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(1)概要 (2)歴史@ (3)歴史A (4)景観 (5)建造物 (6)建造物 (7)城壁 (8)再生・修復 (9)自由・自治 ■旧市街の歴史的建築物とランドマーク(2) ここでは、ドブロブニク旧市街(Dubrovnik Old Town)の歴史的建築物とランドマークのつづきを解説しよう。 |
以下は上の地図の凡例である。
11.小噴水 この小噴水も、大噴水同様、1438年にイタリアのデザイナーであるオンフォリオ・デラ・カーバによって設計され、イタリア・ミラノの彫刻家、ペーター・マリディノフによって彫刻が行われた。 小噴水は、聖ブラホ教会の隣に設置されている。 以下は、聖ブラホ教会側から見たカテドラル(大聖堂)である。ドブログニクの聖母大聖堂(カテドラル)は、イタリア、ウルビナの建築家であるブゥファリィニの設計により18世紀に築かれた。ドブロブニクには、それ以前には、7世紀にビザンチン様式のカテドラル、12世紀には壮大なロマネスク様式のカテドラルがあったが、1667年の大地震でいずれも崩壊し、現在の姿に再建されている。 12.聖ブラホ教会側から見たカテドラル(大聖堂) この大聖堂には宝物殿があり、ドブロブニク共和国の豊かさを象徴する数々の貴重な宝物が保管されている。 12.カテドラル(大聖堂) 12.カテドラル(大聖堂)の内部 カテドラル内部は、16世紀に画家のティタンによる祭壇状の聖母被昇天聖画と、1758年に大理石でつくられた聖イヴァン・メポムクの祭壇がある。 12.カテドラル(大聖堂)の祭壇 12.カテドラル(大聖堂)の祭壇 12.カテドラル(大聖堂)の内部 大聖堂の西側には、詩人のイヴァン・グンドゥリッチを記念してブロンズ像がグンドゥリッチ広場に建てられている(下の写真参照)。 1892年、イヴァン・レンディッチによりグンドゥリッチ広場に建てられた像 この彫像の裏には、オスマントルコ時代を物語るモニュメントが見れる。 下の写真は、ドブロブニク旧市街の港。ポールポレーラの詞のなかでも賛辞された聖イヴァン砦(写真左)は、中世のドブロブニク共和国時代、外海から旧市街への外的の侵入を防いできた。同時に、この港は、商才にもたけたドブロブニク市民が世界の海原に船で出向した一大拠点でもある。 13.聖イヴァン砦と19.港 中世の黄金時代、ドブロブニク共和国(ラグーサ共和国)は、文化、経済の両面で飛躍的な発展を遂げ、近隣諸国にその力を誇示していた。なかでも、アドリア海沿岸地域の複雑に入り組んだリアス式沿岸の海洋地形をベースにした海外貿易、商業が盛んとなっていた。塩貿易はその重要なひとつであった。 13.聖イヴァン砦(写真中、左の構造物) 13.聖イヴァン砦(近くで見るといかに巨大な砦であるかが分かる) 13.聖イヴァン砦の地先にある19.港の入り口の灯台 19.港からみたドブログニク旧市街外の景色 19.港からみたドブログニク旧市街外の景色である。背後の山も見える。この山頂にはさまざまな施設があり、セルビアモンテネグロとの内戦では激しい攻撃を受けた。 19.港からみたドブログニク旧市街外の景色 下は9.ドミニコ会修道院及び14.レヴェン砦に近いプローチェ門。この門は、15世紀、市街に入る東の玄関口として構築された。プローチェ門は城壁に気づかれたアシモン塔の上に気づかれることで、外部からの侵入を防いでいた。 プローチェ門 プローチェ門 Source:Atlas Pile, Dubrovnik 2006 プローチェ門 参考・引用文献 ・ドゥブロブニク、Zagreb 2001 ・Annabel Barber, Visible Cities Dubrovnik, 2006 ・Dubrovnik in History, 2006 つづく |