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  ドブロブニク(8) Dubrovnik

青山貞一Teiichi Aoyama
April 2007  無断転載禁
CopyRight:Aoyama T.
              
(1)概要 (2)歴史@ (3)歴史A (4)景観 (5)建造物 
(6)建造物
 (7)城壁 (8)再生・修復  (9)自由・自治 


市民の手による都市の修復と再

 ドブロブニクは、ひとたびユーゴスラビア内戦で破壊され国連ユネスコ世界遺産の<危機遺産>のリストに載せられた。しかし、欧州の自由都市そして都市国家のつね、市民自らの手でドブロブニクのまちは戦後に復元され、再建される。

 激しい戦禍のあと、ドブロブニク市民は年代別の建築様式地図や資料をもとに、城壁や道路、教会や公共施設はもとより、路地、住宅まで、建築物や構造物の年代をもとに建築された時代と様式を再現する。

旧市街にある噴水 砲台

 とくにドブロブニクの修道院や教会には、14世紀以降の古い文書や絵画など歴史を今に伝える史料が数多く展示されており、この小都市国家の自由と独立を守り続けることがいかに大変なものであったかがよく分かる。

出典:ドブロブニク市公式HPより

 市民が保存、保全の対象としてきたのは、城壁ばかりではない。この地は、強烈なローマカソリック信者のまちでもある。ベニスの守護神が聖マルコ(サンマルコ)であるように、ドブロクニクもでまちの守護神、聖ブラホが大切に保存、修復されてきた。

 旧市街のランドマーク

北側から見たドブロブニクの市街地 左の拡大

 ドブロブニクには、すでに歴史的建築物などで紹介してきたように、聖ブラホ教会、フランシスコ修道院、ドミニコ修道院など教会、修道院が多数あり、城壁にもステファノ、ルカ、ヤコブ、ペテロ、パウロなどキリストの聖人や使徒の名をつけた見張り所がある。

  旧市街のランドマーク
年代別の建築様式を記した地図 出典:ドブロブニク・クロアチアより

 ドブロブニク旧市街のPloce門を入ったところに、他国からの攻撃や戦争、内戦、地震、火災等で破壊、消失した建築物、建造物の位置と、それがどう復旧、再生されたかを示す掲示板がある。

 上の地図では、黒色は14世紀、緑は17〜18世紀、黄色は19世紀というように年代別に建築物が色分けされている。

 こうして、ユーゴスラビア内戦終結からわずか3年で、世界最初の自由都市、ドブロブニクは市民自らの手で「アドリア海の真珠」の名に恥じない歴史的文化と景観を取り戻した。



 また旧市街の内部では要所要所に以下のような掲示板があり、その場所での破壊と復旧、修復の状況を説明している。









 ところで、何度もの戦禍で壊れたまちの修復方法だが、道路や建築物では似たような素材を集め、ひとつひとつ時間をかけ元通りに修復を試みた。そこには町の専門家だけでなく、海外からも町の復元に協力するひとびとが集まった。

 ドブロブニクの古いガイドマップ

 ドブロブニク旧市街の詳細地図(凡例付き)

 ドブロブニク旧市街立体マップ

 ドブロブニク旧市街観光地図

 下の写真は旧市街を修復、再生、復旧するのに必要となる石、煉瓦などである。破壊された瓦礫もしっかりと保存され、加工され利用されている。日本では多くの場合、壊れた建築物を撤去し、再開発ビルなどが建造されている。上記のことは、何もドブロブニクに限らず、欧州各地の歴史的建造物、町並みに関し共通のことである。
  

Ploce門ちかくにて



 なお、旧市街には清掃など一部の自動車以外は一切入れない。物流などは、以下のように電気で駆動する運搬車により持ち込まれる。

 

 下の写真は路面を清掃する自動車。ドブロブニクや欧州の旧市街にいると、いかに自動車が静穏な市民生活を破壊しているか、また環境を破壊しているかがよく分かる。先進都市はいかに自動車を中心市街地に入れないように都市、交通システムを設計するかが大きな課題となるだろう。




つづく