シルクロードの今を征く Now on the Silk Road エレバン (Yerevan, Armenia) 青山貞一 Teiichi Aoyama 池田こみち Komichi Ikeda 共編 掲載月日:2015年1月23日 更新:2019年4月~6月、2020年7月31日公表予定 独立系メディア E-wave Tokyo 無断転載禁 |
総合メニュー(西アジア) アルメニア1 アルメニア2 アルメニア3 エレバン 世界遺産1 世界遺産2 世界遺産3 次はシルクロードの中間点にあるアルメニアのエレバンです。 ◆エレバン(Yerevan) Source:Wikipedia エレバン(Երևան、Yerevan [jɛɾɛˈvɑn])は、アルメニア共和国の首都です。イェレヴァン、エリバン(Erivan)、エレブニ(Erebuni)、エレウン(Ereun)と呼ばれていたこともあります。 人口約106万人(2004年)です。機械製造や金属業、ワイン、ブランデー製造、たばこ製造業が盛んです。フラズダン川が市内を流れます。南にアララト山を臨む。現存する世界最古の都市の一つとされており、また創世記に語られている「エデンの園」が存在していたという伝承のある地でもあります。 歴史 紀元前8世紀ごろにはすでにウラルトゥのエレブニ要塞がアルギシュティ1世によって、北カフカースからの攻撃に備え、この地に築かれていました。 紀元前4世紀までにはアケメネス朝のアルメニア・サトラップの主要な町になっていました。ヨーロッパと中央アジア、インドを結ぶ交易路の中継地であったため、658年、アラブによって征服されます。 その後、アルメニア人のバグラト朝の中枢として栄えます。1387年、ティムールによる包囲、略奪に遭います。イルハン朝の中心都市の一つともなります。 1672年のエレバン Source:Wikimedia Cmmons 以後、オスマン帝国とサファヴィー朝の角逐の場となっていきます。1604年にはアッバース1世の命により、多くの市民がペルシアに連れ去られました。 1679年には大地震に見舞われました。サファヴィー朝では、エレバン・ハン国に編入されます。 1827年、第二次ロシア・ペルシア戦争においてロシア帝国がガージャール朝を撃破し、1828年のトルコマンチャーイ条約でロシア領となりました。その後、エレバンには多くのアルメニア人がペルシアから帰還してきます。 1854年以降、都市計画がなされ、多くの大学が設立され、ギュムリやトビリシ、アゼルバイジャン方面への鉄道建設がなされました。 ロシア帝国が崩壊すると、1918年、中世以来の独立国家となったアルメニア共和国において、エレバンは首都となっました。1920年にアルメニアが共産化し、1922年にソビエト連邦構成共和国を構成する共和国の一つとしてアルメニア・ソビエト社会主義共和国が誕生した際にも、エレバンはその首都となり続けていました。 エレバンはアルメニア人建築家アレクサンドル・タマニアンの都市計画に基づき、近代都市へと作り変えられて行きました。 1965年、アルメニア人虐殺50周年を巡るエレバンでの抗議運動は、ソ連における最初の大規模な反ソ運動へと発展しました。1966年に市内のツィツェルナカベルトに虐殺の追悼碑が建立されました。 1991年9月21日、ソ連崩壊に伴ってアルメニア共和国が独立を宣言した後も、エレバンは首都であり続けている。 地勢 標高1,000m程で、アララト平野の南東に位置する。三方を山に囲まれ、南はフラズダン川に向かって下降しています。フラズダン川が市を2つに分けています。 エレバン市街とアララト山 Source:Wikimedia Cmmons 気候 ケッペンの気候区分では湿潤大陸性気候に属します。内陸で盆地的な地形から夏は極めて暑く、40°C近くまで上がることもある一方、冬季は寒さが厳しく、-15 °C以下になることも多いのです。積雪も多く、近郊の山々はスキー場となっています。 エレバンの気候 出典: World Meteorological Organisation (UN), 民族構成 ソ連時代は、ロシア人、クルド人、アゼリー人、イラン人も多く居住していましたが、1988年のナゴルノ・カラバフ戦争でアゼリー人の人口は消滅し、アルメニア人と入れ替わった。ロシア人の多くも1990年代の経済不況でエレバンを離れました。 従って、住民の多くはアルメニア人となりましたが、ヨーロッパや北米への移民流出が続き、人口は減り続けました。人口が増加に転じたのは、2007年以降です。 経済 アルメニアのGDPの過半はエレバンが生み出します。1990年以降、深刻な経済不況が続いていますが、石油化学産業、アルミニウム産業等が盛んです。水力発電も盛んです。ワインやブランデー(アルメニアン・コニャック)の生産でも名高いです。 文化 マテナダラン - 古文書館 エチミアジンの大聖堂と教会群ならびにズヴァルトノツの考古遺跡 - 市内から西に20kmにエチミアジンに世界遺産のエチミアジン大聖堂があります。 教育 高等教育機関 エレバン国立大学 (Yerevan State University) エレバン国立薬科大学 (Yerevan State Medical University) エレバン国立工学大学 (Yerevan State Engineering University) エレバン音楽院 (Yerevan Komitas State Conservatory) 交通 ズヴァルトノッツ国際空港 Source:Wikimedia Cmmons エレバンの西10kmのズヴァルトノッツに位置する国際空港です。アルマヴィアの本拠地です。2004年から拡張工事が開始され、新国際線ターミナルは2007年に完成しました。もう一つの新ターミナルは2012年に完成予定予定。 エレバン駅(サスンティダヴィト駅) 南カフカース鉄道(旧アルメニア国鉄)の鉄道駅です。国際列車は現在、政治的理由からトルコやアゼルバイジャンへは運行されていません。唯一の国際列車はグルジアのトビリシ行きです。イラン方面もエレバンからの路線はありません。 バス 市の中心部の広場から、トビリシやイランのタブリーズやテヘラン行きの長距離バスも出ています。 市内交通 エレバン地下鉄が1路線(13.4 km。10駅)あります。旧ソ連式の豪華な駅舎です。トロリーバスの路線が市内に24路線張り巡らされています。20世紀初頭から運行されてきたエレバン市電は2004年に廃止されました。 エレバン出身の人物 シャヴォ・オダジアン - システム・オブ・ア・ダウンのベーシスト。 レヴォン・テル=ペトロシャン - 政治家。 ジョルジオ・ペトロシアン - キックボクサー。 カロ・パリジャン - 格闘家。 エドガル・マヌチャリアン - サッカー選手。ロシアのFCウラル・スヴェルドロフスク・オブラスト所属。 サーギス・ハイラペティアン、スラビク・ハイラペティアン - フィギュアスケート選手(男子シングル)。兄弟の関係である。 アルツール・アブラハム - プロボクサー ヘンリク・ムヒタリアン - サッカー選手。イングランドのアーセナルFC所属。 姉妹都市 現在、エレバンは25の姉妹都市を有している: 世界遺産1へつづく |