などの八重山層群で構成され、主要部には南北方向の断層がある。

座標 北緯24度22分11秒
東経123度43分6秒
面積 1.32km2
海岸線長 5.3km
最高標高 148.5m
所在海域 フィリピン海
所属国・地域 日本(沖縄県)
内離島の概要

 15世紀後半に西表島で勢力を有した慶来慶田城用緒は外離島で生れ育ったが、土地が狭く村立てが困難だったため、対岸の祖納に移住したという。また、祖納との間の湾状の海域は「離溝」と呼ばれた。正保年間は無人島であった[4]が、西岸は大船を係留できたため避難港になっていたと考えられている。

 島では古くから祖納の人々がサツマイモや木綿、キビなどを栽培し、雍正6年(1728年)頃にはイノシシを根絶して粟畑を開墾したという。第2次世界大戦中には船浮湾の基地を防衛するため、高射砲などが設置された。飲料水や農地の確保が困難なため、永続的な居住は難しく、2000年現在の人口は1名。黒真珠の養殖が行われている。

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』


 内離島の南端を過ぎると右手に白浜港が見えてくる。同時に大規模な干潟が見える。船はここで干潟見学のためか速度を下げてくれた。 


撮影:青山貞一 Nikon Cool Pix S10 2009.3.27


撮影:青山貞一 Nikon Cool Pix S10 2009.3.27

 下の写真は高速艇の後ろから船浮、内離島方面を見たところ。干潟が出現している様子がよく分かる。


撮影:青山貞一 Nikon Cool Pix S10 2009.3.27

 この後、高速艇は速度を下げた分の時間を挽回するためか、急にすごい勢いで速度を上げた。たまたま私はこのとき愛用のニコンのカメラ(Cool Pix S10)を椅子の上に置いていたが、急に速度を上げたことでデジカメは勢いよく船の床にたたきつけられ、ズーム部分のレンズの台座がはずれ「レンズエラー」となってしまった。

 直すべくいろいろしてみたが、うまく行かず、結局、3年間、カナダ、米国、クリアチア、イタリア、韓国、中国、ポーランド、沖縄など内外でおそらく5万枚以上の写真を撮影してきた愛用のカメラはオダブツとなってしまった。がっくりである。

 下の写真はCoolPix S10、右のグラフは価格コムにおける評価結果である。

ニコンのカメラ(Cool Pix S10)

 このカメラはすでにニコンで生産中止となっているが、当初4−5万円で買ったこのカメラを1年前、スペアーとしてもう一台、1万9千円で買っておいた。

 白浜港に到着したときには、高速艇が5分ほど遅れたこともあり、八重山観光フェリーの送迎車はいなかった。しかたなく出発直前の路線バスに乗り、上原港に向かう。



 上原に路線バスが到着するものの、午後1時30分発の石垣島行きの高速艇1,2分の差で出港していた。がっくりだ。結局、上原港で午後3時20分まで2時間弱待つことになってしまった。


つづく